第12話 不穏な出発

 7月いっぱいで、所属しているIT会社を退職した俺。


 最低でも1か月は転職する気はなかった。8月いっぱいを自由に出来る。だが、すぐに出発することはなく、1週間ほどはダラダラとしていた。


 1人暮らしだから、仕事が忙しすぎて、片付けが出来ていなかったので、物を片付け、不要な物を廃棄し、プチ断捨離を敢行。

 むしろ、普段は忙しくて、こういう時じゃないと出来ないからだ。


 同時に、出発前にバイクの整備をし、オイル交換と空気圧、チェーンの調整も行い、念のためにバイク屋に行って、状態も見てもらう。

 さすがに乗り出してから、まだ半年足らずのバイクだから、消耗品を交換する必要はなく、タイヤもまだまだ使える。


 出発は、8月8日と決めていた。

 この年の8月10日は、「山の日」で休みで、8日の土曜日を合わせると3連休。東京オリンピックを控えていたが、1年延期になるため、比較的穏やかな「お盆休み」に入る頃になる。


 その間、ひっきりなしにLINE通知が届いていた。


―ねえ、先輩。いつ出発するんですか? どこに行くんですか?―


 林田だった。奴とは、ツーリングに行くため、仕方がなくLINEを交換していたが、少しだけ後悔していた。


 いい加減、ウザいから無視してたら、


―ちょっと。シカトしないで下さい―


―ねえ。ねえったら、ねえ。聞いてます?―


 毎日のようにLINEが送られてきた。

 さすがは「ストーカー」。その粘着ぶりにうんざりして来た頃。


 あまりにも俺がだんまりを決め込んでいるのが、納得いかなかったのだろう。奴は戦略を変えてきた。


―せめて、出発日だけでも教えて下さい。ついて行きませんから―


 妙にしおらしい態度のLINEを送ってきた。

 仕方がない。少しかわいそうだから、返信しておくか、と思ったのが「運の尽き」だった。


―8月8日―


 とだけ返していた。


 すると、すぐに既読と返信が来た。


―8月8日? 随分、のんびりしてますねえ―


 だが、以降は、どんなLINEが来ても返信しなかった。



 8月8日。運命の日がやって来た。前日までに俺は、バイクに積む荷物をコンテナに運び入れて、万全の準備を整えていた。


 キャンプ道具一式を積むため、サイドバッグを取りつけ、大型のシートバッグをシート上に載せる。


 重さが215キロあるカタナに、さらに重い荷物を積むのだ。緊張するし、コンテナからスロープを使って降ろす時に、荷物満載では、降ろしにくい。


 そのことを考慮し、出発日の早朝に、コンテナから出した後に、荷物を積むことに決める。


 その荷物。テント、ペグ、テント下に敷くグランドシート、シュラフ(寝袋)、エアーマット、コッヘル一式、バーナー一式、着替え、さらにもしものための工具一式。

 さすがに大荷物になった。


 だが、俺の中では「節約」を決めていた。

 いくら、退職金と貯金があるとはいえ、切り崩すため、出来るだけ出費は抑えたい。そうなると、一番いいのはキャンプだ。


 金がかからない。欲を言えば、実家や知り合いの家に泊まるのがいいが、勝手に仕事を辞めた俺は、親には言いづらく、黙っていたから、その選択肢はないし、東北地方の知り合いは、秋田県中心にいるから、親に会いそうで避けることを決めていた。


 唯一、宮城県出身の知り合いがいるが、そこは選択肢としては微妙だったし、そもそも家にいない可能性が高い。


 8月8日、午前4時30分。

 俺は、夏用の白の薄いライダースジャケットを着て、ライディングブーツを履き、愛用の白いフルフェイスヘルメットを小脇に抱え、自宅を出た。まだ、夜も明けていない薄暗がりの状態の早朝。


 マンションの入口を出た。


 当然、人っ子一人いない。

 もしかしたら、ストーカー疑惑のある林田のことだ。俺の家を突き止めて、待ち伏せているかもしれない、と邪推したが、さすがにそれはなかったため、安堵しながらもコンテナまで歩く。


 徒歩5分ほどのコンテナに着く。


 バイクをスロープを使って、コンテナから降ろす。この時が一番緊張するのだ。少しでも横にズレたり、足の置き場所を間違えると、転倒しかけない。


 何とかバイクを降ろした後、一通りの荷物を積み込む。


 これがなかなか大変な作業で、シートバッグにはテント、ペグ、シュラフ、工具を、サイドバッグには、それ以外のコッヘルやバーナー、テントの下に敷くグランドシートなどを搭載する。


 最後に、シートバッグに備え付けてあるベルトのようなもので、エアーマットを縛る。


 念の為、きちんと縛れているか、走行中にズレないかを再度、確認する。


 シールドを上げて、俺はイグニッションスイッチを押す。4気筒の野太い音が響き渡る中、俺は1人、出発する。


 林田は、そのまま現れることはなかった。

(さすがについてこないか)

 不安が一つ解消された、と思った。


 俺は、この旅は、「1人で」色々と人生について、この先の進むべき道について深く考えたいのだ。


 その旅に「女」はいらない。ましてや林田は論外だ。


 だが、俺の考えとは裏腹に、実はこの時、すでに計画は「始まっていた」のだ。その計画の結果は後ほどわかることになる。


 早朝の都心はさすがに空いていた。俺は節約のために、あえて高速道路は使わずに、下道だけで東北を目指すことを決めていた。どうせ時間は腐るほどある。


 しかし、いくら早朝で道路が混んでないとはいえ、そこは東京都。信号機が多い。頻繁に信号機で停められているうちに、東の空が白く、明るくなり始め、眩しい真夏の太陽がゆっくりと顔を出す。


 今日も、最高気温が30度を越える、「夏日」の予報だった。


 俺は、この時期ならではの、「帰省ラッシュ」渋滞を警戒し、早朝の日の出前に出発し、出来るだけ速く首都圏を抜けたい思いだった。


 東北への旅が始まった。

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