第3話 嵐を呼ぶ女

 とんとん拍子には行かない「理由」が向こうからやって来た。


 週が明けた月曜日。


 朝、急きょ、本社から俺と同じく出向で行く社員が今日からその現場に配属されるから、よろしくとウチの会社の営業から連絡があった。しかも、新しく配属されるそいつは、俺と同じ大学出身の「後輩」だという。4つ違いだから、もちろん面識はないが。


 あまりにも急すぎるが、ブラックな職場にはよくあることだ。


 10時頃。リーダーの溝坂が、いつになくニヤニヤしながら、紹介してきたのが彼女だった。こういうところだけ、「女に甘い」部分が見え隠れする辺り、この男は「下衆げす」だ。


林田はやしだひなのでーす。よろしくお願いしまーす」

 見るからに、ギャルっぽいその女は、こういうIT業界には、あまりにも似つかわしくなかった。


 そもそもIT業界に入る連中は、コミュ障だったり、根暗な奴が多い。それは男女変わらない傾向が多い。決して華やかな業界ではないのだ。つまり、極論すると人間相手にできないから、コンピュータ相手にする、という連中が多い。

 もちろんそうじゃない奴もいるが。


 身長は、小さかった。150センチちょっとくらい。それに比例して、胸も小さい。要は「ガキ」に見える。

 癖っ毛のセミロング、というより無理矢理ショートボブにまとめたような髪が特徴的だった。さすがに髪の毛は黒かったが。

 真新しい紺色のリクルートスーツを着て、スカートを履き、細身で、スタイルはいいし、目も丸くて大きいが、何というか、「人生をナメきった」ような新人臭がプンプンする。


 そう。この女の第一印象は「最悪」だった。人は第一印象で、8割方が決まる、と言われるが、俺の「嫌な予感」が警告を鳴らしていた。


 そして、予感は当たる。

「山谷。彼女は大学卒業したばかりの新人だ。教育は、お前に任せる」

 いきなり溝坂に無茶振りを振られていた。


「えっ」

「まさか嫌だなんて、言わないよな」


「……はい。わかりました」

 出向、というか派遣に近い立場の俺は、頷くしかなかった。


 そんな俺に、小さな声で、囁く男が1人。

「良かったじゃん、山谷くん。可愛らしい子で」

 完全に「他人事」だと思って、いいように解釈しているそいつは、川谷かわたにまもるという28歳の社員。


 俺と同じく、出向で来ているが、明るい性格で、頼りになる同僚でもあった。

「どうでしょうね」

 嫌な予感しかしない俺は、言葉を濁していた。


 そして。

「林田ひなのでーす。先輩、よろしくお願いしまーす」

 いちいち、言葉尻が伸びている。その辺りからすでに、気に入らないと思っている俺と、彼女の、「不穏な」日々が始まった。


 そもそもこいつは、大学生時代の「甘さ」が抜けていない。

 一応、最初から教えてはいたが、


「へえ」

「ふーん。そうですかぁ」

 と、返事すら曖昧で、わかってるのか、わかってないのかすらわからない。というか、こいつはメモすら取らない。社会人として失格だろう。


 内心、イライラしながらも、こいつを「戦力」として使わないといけないほど、要はIT業界は人手不足なのだ。


 そしてそれから1週間ほど様子を見たが。実際、俺の「予想通り」だった。


 何回教えても、仕事を覚えようとしない。おまけにケアレスミスがやたらと多い。普通なら、「クビ」でもおかしくないほど、まともな戦力になりそうになかった。

 その分、俺の仕事が後ろ倒しになり、残業時間が増え、苦労が重なっていった。


 仕事とは、「ダメな上司」に当たっても「ダメな部下」に当たっても、どっちもダメなのだ。


 そんな彼女の仕事ぶりを横目で見て、溜め息を突いている俺に、すぐ隣の席の川谷先輩は、

「まあまあ、山谷くん。まだ新卒だし。しばらくは面倒見てやりなよ」

 と、一応は励ましなのか、同情なのか、心配はしてくれるのだった。


 しかも、あのクソ上司の溝坂が「彼女には甘い」ところが、余計に腹が立つのだった。これが男なら、間違いなく軍隊式に仕込むだろうに。


 そんなある日。

 ストレスが溜まっていた俺は、昼休みにいつものように、喫煙所に向かい、タバコを吸っていた。


 喫煙所と言っても、昨今の「嫌煙時代」だ。建物内部には置けず、外にある。雨が降れば、傘を差しながらタバコを吸うという面倒なものだった。


 幸いその日は、晴れていたが。


 すると、建物に繋がるドアを開けて、俺の姿に気づいた彼女が、笑顔を浮かべながら、近づいてきた。


「先輩。タバコ吸うんですね」

「ああ」


「じゃあ、ご一緒しますね」

 そう言って、彼女は、白いパッケージの細長いタバコの箱を取り出した。パーラメントワン 100ボックス。タール値が1ミリ、ニコチンが0.1ミリだから、非常に軽いタバコだが、今時、若い女がタバコを吸うのは珍しい。


 ちなみに、俺はメビウス3ミリのロングを吸っている。昔は、ラッキーストライクの6ミリを吸っていたが、タール値を下げたのだ。禁煙はできずに、減煙する辺りが、完全に禁煙できていない証拠だが。


 タバコに火をつけた彼女は、並ぶと、本当に小さい。身長176センチの俺から見れば、25センチくらいの差がある。大人と子供みたいだ。


 などと思っていると。

「先輩。趣味は何ですか?」

 唐突に彼女が口を開いた。


「趣味?」

「趣味くらいありますよね? ないんですか?」


「ああ。趣味ね。バイクかな」

 何の気なしに答えたら。


「マジですか? 私もバイク乗ってますよ」

 意外だった。こんな小さな女の子が、バイクに乗るとは。まあ、言っちゃ悪いが、あまりガラがいいようには見えない彼女だから、あり得なくはないが。身長の低さは、バイクでは不利になる。


「何に乗ってるんだ?」

「スカブです」


「スカブ?」

「だから、スカイウェイブですって」


「ああ、スカイウェイブな。って、スクーターじゃねえか。それもビグスク。お前みたいな、に乗れんのか?」

って、ひっどいですね。乗れますよ。ローダウンシートも装備してますし。あと、ニーハンですしね」


「いや、要は純正には乗れんってことだろ」

「そうですけどー。そういう先輩は?」


「カタナ」

「おお、カタナ。同じ『鈴菌すずきん』同士ですね。今度、ツーリングに行きましょうよ」


 だが、俺の答えは、一瞬だった。

「嫌だね」

「何でですか? せっかく同じ趣味なのにー」


 溜め息を突きながら、俺が発したのは、彼女の内面をえぐる言葉でもあった。

「ただでさえ、仕事で一緒で、疲れるのに、プライベートまでお前と一緒にいたくない」

 後で考えると、これは結構ひどい言葉だ。

 とても、女性に、しかも若い女性にかける言葉ではない。


 だが、彼女は傷ついた様子を見せない代わりに、

「ふーん。そうですかぁ」

 と事もなげに発したかと思うと、紫煙を燻らせて、不思議なことを呟いたのだった。


「先輩は覚えてないかもしれませんけど、私たち、会ったことありますよ」


「嘘つけ。俺はお前なんて、知らんぞ。本社でも会ったことない」

 大学が同じでも、4つ違いで、校内ですれ違ってもいないし、俺は仕事柄、出向が多いし、元々そういう社員が多い会社だから、本社に行くことも滅多にないし、会ったもないのだが。しかも、林田はまだ新卒すぐだから、なおさらだろう。


 事実。彼女の輪郭にも顔立ちにも髪型にも、俺の過去に出逢ったという記憶はなかったのだが。


「それは、先輩の記憶力の問題ですねぇ」

 からかうように言った後、彼女は、虚空を見つめながら、遠い目をして続けた。


「お前に言われたくない」

 記憶力があるのかすら曖昧な彼女に嫌味を言ったつもりだったのだが。


「さて、私は誰でしょう?」

 彼女は、俺を「試す」かのように、いたずらっ子っぽい笑顔で告げた。

 一緒に喫煙所から、自席に戻ったが、その間、俺は自分の記憶をたどっていた。


 だが、

(全く思い出せん。誰だ、こいつは)

 俺の記憶の中に「彼女」はいなかった。

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