水族館そのニ

「……分かっていたことではあるけど、ゴールデンウィークなだけあって人が多いな」


 眼前の展示物に集まる人だかりを前に、水族館を歩き始めてまだ十分ほどの陽翔は嘆息する。


 ゴールデンウィーク期間中の水族館。混むことは当然予想できていたが、それでもこうも人が多いとうんざりしてくる。


 水族館は奥に進んでいくほど人が増えていて、前に進むのが困難になっている。


「むう、全然見えないよお……」


 何より可哀想なのは、今日一番水族館に来ることを楽しみにしていた真那だ。一目見ようと可愛らしく飛び跳ねているが、小柄な真那では前の人が邪魔で展示物が見えない。


 おかげで真那はすっかり元気をなくしてしまっている。十数分ほど前の元気な様が嘘のような落ち込みっぷりだ。


「お姉ちゃん、全然見えないよ。どうにかならない?」


「こうも人が多いと、少し難しいですね。最前列まで出られればいいのですが……」


 唯一展示物が見られるのは最前列に出ることではあるが、残念ながらこの人混みでは難しい。


 何かいい方法はないかと思案していると、ふと一つの解決策を思いつき小さく笑った。


 それから陽翔はその場で屈むと、真那に話しかける。


「真那、ちょっとだけジっとしてろよ」


「陽翔お兄ちゃん? 何する――わ、わわ!」


 真那は突然腰の辺りを掴まれ困惑するが、陽翔は構うことなく持ち上げるとそのまま肩に乗せてしまった。所謂、肩車というやつだ。


 真那は最初こそいきなり肩車されたことに動揺したが、それも僅かな間のこと。すぐさま高くなった視点に、無邪気に笑い始めた。


「凄い凄い! みんな私より小さい!」


「どうだ、真那? これで前の方も見えるだろ?」


「うん、全部見える!」


 高いところが苦手なのではないかという懸念はあったが、どうやら杞憂で終わりそうだ。


 どちらかと言うと展示物が見えるようになったことよりも高くなった視点に大興奮のようだが、真那が喜んでいるのならいい。


 しばらくその場で展示物を見た後、満足したのか移動を催促してくる。


「陽翔お兄ちゃん、次はあっち行こう! あっち!」


「いいけど一旦降ろさせてくれ、真那。流石に肩車したまま移動はキツい」


 人の頭をまるでハンドルのように左右に動かす真那に、陽翔は音を上げた。いくら真那が小柄で軽いとはいえ、肩車を長時間維持するのは厳しい。


「えー、このままがいいよ。これならお魚も全部見えるもん」


「また後で肩車してやるから、今は勘弁してくれないか?」


 陽翔がお願いするが、真那は降りるのを渋っている。余程肩車がお気に召したのだろうか。気に入ってくれたのなら悪い気はしないが、ずっとは流石に無理というものだ。


 どうしたものかと困り果てた陽翔だが、不意に真澄が口を挟んだ。


「真那、ワガママを言うんじゃありません。いいから降りなさい」


「えー……」


「……陽翔君に嫌われてもいいんですか?」


 真澄がそう言うと、真那はビクっと肩を震わせてから「陽翔お兄ちゃん、早く降ろして!」と慌てだした。


 いきなりの変わり身に、思わず吹き出してしまったのは仕方のないことだろう。


 ……ちなみに肩車については、展示物が見えない時のみという条件で落ち着いた。


 それからも真那の先導で水族館を回り続けること約一時間。ここまでの展示物全てに瞳を輝かせてきた真那だったが、そんな彼女の興味を一際引くものがあった。


「陽翔お兄ちゃん、あれ見て!」


 声を張り上げて小さな指の差した先。そこには水槽の中を泳ぐイルカと、水槽を背にしてカメラを持ったスタッフに笑顔を向けている客がいた。


 そこから少し離れたところに、『イルカと記念撮影コーナー』と書かれた立て札があるのを発見した。どうやら水槽越しではあるが、イルカと撮影ができるようだ。


 愛らしいイルカと水槽越しとはいえ撮影ができるからか、それなりの列を作っている。これだけで人気の程が窺える。


「何だ真那、もしかしてあれをやりたいのか?」


「うん、イルカさんと写真撮りたい! 三人で一緒に撮ろう!」


「三人で? 俺たちが一緒だとイルカとツーショットにならないけど、それでもいいのか?」


 まさか自分も誘われるとは思わなかったので、目を丸くしながら訊ねる。


「うん。イルカさんも大事だけど、三人で水族館に来た記念に撮りたいんだもん。……ダメ?」


 上目遣いで不安げにこちらを見つめてくる真那。狙ってやっているのなら大したものだが、当然そんなわけはない。


 真那はただただ思い出を形にしたいという想いで、三人で写真を撮りたいと言ってくれているのだ。それなら、陽翔の答えなど最初から決まっている。


 陽翔は口元が自然と緩むのを自覚しながら、口を動かした。


「ダメなわけないだろ。なあ、真澄?」


「もちろんです。三人で一緒に撮りましょうか」


「うん!」


 二人の返答に、真那は花のように微笑んだ。

 





 

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