噂の彼氏

 四人で元旦に初詣に行ってから一週間後。短い冬休みは終わり、学校は新学期がスタートした。


 クラスメイトたちとは二週間振りの顔合わせるになるが、陽翔の目から見て特に変化があるということもない。


 まあ、僅か二週間程度で劇的な変化がある方がおかしな話ではあるが。


「よう、陽翔。一週間振りだな、元気にしてたか?」


「まあ、それなりにはな」


 不意に陽気な声音で話しかけてきたのは、一週間振りの再会となる親友の大地。当たり前のことではあるが、彼も一週間前と比べて大きな変化はない。


「陽翔は冬休みどんな風に過ごしたんだ? 元旦の初詣以外にどこか行ったりしなかったのか?」


「基本ずっと家にいたな。外は寒かったし」


「何だよ、初詣以外でどこも行かなかったのかよ。寂しい冬休みだな」


「うるせえ、余計なお世話だ。冬休みをどう過ごそうが、俺の勝手だろ」


 面白くない話題だったため、話を強引に打ち切る。


「――ねえねえ、教えてよ黒川さん。絶対に誰にも言わないからさ」


 教室内を満たす喧騒の中、たまたま真澄の名前が耳に入ってきた。


 声のした方を振り向くと、綺麗な姿勢で席に着いている真澄を数人の女子生徒が囲んでいるのが目に入った。


 真澄はその容姿と成績優秀者ということもあって校内では有名だが、常日頃人に囲まれているような人気者かと問われると、首を傾げざるを得ない。


 故にああしてクラスメイトたちに囲まれているというのは、かなり珍しい。何があったのか気になり、真澄たちの会話に耳を傾ける。


「ほらほら教えてよ。初詣の時手を繋いでたイケメンって、黒川さんの彼氏なの?」


「い、いえ、違います。戸く――あの人は、そういう関係ではありません」


「じゃあどんな関係なの? 彼氏じゃないなら、紹介してよ」


「それは……」


 問い詰めてくるクラスメイトに、口籠る真澄。きっと、どう説明すれば女子たちが納得してくれるよか分からず困っているんだろう。


 できることなら助け舟を出してあげたいが、ここで陽翔が話に加わるのは不自然だ。故に心は痛むが見なかったことにする。


「――彼女を助けに行かなくていいのか、彼氏さん?」


「……誰が彼氏だ」


 ニマニマとからかい混じりの笑みを浮かべる大地を、対照的にげんなりした顔で陽翔は睨め付ける。


「おお、怖い怖い。何だよ、黒川さんの彼氏扱いされるのが嫌なのかよ?」


「別に嫌ってわけじゃない。けどよく考えてみろよ、あの黒川に彼氏ができたなんて噂にでもなったら、間違いなく面倒臭いだろ」


 真澄はその人並み外れた容姿もあって、校内では有名で狙っている男子は数知れず。恋人がいるなんて噂が立とうものなら、躍起になって探す物好きが現れてもおかしくない。


「それはそうかもしれないけどよ、黒川さんぐらいの美人と噂になれるなら、男として悪い気はしないんじゃないのか?」


「他人事だと思って気楽だな……俺のせいで黒川が面倒なことになってるんだぞ、喜べるわけないだろ」


 困っている真澄を横目にこの状況を手放しに喜べるほど、陽翔は能天気になったつもりはない。


「第一、俺と黒川じゃ釣り合いが取れてないだろ」


「そうか? 俺はそんなことないと思うけどな。陽翔って面倒だからって必要最低限しか身だしなみには気を遣ってないけど、ちゃんとすれば結構いい線いくと思うぞ」


 大地は「それに……」と続ける。


「俺が見た感じ、黒川さんってお前と一緒にいる時は普段より大分雰囲気が柔らかい気がするから、相性は悪くないと思うけどな」


「そうか? お前の気のせいじゃないのか?」


 別に陽翔とそれ以外とで、真澄の雰囲気に変化があるようには陽翔には思えない。


 仮に大地の言う通り、本当に違いがあるのなら、それはきっと陽翔に対する信頼からくるものだろう。


 男の陽翔を毎日家に招いて夕飯を振る舞ってくれているのだ、それなりに信頼してくれているはずだ。……まあ、男としては色々と複雑な気持ちにさせられるが。


「気のせいじゃないと思うけどなあ……」


 大地のいまいち納得のいってないとでも言いたげな発言が、不思議と陽翔の耳に残った。






「……学校に行ってこんなに疲れたのは、生まれて初めてです」


「大変だったみたいだな。お疲れさん」


「……まるで他人事みたいな物言いですね。少なからず、原因は戸倉君にもあると思うんですが」


 労いの言葉をかけたのに、ジト目で射抜かれた。真澄がここまでやさぐれるのも珍しい。彼女の疲労具合がよく分かる。


「まあ今日は始業式だけだったから、午前中だけで済んで良かっただろ」


「ですが、明日からは通常通りの授業が始まります。明日は午後もあれが続くと思うと……」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる真澄。明日以降も、今日と同じような質問攻めに遭うことを想像でもしたんだろう。


 災難ではあるが、陽翔からは頑張ってくれとしか言えない。


「あ、止まってください。……今日はお醤油が安いですね。戸倉君、一本取ってください」


「はいよ」


「たまには平日のお昼に買い物もいいですね。夕方になると少ない商品もたくさん置いてあります」


 時刻は十二時前。二人は現在、帰路の途中にあるスーパーで買い物の途中だ。陽翔がカートを押し、そこに真澄の指示通りに商品を入れている。


「それにしても、黒川にとっては災難だったな。まさか初詣の時に一緒にいるところを見られてたなんて……しかも俺なんかと噂にされるなんて、嫌だよな」


 せめて噂になるなら、もっとマシな男子がいるだろう。真澄と陽翔では、月とスッポンもいいところだ。


「……戸倉君、そんなに自分を卑下するものではありませんよ。確かに今日の質問攻めは大変でしたが、別に私は戸倉君個人を嫌だとは思っていませんから。そこは誤解しないでくださいね」


「……そりゃどうも」


 真澄とはほぼ毎日夕食を食べている仲だ。


 だから噂になったとはいえ、露骨に嫌悪されているとは思っていなかった。とはいえ、こうして言葉にされると、むず痒いものがある。


「むしろ戸倉君は、人気者でしたよ。私が彼氏でないと言ったら、何人かの女子から紹介してほしいとお願いされました」


「何だそりゃ? 俺なんかを紹介してほしい物好きがいるのかよ」


「はい、いましたよ。それもたくさん。良かったですね、モテモテですよ」


「顔だけ評価されたもなあ……」


 褒められて悪い気はしないが、注目されているのが顔だけとなると内面は一切興味がないと言われてるような気がして微妙な気持ちになる。


「気になるのなら、紹介しましょうか?」


「いや、紹介しなくていい。絶対面倒なことになるだろうから」


「本当にいいんですか? モテる絶好の機会ですよ?」


 しつこく薦めてくる真澄。なぜそこまで薦めてくるのかと隣を見れば、彼女は笑っていた。


「……黒川、お前面白がってないか?」


「ふふふ、すいません。戸倉君だけ何の被害も受けてないのが悔しくて、つい……」


 真澄はクスクスと口元を緩めた。真澄なりの意趣返しというやつだろう。


「ついって、お前な……まあとにかく、俺は当分彼女はいらないな。彼女なんかできたら、黒川と一緒にメシ食べる時間が減るだろ」


 真澄の料理は、今や陽翔にとって数少ない日々の楽しみだ。彼女を作ってその機会が減るのはごめんだ。


 ふと真澄の頬に赤みが差し、目を伏せた。


「……恋人を作ることよりもご飯の方が大事なんて、戸倉君は本当に食いしん坊ですね」


「悪いかよ。俺は色気より食い気なんだよ」


「戸倉君らしいですね。……ところで戸倉君、今日は何が食べたいですか? 今日は特別に戸倉君の好きなものを作ってあげますよ?」


「お、いいのか? それなら……」


 なぜか知らないが、真澄は随分と機嫌がいいようだ。それなら遠慮なくと、陽翔は自身の好物を脳内でピックアップしていくのだった。


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