バレンタイン

 冬休みが明けてから一ヶ月後。特に何事もなく、二月になった。


 三学期はとても短く、もう二週間もしない内に一年生最後の期末試験がある。


 陽翔は成績は悪くないので不安はないが、それでも期末試験のことを考えると今から億劫だ。


「――陽翔お兄ちゃんって、甘いものは好きなの?」


「甘いもの? まあ、嫌いではないな。それがどうかしたのか?」


 いつも通り、真澄が夕食を作っている間の待ち時間。真那と他愛ない会話をしていると、突然脈絡のない質問をされた。


「あのね、陽翔お兄ちゃん。来週の今日は、十四日になんだけど知ってる?」


「もちろん知ってるぞ」


 真那の言葉に頷くと、彼女はプクっと餌を頬張ったリスのように頬を膨らませた。


「むう……陽翔お兄ちゃん、十四日が何の日か分かってないでしょ?」


「十四日が何の日かって言われてもな……」


「もう、十四日はバレンタインだよ! 陽翔お兄ちゃん、バレンタインを知らないの?」


 もちろんバレンタインが、どういうイベントかは知っている。女から男へ気持ちの籠もったチョコレートを渡す特別な日だ。


 だがバレンタインは、陽翔にはあまり縁のないものだったため、印象の薄いイベントになっていた。


 一応綾音が毎年チョコをくれるが、あくまで義理でしかない。本命チョコはもらったことがない。


「あー……そういえばそうだったな。悪い悪い、普段あまり縁のないイベントだったから、忘れてた」


「陽翔お兄ちゃん、バレンタインにチョコもらったことないの?」


「全くないってわけじゃないぞ。毎年、綾音から義理チョコはもらってたからな」


「本命のチョコはもらったことはないの?」


「残念ながら、それはないな。義理チョコだって、綾音からしかもらったことがない」


 見栄を張る意味もないので、素直に答える。


「そうなんだ。陽翔お兄ちゃん凄くカッコいいのに、どうしてもらえないんだろ?」


 首を傾げる真那。彼女にとって、陽翔がチョコをもらえないことは不思議なことのようだ。


 過分な評価で照れ臭いが、真那はお世辞で言ってるわけではないだろうから悪い気はしない。


「そうだ! 今度のバレンタイン、私が陽翔お兄ちゃんの分のチョコを作ってあげる!」


「気持ちはありがたいけど、別に無理はしなくていいぞ? チョコを作るのだって、楽じゃないだろ」


「大丈夫だよ。毎年お姉ちゃんと作ってるから、慣れてるもん。――陽翔お兄ちゃんの分も作っていいよね、お姉ちゃん?」


 真那が、台所を夕食作りをしている真澄に水を向ける。


 真澄は料理の手を止めると、顔を上げた。


「構いませんよ。多少作る数が増えたとしても大した手間ではありませんし、戸倉君には普段お世話になっていますから」


 どちらかというとお世話になっているのは陽翔の方なのだが、どうやら真澄の認識だと違うらしい。


 それはそれとして、真澄たちの負担にならないというのならチョコをもらうことを躊躇う理由もない。


「そうか。なら真那の手作りチョコ、期待させてもらうな」


「うん……! 凄く美味しいチョコ作るから楽しみにしててね、陽翔お兄ちゃん!」


 満面の笑みを浮かべる真那。


 そんな真那の純粋な好意に、陽翔の口元も自然と緩んだ。






 ――そして迎えたバレンタイン当日。


 バレンタインというイベント特有の空気もあってか、教室内はソワソワと落ち着きない様子のクラスメイトたちの姿が見受けられた。


 もちろんバレンタインというイベントに特に思い入れのない陽翔は、特に変化もなく普段通りだ。


「ほい、陽翔。今年もチョコあげるね。あ、もちろん義理だから、勘違いしちゃダメだよ?」


「誰がするか、バカ……まあ、今年も用意してくれたことには感謝してる」


 綾音のくだらない冗談に嘆息しつつ、彼女が持つラッピングの施された袋を見る。例年通りのことなので、慣れた手つきで受け取る。


 場所はホームルー厶十分前の教室。綾音はわざわざ陽翔にチョコを渡すためだけに、他クラスの教室まで来ていた。


「じゃあ、陽翔にチョコも渡せたことだし、私は教室に戻るね」


「おい、大地にはチョコ渡さなくていいのか?」


 陽翔への義理チョコは用意しておいて、彼氏に渡すチョコを忘れた、なんてことは綾音に限ってあり得ないはずだ。


「うん。大地には後で二人っきりの状況で渡したいから、今はいいかな」


「何で後で渡すんだよ。別にどこで渡したって、何かが変わるわけでもないだろう」


「はあ……陽翔は分かってないなあ。こういうのはね、シチュエーションが大事なんだよ?」


「シチュエーション?」


 バレンタインチョコとは縁遠い単語に、思わず首を傾げる。


「本命チョコはチョコそのものも大切だけど、同じくらいシチュエーションも重要なの。受け取ってくれた相手を最大限喜ばせるためには、それぐらいの努力が必要なの。分かる?」


「さっぱり分からん」


 どこで渡そうが味に変化があるわけでもないだろうと考えている陽翔には、ちょっと理解できない内容だ。


 唯一理解できたことがあるとすれば、それは親友の愛され具合ぐらいのものだ。爆発しろ、と言ってやりたくなるほどだ。


 陽翔の即答に、やれやれと呆れる綾音。地味に腹が立つ態度だ。


「ダメだなあ、陽翔は。女心ってものを全く分かってない。そんなんだと、これから先も女の子から本命のチョコはもらえないよ?」


「うるせえ、余計なお世話だ」


 余計なことしか言わない綾音に溜息を吐きつつ、そっぽを向いた。


 

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