お願い

 陽翔と真澄が二人きりで参拝の列に並んで三十分ほど経った頃。綾音たちは戻ってきた。


 真那は開口一番に、境内を回っていた時の話をした。


「――それでね、綾音お姉ちゃんがりんご飴買ってくれたんだよ! 凄く甘くて美味しかった!」


「それは良かったですね。ちゃんとお礼は言いましたか?」


「うん、ありがとうってちゃんと言ったよ!」


 真那は元気いっぱいの返事をした。余程りんご飴が食べられたことが嬉しかったんだろう。


 真澄は綾音の方に振り向く。


「気を遣わせてしまいましたね。ありがとうございます、天道さん。りんご飴、いくらでしたか? 払わせてください」


「私が真那ちゃんの喜ぶ顔を見たくて買ってあげたかっただけだから、別にいいよ黒川さん」


「ですが……」


「どうしてもって言うのなら、今日急な誘いだったのに来てくれたお礼ってことにでもしておいてよ」


 食い下がる真澄に、綾音は笑いながら言った。


 ここまで言われてしまっては、真澄もそれ以上は何も言えない。申し訳なさそうにしながらも、「ありがとうございます」と感謝を告げた。


「どういたしまして。ところでさ、黒川さんと陽翔はどうしてさっきから手を繋いでるのかな?」


 新しい玩具を見つけた子供のような笑みが、陽翔たちを――より正確には、繋がれた二人の手を捉える。


「……言っとくけど、お前の考えてるようなことじゃないからな?」


 綾音の性格ならイジってくることは容易に想像できたので、特に取り乱すようなこともなく答えた。


「黒川は慣れない格好で動き辛いから、手を貸してるだけだ。こうでもしないと、転びそうで見てられないんだよ」


「手を貸してるだけ……ねえ?」


「……何だよ」


「別にぃ? ただ陽翔が黒川さんのためにそこまでするなんて、意外だと思っただけだよ」


 含みのある発言をする綾音。ニマニマとした笑みが腹立たしいことこの上ない。


「お前は俺を何だと思ってるんだよ。流石に隣を歩いてる奴が転びそうになってたら、手ぐらい貸すだろ普通」


「それはそうだけどさ……そこまで黒川さんのことが心配だったの?」


「心配しちゃ悪いのかよ」


「ううん、全然そんなことないよ。けど二人共、自然な感じで手を繋いでるよね。何か恋人っぽいよ」


「バカ言ってんじゃねえよ。俺たちのどこが恋人に見えるんだ。全然釣り合ってないだろ」


 はっきり言って、陽翔と真澄では全く釣り合わない。陽翔も自分を卑下するつもりはないが、今日のめかし込んだ真澄と対等だと思えるほど自信過剰でもない。


 何より真澄に失礼だ。


「黒川だってそう思うよな?」


「……そうですね」


「……黒川?」


 振り向くと、なぜか真澄がそっぽを向いてしまった。


 ついでに少しだけ真澄の手を握る力が強くなった気がしたが、理由は最後までよく分からなかった。


 ――それから並び続けること一時間ほど。長い時間をかけた甲斐もあって、陽翔たちは参拝を終えた。


 参拝を終えた一同は、列から離れたところで少し休んでいた。


「ねえねえ、陽翔は何てお願いしたの? 教えてよ」


「俺も気になるな」


「何でそんなに興味津々なんだよ……無難に無病息災だな」


 特に隠す理由もないので素直に答えると、二人は露骨に肩を落としてみせた。


「何それ……普通すぎてつまらないんだけど」


「だな。もっとこう『ビックになる!』みたいな面白いことをお願いしろよ」


「お前らは俺に何を期待してるんだ……」


 そもそもお願いに面白さを求めるのがおかしい。あまりにも勝手な言い分に理不尽さを感じるのは、陽翔だけだろうか?


「そういうお前らはどんなお願いしたんだよ? 人にそこまで言うんだから、立派なお願いをしたんだよな?」


 意趣返しの意味も込めて、二人に訊ねる。


 しかし一切逡巡することなく、二人は口を開いた。


「俺は、今年も綾音と目一杯イチャイチャできるようにってお願いしたぞ」


「流石は大地、素敵なお願いだね。私も、今年も大地とイチャイチャできますようにってお願いしたよ」


「綾音……」


「大地……」


 二人の真冬の寒さすらものともしない熱い視線が交じり合う。どうやらバカップルは正月だろうとお構いなしらしい。せめて人目は気にしてほしいものだが、このバカップルには無理なお願いだろう。


 相変わらずな糖度マシマシのバカップルに辟易し、逃げるようにして話し相手を変えることにした。


「黒川は何てお願いしたんだ?」


「私……ですか?」


「随分と熱心にお願いしてるように見えたから、気になってな。言いたくないなら別にいいぞ」


 お願いは人に言ったら叶わなくなる、なんて俗説もある。陽翔は信じてないが、真澄は気にするかもしれない。


「特に面白いお願いをしたわけではありませんよ?」


「安心しろ、俺は綾音たちと違って面白さなんて求めてないから」


 そもそも、お願いに面白さを求める方が明らかにおかしいのだが。


 真澄は「そういうことなら……」と言ってから、陽翔の問いに答えた。


「……実はちょっとだけ欲張って、お願いを二つしてしまいました。神様も欲張りな人間のお願いは叶えてくれないかもしれませんね」


「わざわざ人の多い元旦に初詣に来てやったんだ、願い事が他より一つ多いくらいで神様もケチケチしないだろ」


 何様だとツッコまれてもおかしくない発言ではあるが、不遜な物言いが面白かったようで「神様に怒られても知りませんよ?」と言いながら、真澄はクスクスと笑ってくれた。


「一つ目は、真那が今年も元気に過ごせますようにってお願いしました」


「黒川らしいお願いだな」


 いつだって妹のことを第一に考える真澄らしいお願いは、陽翔の想定している通りだった。


「もう一つは……今年も去年までと同じような日々を送れるようにとお願いしました。真那や戸倉君と一緒に過ごせる、そんな日々がこれから先も続いてくれるなら、これ以上の幸せはありません」


 陽翔は目を見開く。まさか真澄が、自分と過ごした日々をそこまで大事に想ってくれているとは思わなかったのだ。


 まだ話すようになってから、僅か二、三ヶ月程度しか経っていない。それだけの関係でもこれからも続いてほしいと願ってくれたことは、純粋に嬉しかった。


「戸倉君、今年も私や真那と一緒にいてくれますか?」


「当たり前だろ。黒川がいなくちゃ、俺はこれから誰に美味い夕食を作ってもらえばいいんだよ」


 胸の辺りが熱くなるのを感じながら、陽翔は言った。


 真澄は一瞬キョトンとした表情を浮かべていたが、次の瞬間には破顔した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る