美少女の手

「やっぱり元旦は人が多いな」


「そうですね」


「これだけ人が多いと、参拝を終わらせるまでかなり時間がかかるだろうな」


「そうですね」


「…………」


 淡々とした返答。真澄は特別愛想がいい人間というわけではないが、それにしたってここまで無愛想ではない。


 ハッキリ言って気マズい。年明けに、寝落ちした真澄を部屋まで運んだ時に劣らぬ気マズさだ。


「……なあ黒川。俺、何かお前を怒らせるようなことしたか?」


「い、いえ、そんなことは……」


 先程までの機械的な返答とは大違いの、上擦った声。これで何もないというのは、流石に無理がある。


「じゃあ何でさっきから俺の方を見ないんだよ? 綾音たちがいなくなってから、様子がおかしいぞ」


「それは……」


 口籠る真澄。やはり、何かあるのは間違いないようだ。


 真澄がこんな風になったのは、十分ほど前に参拝の列に並ぶのが飽きたからと、境内の出店を見て回ると言って綾音たち三人がこの場を離れてからだ。


 二人きりになった途端、露骨に陽翔を遠ざけ始めた。何か知らない内にやらかしたのかと思ったが、今日は朝に顔を合わせてから、何もおかしなことはしていないはずだ。


「あの、その……恥ずかしいんです」


「恥ずかしい?」


「戸倉君、昨日眠った私を部屋まで運んでくれたじゃないですか。それってつまり私の寝顔を見たってこと……ですよね?」


「……まあ、そうなるな」


 まさか今その話を持ち出されるとは思わなかったため内心ドキリとしたが、何とか動揺を押し殺して答える。


「だからその……私を部屋まで運んだ時、戸倉君から見て私の寝顔が変じゃなかったかと考えると、恥ずかしくて……」


「それで様子がおかしかったのか」


「……はい」


 朱色の頬と今にも消え入りそうな弱々しい声が、真澄がいかに恥じているのかを教えてくれる。


 陽翔としては寝顔を見られたくらいで、と思わなくもないが、真澄にとっては重大なことなんだろう。


「安心しろよ、黒川。少なくとも俺は、戸倉の寝顔が変だなんて思わなかったぞ。むしろ――」


 ――可愛かった。素直な感想を言いかけて反射的に口を噤む。今自分が何を言いかけたのか自覚して、激しい羞恥の感情が込み上げてきた。


「むしろ、何ですか?」


「あー……いや、まあ変ではなかったから気にするな」


 素直な言葉を口にするのは照れ臭くて、陽翔は言葉を濁した。


「そ、それよりも、あいつら戻ってくるの遅いな。どこをウロついてるんだ?」


 追求を避けるためとはいえ、かなり強引に話題を変えた陽翔。


 ただ幸いなことに、真澄は疑問を抱くこともなく新たな話題に応じてくれた。


「これだけ人が多いですから、思うように身動きが取れないのかもしれませんね。……真那はお二人とはぐれたりしてないでしょうか、心配です」


「大丈夫だろ。あんまり心配しすぎても、疲れるだけだぞ」


「それはそうかもしれませんけど……」


 浮かない顔で真澄は人混みを見回し、人を探す素振りを見せる。余程真那が心配ということなんだろう。


「前から思ってたけど、黒川って意外と過保護だよな」


「……そんなことはないですよ。あの子のことはよく叱ったりしますし、むしろ厳しいくらいです」


「そうか? 確かによく小言は言ってるけど、それは真那の心配をしてるからだろ。今だって側にいないだけで心配してるし、十分過保護だろ」


「……過保護だと、いけないんでしょうか」


「いけないなんてことはないと思うぞ。それだけ黒川が真那のことを大事に思ってるってことなんだし」


 陽翔にとっては、微笑ましいと思える関係だ。


「そう……ですか、私は間違っていないんですね」


「……黒川?」


 真澄の呟きは、陽翔にはどこか自分に言い聞かせているように見えた。


 それからしばらく、二人で参拝の列に並ぶ。時折列には動きが見られたが、ほとんど進むことはない。


 その上、徐々にではあるが境内の人が増えている気がする。おかげで、身動き一つ取るのも苦労する状況になっている。


「黒川、大丈夫か? 動き辛くないか?」


「はい、何とか……それにしても、元旦の神社はこんなに人が多いんですね。あまり来たことがないから、知りませんでした」


「そうだな。俺もこんなに人が多いとは思わなかった。気を付けて進まないとな」


「そうです――きゃ……ッ!」


 言ってる側から、人とぶつかり真澄の体勢がグラリと崩れた。このままだと転んでしまい、せっかくの振り袖姿が台なしになってしまう。


 陽翔は咄嗟に真澄に手を伸ばし、彼女の柔らかい手を握った。


「……大丈夫か、黒川?」


「は、はい、おかげさまで。ありがとうございます、戸倉君。……言った側から転んでしまいましたね」


「黒川は慣れない振り袖だから仕方ないだろ。気にするな」


 グイっと手を引いて倒れかけていた真澄の身体を起こし、真澄が体勢を整えたのを確認してから手を離す。


 動き辛い格好をしているのだから転んでしまうのは仕方ないことだが、そのうち大ケガでもしてしまったら大変だ。


「あー……黒川、動き辛いなら俺が手を貸そうか? もちろん、黒川が嫌じゃないならだけどな」


「え……」


 陽翔や言葉に、真澄は目を丸くした。


 その反応を前に流石に馴れ馴れしすぎただろうかと、提案を少し後悔した。


「……迷惑ではありませんか?」


「迷惑なら、そもそもこんな提案しねえよ。それに万が一黒川がケガでもしたら、俺が綾音に文句を言われるだろうしな」


 ガミガミうるさい綾音の姿が、容易に想像できる。それに比べれば、真澄に手を貸すことは苦ではない。


 もちろん真澄に手を貸す一番の理由は、綾音ではなく純粋に真澄が心配だからである。せっかく綺麗な格好をしているのに、台無しにしてしまうのは忍びない。


「そういうことなら……お願いしてもいいですか?」


 返事の代わりに、真澄がスっと伸ばした手を握る。先程は咄嗟のことだったのであまり意識してなかったが、真澄の手は柔らかかった。


(黒川の手って、こんなに小さくて柔らかいんだな)


 初めて触れる女の子の手の感触に軽い驚きを覚える。この手がいつも美味しい料理の数々を作ってくれていると思うと、途端に愛おしさが湧いてくる。


「……男の子の手って、こんなに大きいんですね」


「黒川、何か言ったか?」


「い、いえ、何でもありません。気にしないでください」


 真澄は耳の辺りまでほんのり朱色に染めつつ、プイっと顔を背けた。


 それから綾音たちが戻ってくるまでの間、退屈なはずの待ち時間が、不思議と少しだけ悪くないものに感じられた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る