五人で食事

「それじゃ、もうすっかり暗くなったしそろそろ帰るか」


「だね。うーん……それにしても、ずっと座ってたから身体が痛いね」


 綾音は長時間の勉強で凝った身体をグイっと伸ばすことでほぐしながら、荷物をまとめて立ち上がる。


「随分と遅くなってしまいましたね。戸倉君、夕食は少し遅くなってしまいますがいいですか?」


「ああ、別にいいけど……黒川、もし勉強で疲れたなら今日は俺の分は作らなくていいからな? 俺は適当に済ませるからさ」


「いえ、そういうわけにはいきません。戸倉君のことですから、どうせカップ麵なんかで済ませるつもりなんでしょう?」


「……まあな」


 流石に見抜かれているようだ。真澄は以前の陽翔の食生活を知っているから、察するのは簡単だろう。


「お気遣いはありがたいですが、私の目の黒い内は戸倉君に不摂生なんてさせませんから」


 真澄は陽翔たち同様長時間勉強を、しかも綾音に教えてもいたから疲れているはずだ。だというのにわざわざ作ってくれるというのは、本当にありがたい話だ。


 この前のぬいぐるみで少しは恩を返せたつもりだったが、この分だとまた何かお礼を考えておかないといけないかもしれない。


「ん……?」


 ふと視線を感じて振り向けば、帰ろうとしていた綾音たちがジっと陽翔と真澄のやり取りを見ていた。


「……何だよ、ジロジロ見て。何か言いたいことでもあるのか?」


「いや、別に言いたいことがあるってわけじゃないんだけどな……」


「陽翔が愛されてるなあ……って思っただけだよ」


「はあ……? 何言ってんだよ、お前ら」


 意味の分からない発言をする二人に、首を傾げる。


「分からないなら気にしなくていいよ。それよりも、黒川さんって今から夕食作るんだ……ねえ陽翔、やっぱり黒川さんの手料理って美味しいの?」


「美味いな。少なくとも、今まで俺が食べてきた手料理の中では一番だな」


「へえ、陽翔がそこまで言うってことは黒川さんって料理上手なんだ。いいなあ……」


 羨むような視線が綾音から送られるが、それだけだ。流石の綾音もご相伴に預かりたいと口にするほど図々しくはないようだ。


「あの、天道さん。もしよろしければ、ウチで夕食を食べていきませんか? もちろん磯貝君も一緒に」


 物欲しそうな顔をしていた綾音に気を遣ってか、真澄は二人を夕食に誘った。


 当然ながら、綾音は目を丸くする。


「え、いいの? いきなり作る量が二人分増えても、迷惑じゃない?」


「今日のメニューは多少人数が増えても大丈夫なものですから、気にしなくていいですよ」


「お姉ちゃんの言う通りだよ! せっかくだからご飯一緒に食べようよ、綾音お姉ちゃん。ご飯はみんなで食べた方が美味しいんだよ?」


 勉強会中は一人ぼっちだった真那が会話に加わり、綾音を夕食に誘う。勉強会中は誰にも相手をしてもらえなくて寂しかったから。


「真那もこう言ってることですから、遠慮なんてしないでください」


「二人がそこまで言ってくれるのなら遠慮なく……陽翔、私たちも食べさせてもらっていいかな?」


「何で俺に訊くんだよ。黒川がいいって言ったなら、お前の好きにしろよ」


 そう言うと、綾音は「やった!」と大地と共に喜びを露わにした。






 場所は変わって真澄の家。勉強会を終えてから約一時間後、そこで五人はテーブルを囲むように座っていた。


 テーブルの上には数品の料理が並んでいるが、その中で最も目を引くのはやはりメインであるビーフシチューだろう。ゴロゴロ入った野菜と肉、それにビーフシチューの濃厚な香りが食欲を否応なしに掻き立てる。


「わあ、これが黒川さんの手料理……」


「美味そうだな」


 真澄の手料理は初めての二人はゴクリと喉を鳴らし、視線をテーブルの上の料理に視線を釘付けにする。


 食べられる時を今か今かと待つ二人の姿は、まるでお預けを食らった犬のようだ。それほどまでに真澄の料理に期待しているということだろう、気持ちはよく分かる。


 真澄が「冷める前にどうぞ」と言うと、食事の挨拶もそこそこに、料理へと手を伸ばした。


「美味しい! 黒川さんって、こんなに料理上手なんだね! こんなに美味しいビーフシチュー、生まれて初めて食べたよ!」


「満足してもらえたのなら、何よりです」


 相変わらず淡々とした物言いではあるが、ほんの少しだけ吊り上がった口角が彼女の心情をよく表している。


 綾音の隣では、大地も綾音の言葉に同意するように頷いている。


「確かにこのビーフシチュー本当に美味いな。……おい陽翔、お前毎日こんなにいいもの食べてたのかよ?」


「まあな」


「羨ましいぞ、この野郎」


 妬みの込められた視線が突き刺さるが、陽翔はスルーしてビーフシチューを食べる。嫉みたくなる気持ちは分かるが、いちいち相手にはしていられない。


「黒川さん、勉強ができて料理も上手でこの上美人なんて凄すぎ。完璧超人じゃん」


「大袈裟ですよ。これぐらい、少し練習すれば誰でもできるようになります」


「いやいや、大袈裟なんかじゃないよ。少なくとも、私には真似できないね。断言できる。真那ちゃんもお姉ちゃんのこと凄いって思うよね?」


 綾音は大地を挟んで右側の席に座る真那に話を振る。


 真那は食事の手を止めると、元気いっぱいの声で応じた。


「うん、お姉ちゃんって本当に凄いんだよ。いつも美味しいご飯を作ってくれるし、優しくて美人な自慢のお姉ちゃんなんだ」


「……だってさ、お姉ちゃん」


 ニマニマと底意地の悪さが窺える笑みが、綾音の口元に浮かぶ。十中八九、綾音のことをからかっている。


「か、からかわないでください……」


「あ、黒川さん顔真っ赤だ。可愛いね」


 クスクスと綾音が笑えば、真澄の顔色は更に赤くなっていく。ここまで表情がコロコロ変わるのは、初めて目にする。まさか綾音が真澄を手玉に取るとは意外だ。


 真澄の恥じらう姿はとても愛らしく、陽翔も思わず食事の手が止まるほどだ。助けに入るべきだったのに、つい見惚れてしまった。


 幸い真澄は顔を羞恥で染め動揺していたため、陽翔が呆けたことには気付いていなかった。


 この話題は分が悪いと察したのか、真澄は露骨に話を変えた。


「て、天道さん、あまりお喋りばかりしているとビーフシチューが冷めてしまいますよ?」


「む、それはいけないね。こんなに美味しいビーフシチューを冷ますなんてもったいないよ。……ちなみに、おかわりってできる?」


「はい、まだありますからお好きにどうぞ」


「やった!」


 おかわりの許可を得られ、諸手を挙げて喜びを露わにする綾音。余程ビーフシチューが気に入ったようだ。


 喜ぶ綾音を目にして、真澄の表情も柔らかいものになる。自分の作った料理を喜んで食べてくれるのは、やはり気分がいいものなんだろう。


(それにしても二人共、随分と仲良くなったな……)


 真澄と綾音は、まともに話すようになってからそんなに日は経っていないが、かなり親しくなっているように見える。性格は大分違うから、この結果は驚きだ。


 そして、そのことを面白くないと感じている自分がいることを陽翔は自覚した。どうやら、またくだらない独占欲が顔を覗かせているようだ。別に真澄は誰のものでもないのに、バカな話だ。


(……バカだな、俺)


 自分に呆れつつ、陽翔はビーフシチューを口に運んだ。


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