第15話 僕とあだ名


「これ返すねー」


 昼休み。

 いつものように自分の席でラノベを読んでいると、五十嵐さんがやってきた。

 机の上に置いたのは僕が貸していたラノベだ。どうやら最近ハマっているようで、僕に借りに来ることが増えた。


 布教というほどではないが、オタク文化に興味を持った人を無碍にはできない。


「どうでした?」


「中々面白かったよ。続きはあるの?」


「はい。ただ今日は持ってなくてですね」


「明日にでも持ってきてよ」


「分かりました」


 こういうやり取りをしていると、もしかして僕と五十嵐さんは友達なのではないかと思ってくる。


 しかしここで調子に乗る僕ではない。ちゃんと自分の立場は弁えている。


 利用されているだけなのだ。それでもいい。オタク文化を一人でも多くの人に好きになってもらいたいから。

 そのためならいくらだって利用されてあげるのだ。


「ねえ、まるっちはさ」


「あの」


 五十嵐さんが何かを言おうとしたところで、僕はどうしてもスルーできずに挙手をした。すると五十嵐さんは「ん?」と首を傾げて僕の質問を待ってくれる。


「その、まるっちっていうのは?」


 この前、ナチュラルに呼ばれすぎてスルーしてしまったけど、僕はいつの間にかあだ名で呼ばれるようになっていた。


「まるっちはまるっちだよ。あだ名。こうして話すようになったわけだし、いつまでもよそよそしい呼び方も変でしょ?」

 

 確かに五十嵐さんがラノベを読むようになってからは、時折こうして話すことがある。

 最近はその頻度も以前より増してはいる。僕としては学校で人と会話する機会があるのは嬉しい限りだ。


 でも別に名字で呼ばれることをよそよそしいとは思わないけど。どころか、呼ばれ慣れてない呼び方に毎度変な緊張をしてしまう。


「私のことも萌ぴって呼んでいーよ」


「……え、遠慮しときます」


 天地がひっくり返っても呼べる気がしない。相変わらずユルイ感じで何を考えているのかは分からないままだけど、少なくとも嫌われているわけではないと知れただけでも良しとしよう。


「あ、また丸井と萌が喋ってる!」


 教室に戻ってきた宮村さんと綾瀬さんがこちらにやって来る。宮村さんは五十嵐さんに何を話していたのかと問い詰めている。


「最近萌と仲良いんだな」


「あ、いや、どうなんでしょ」


 綾瀬さんが鋭い眼光を僕に向けてくる。あんな目で睨まれたらクラスの陽キャだって余裕で怯むぞ。


「沙苗も気に入ってるみたいだし」


 言いながら、綾瀬さんは僕に顔を近づける。もちろんロマンティックな雰囲気など一切ない。

 鋭い眼光はそのままなのだから。


「こんな冴えないメガネのどこがいいのかね」


 本当に不思議に思ってる言い方だ。

 しかし、それに関しては僕も同意見ではあるのだけれど。自分で言うのもなんだけど、結構つまらない人間だと思う。


「ま、別にいいけど。やることやってくれゃそれで」


 それはパシリということですよね?

 綾瀬さんは出会ってから現在に至るまでブレることなく僕をパシリとして見ているので、何だか逆に安心感を覚えてしまう。


 奴隷の適正があるのかもしれない。


「だから、別にまるっちとはラノベの話しかしてないって」


「そのまるっちっていうのは!? この前までそんな呼び方してなかったじゃん!」


 宮村さんと五十嵐さんはまだ言い合っていた。言い合うというか、宮村さんが一方的に詰めているだけだが。


「いや、深い意味はないよー?」


「萌は仲良い人しかあだ名で呼ばないじゃん!」


「だからだよー。まるっちとはラノベを貸し借りする仲だから、ランクを上げたんだって」


 借りたことはないけどね。


「そんなに気になるなら沙苗もあだ名で呼べばいんじゃね?」


 そんな二人のやり取りを見ていた綾瀬さんが言う。そう言われ、宮村さんはピタリと固まった。


「……」


 そして僕を見る。

 いや、僕を睨む。


「それは名案だ。ほら、さなち。まるっちって呼んでみ?」


「ま、」


 言おうとするが、宮村さんはそのまま固まる。そんなに嫌だろうか。いや、普通に嫌か。


「ま、ま」


 それにしてはめちゃくちゃ躊躇うな。どちらかというと宮村さんはイジられる側なので、綾瀬さんと五十嵐さんはこの状況を楽しんでいる。


「呼べないよ!」


「どうして?」


「恥ずいじゃん」


「別にそんなことないよ。私は普通に呼んでるよー?」


「萌は恥ずいとか思うことないでしょ」


「酷い言われようだ」


 メイド喫茶でちゃんと羞恥心見せてましたよ? そんなことはもうお忘れかもしれないけど。


「丸井だってあだ名で呼ばれるの嫌だよね? 恥ずかしいよね?」


「え、そうなの? まるっち?」


 さっきに関しては絶対わざとだな。わざわざまるっちって言う必要なかったもん。

 宮村さんの前で言いたいだけだ。


「確かに恥ずかしいとは思いますけど、別に嫌ではないというか」


「は?」


「え」


 なに今の顔。

 これまでに見たことないくらいの威圧感だった。でも嫌なんて言えばせっかく呼んでくれた五十嵐さんに失礼だし。

 嘘はよくない。


 ぐぬぬ、と唸った宮村さんは僕を睨む。


「もういい! そんなに嬉しいんなら丸井はずっと萌にあだ名で呼ばれてればいいんだ!」


 よく分からない怒り方をして自分の席に戻っていった。


「言われなくても呼びはするけど」


 五十嵐さんもぽかんとしていた。


「面白いのはわかるけど、あんまり意地悪してあげんなよ」


 綾瀬さんは楽しそうに言いながら、宮村さんの後を追った。

 残された僕は五十嵐さんを見る。なにやら難しい顔をしていた。


「さなちもあだ名で呼ばれたいのかな?」


 そうではないと思いますが。


「まるっち、今度さなちって呼んでみてよ」


「多分怒られますよ。僕が」

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