バカ野郎

 幸いにして、修治は誰も殺してはいなかった。

 あの山で修行の末に身に着けた殺人拳は、修治の心まで殺してしまうと師匠からは伝えられていた。

 けれども、どうやら最後には、彼の心が拳を引き止めたものらしい。


 修治は、管轄の警察署の拘置所に入れられた。しかし、それも数日と続くことはなかった。職員と共に忌奴が現れて、彼は釈放となった。


 長い廊下を進むと、その先に鉋奈が立っていた。ほっぺたに絆創膏を貼っていた。修治はもう会えないものと思っていたけれど、彼女は仁王立ちして、向かってくる修治をじっと睨み据えていた。

 修治は鉋奈の前に立った。ずっと背の低い彼女が、越えられない壁のように思えた。

 彼女は修治から目を背けようとしなかった。何か切実に言いたげで、握った両の拳がわなわなと震えていて、しかしすぐに瞳が揺れて、ぼろぼろと泣き出してしまう。

 忌奴は修治の出所の手続きをしているらしかったが、ふたりのほうに歩み寄ってくると、


「お前が出てきたら引っ叩くんだそうだが、背が低すぎて出来なかったようだな」


「そういうの言わないでよ! ムードぶち壊し!」と、忌奴の無神経なツッコミに鉋奈は抗議の声を上げる。それから修治をきつい目付きで睨み付け、


「おかえり! 迎えに来てやったんだから!」


 何を思ったか、修治のほうに手を差し出す。

 修治もようやく笑みが浮かんで、


「……ありがとう」


 差し出された鉋奈の手を、握り返すのだった。



 *  *  *  *



 修治と鉋奈を、忌奴はあの事務所に導いた。

 修治の自宅が襲撃されたことを考えると、バビルはもう彼のことを認知しているし、その彼と接触しては、仲間関係も筒抜けになってしまうことは容易に想像できた。


 しかし、そうなればもう、修治を解任するか、筒抜けなのを覚悟で、逆に敵を誘い込むかの、二択だった。

 変わり者揃いの狼たちは、面白そうだとの理由だけで、後者を選んだ。

 そのほうがずっと、手っ取り早いのだと。


「だとしたらここを隠す必要なんかもうないし、だったら君たちを迎えたほうが賑やかでいいじゃんね?」


 惣一郎は楽しそうに言い、広げた折りたたみ式テーブルの上に、料理の皿を並べていった。

 妙に中華のレパートリーが多いように見受けたが、修治はそこには突っ込まないでおいた。


「情報屋としては、身バレはちょっといただけないんだけどねえ……」と神﨑も、あきれつつ観念したように言う。


「へっえ~~。ほんっとうにこういう、アパートの部屋みたいなの、アジトにするんだ……」


 鉋奈は物珍しそうに、事務所の中を見回していた。


「ま、難しいことは追々考えるとして、今は乾杯しましょうかね」


 神崎が苦笑交じりに言うと、


「いえ~い!」と惣一郎も、缶ビールを手に声を張る。


 まったく、この状況で楽しめるこの人たちの神経が、修治には羨ましくも、推し測れないように思えてならなかった。


「センパイはジュースでいいですか~?」と惣一郎が声を掛けると、


「ああ。テキトーに始めといてくれ」と、気怠く足を引きずるように忌奴は部屋の外へ出ていった。


 修治はその後ろ姿を見送り、しかしほどなくして、自身もその後を追った。


 部屋を出ると、当然忌奴の姿はなく、どこに向かったのかもわからない。

 けれども、修治には、彼の向かった先がわかるように思った。

 だから、階段を上がり、修治は屋上へ向かった。

 思った通り、ボロのアパートは、屋上を施錠などしてはいなかった。

 大きすぎるその背中は、紫煙をくゆらせていた。


「お酒は飲まないのに、煙草は吸うんですね?」


 修治はその背中に声を掛けた。忌奴は、面倒くさそうに振り返る。


「吸ってねえ」


 この期に及んで、吸いなれない感じでくわえていた煙草を取り落とし、靴の下で踏みつける。


「ああ、あ~。こんなとこで消しちゃダメですって」と修治は止めに入るが、忌奴はぶすくれたように、ぷいっとそっぽを向く。


「ごちゃごちゃしたときによ、なんかこう、スカッとできるもの、あればいいんだけどな」


 どこを見ているのやら、誰にともなく、そうつぶやいた。


「あの塔が、いつもどこからか、僕たちを見ているんですね」


 修治も青空の向こう、天を衝くような塔を見返す。


「監視しているのはアレじゃない。互いに機嫌を伺う以外、能がないのは俺たちのほうだ」


「監視社会は装置がもたらすものではない。その装置を扱う我々こそ、監視社会の礎となるのだ」


「なかなか粋なこと言うじゃねえか」


 忌奴は笑っていた。


「今回、逮捕者が出せたのは幸いでしたよね」


「どっかの誰かさんが、全員殺しかけたがな」


「……それで、情報は取れそうですか?」


 忌奴は答えなかった。なんとも答えられない状況ということだ。


「バビルがやっていたことの裏が取れれば、今のこの体制に、少しでも問題提起ができそうなんですけどね」


「どうだろうな。お前の言った通り、装置は装置だ」


「その是非を問うたところで、人の心が変わらない限り、新たな装置がその場所を取って代わるだけだ、と」


「だが――」


 忌奴が言葉を紡ごうとした、そのとき、


「それでも私は、呼びかけるのをやめないと思う」


 その声は、修治たちの背後から。

 振り返ると、そこには鉋奈の姿があった。


「お前ら、バカなんじゃないかってね」


 その瞳には、不思議な覚悟が宿っていた。

 忌奴がわずかに笑みを浮かべるのを、修治は横目にとらえていた。


「……ってか、アタシに出来ることなんか、そのくらいだしさ」


 鉋奈は、引退させられた配信を再開したいのだと、ふたりに決心を告げた。


「今、ここでか?」


 まさか、という感じに忌奴はたずねるが、鉋奈はフフンと笑みを返して、


「あえてここがいいと思ってね」


「名案だな」


 忌奴は手すりを離れ、鉋奈はそこにもたれるように立って、忌奴と修治はその彼女を一歩離れて、見守った。


 鉋奈は無線機のようにスマホを口元に近づけた。ここにはまともな配信機材もない。その状態で、引退を余儀なくされて以来、凍結したままだったチャンネルの配信を彼女は開始するのだ。


「あ、あ、聞こえてる?」


 鉋奈がスマホに呼びかける。平日の日の高い時間だった。どれだけの人間が見ているのか。どれほどの人間が、どれほどの、どんなコメントを寄せるのか。


「お久しぶりだよ、クソ野郎ども」


 ニヤリと笑い、まるでおはようやこんにちはを告げるような軽さで、鉋奈は暴言を口にしていた。

 けれども、それを見守る修治も、忌奴も、ひどく清々しい気持ちだった。

 それでこそ、田沼鉋奈という、この人なのだ。


「おかげでアタシもステータス・レッドだよ。今は家もないよ。仕事もないよ。……まあ、仕事は見つかったかもだけど。それもこれも、アタシの自業自得だって、言うかもしれないけどさ――」


 鉋奈は言葉を振り絞った。取り繕わず、体裁を気にすることもなく。いかなる社会的権力が制裁を加えることも、心ない大衆の冷たい目がそそがれることも恐れず、


「何もかも失っても、アタシはアタシだから。アタシは、アタシのしたいように、アタシをするから。そんなアタシのままで、アンタらと付き合うつもりだから。そんなわけで、これからも、どうかよろしく」


 嘲笑の声が、罵倒し批判する声が、電子の海を駆け巡る音が、修治の耳にも聞こえるようだった。

 鉋奈は笑いながら、ボロボロと涙をこぼしていた。会った当初は、はねっ返りの女としか思わなかった。けれども、今は強がっているだけの、ただの泣き虫だった。


「せっかくだ。言いたいだけ言ってやれ」


 忌奴が楽しそうに言い放つと、鉋奈もどうしようもない泣き顔のまま、めちゃくちゃな笑みを浮かべる。


「大体さ、アンタら、本当にアタシが悪いなんて、言えた口なわけ?」


 声が震えて、言葉も崩れてしまいそうなはずなのに、鉋奈は淀みなく、語り続けた。

 カメラを切っていたのは、正解だった。情けない顔で語るその姿は、彼女の側に寄り添う者が見守るばかりで、彼女は責められるべきクソ野郎どもに、黙ってはいられない追及を、ただひたすらに投げかけ続けるのであった。





※「戦うイケメン」コンテストに応募する中編としての序章は、ここまでです。続きは構想中です。様子を見て、掲載を再開したいと思います。

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