狼たちの密談
「報告お手柄だ。お前の言うように、こちらから捜査官を送った事実はない。恐らく向こうも同じものを開発していたのだろう。とにかく一刻も早くそこを離れろ。偽装フィルターを付けた奴が他に紛れているかもしれない。警備員に限らず、他の客もだ。なるべく誰とも目を合わせるな。落ち着いたらもう一度連絡しろ」
忌奴麗士は手短かに指示を出すと、電話を切った。
「どうやら、想定していた通りになったみたいだね」と、執務机で書類に目を通していた神﨑が言う。
麗士は今、事務所のソファに収まっていた。
「ああ。ゆくゆくは確かめるつもりだったが、まさかあいつらに先を越されるとはな」
「レイくんにしては珍しいんじゃない? 自分で使ってもないモノを、新入りに渡しちゃうなんてさ」
「まっさかセンパ〜イ、あいつらは特別な匂いがあるから〜なんて、言い出しませんよね?」
そう言う惣一郎は、台所のカウンター横にパイプ椅子を展開し、そこに足を組んで座っている。
手元の織布で手入れしているのは、包丁ではなく、投げナイフだ。
「俺を拾ってくれたときは、そんな簡単に信用してくれませんでしたよね?」
そう言うとナイフを構え、壁に掲げられたダーツの的へ、投擲する素振りをする。
実際に放たれてはいないが、麗士にはその軌跡が、的の中心を捉える様まで見えるようだった。
「お前はすぐにオモチャを壊すし、何よりそのオモチャですぐに人を壊すからな」
「へへへっ、そうでした〜」
ナイフをくるくると手の中で回転させ、惣一郎は反省している様子など微塵もない。
「ま、開発段階でわかってたことなんだからさ」と神﨑も、幾分かあきれた様子で、
「元のアイ・フィルターに、偽装を前提としているような仕様が見つかったんでしょ? 公安の技術者も、あくまでその仕様を利用しただけなんだってさ」
「らしいな。だとすれば、すでにバビルが運用済みであることは想像が付く。俺たちは奴らと同じものを後追いで開発したに過ぎないってわけだ」
「となると、問題は、なんでバビルがそんな仕様をあらかじめ仕込んでいたのかって話になるよね」
書類から顔も上げない神﨑の目が、わずかながら細められる。
この男の目が動くのは、言葉にしない部分で3倍以上の考察を巡らせているときだ。狡猾な狐が、その知恵を静かに働かせているのだ。
こいつは界隈でも名の通った情報屋だった。もし味方に入れられなかったら、麗士たちはあっという間に足が付いていたことだろう。
「そういえばセンパイ、黄色のチンピラに絡まれたって言ってましたよね?」
惣一郎がふと思い付いたように言う。それは麗士も神﨑も、すでに内心、思い巡らせていることだった。
「あの噂、やっぱり本当なんじゃない?」
こちらも声を低くした惣一郎は、先輩捜査官ふたりが口にしないことを、突き付けるようであった。
「ワケアリ連中を私兵として囲い込み、ステータスを偽装させてるっていう、アレか」
呟いたのは麗士だ。仲間とはいえ、情報屋から新しい情報を口にさせるのは気が引けた。
「俺たちの上も、それを明るみに出そうとして、俺たちをぶつけてるって噂もさ」
言った惣一郎の声は、研ぎ澄まされたナイフのように鋭利だった。
麗士も神﨑も黙った。この事務所は誰にも盗聴されていない前提だが、それも保証はない。
「俺たちがそれを疑っているのを知って、冴木のおっさんは俺たちを使っているのさ」
麗士は静かに言う。
「敵対させるくらいのほうが、意外な活躍も見込めるからな」
「敵を狩るなら、己が狩られるも止むなしってか。嫌いじゃないなあ、その発想は」
「狼を野に放てば、狩られるのは羊ばかりではないからな。狩られる覚悟もなしに、獣を扱う器にはなれまい」
「その意味、ボクらはいい上司を持ったってことだよね?」
神﨑はようやく口を開いた。くつくつと低く笑っている。この男は、こうやって冗談を口にするときが一番饒舌だ。
「まあ、そういうことだ」と、麗士も肩を揺らして笑う。
下卑た笑いを交わしているときが、やはり一番愉しい。
「でも、だとするなら危なくない? あの子たち、たぶん捕捉されちゃってると思うけど」
惣一郎は懸念を口にするが、
「あいつらが餌になってくれるなら、それもそれで好都合だ」
麗士は、自分でも驚くくらい、冷淡に答えた。
「それに、あいつらが切り抜けられる器なのか、見極めるいい機会にもなる」
「じゃあ、見捨てるの? あの子たちのこと」
神﨑がたずねると、注目が集まる先は麗士だった。
「俺が救ってやろうと、いつかあいつらも自分で切り抜けなきゃならなくなる」
麗士は静かに答えた。
「まあ、センパイらしいけどさ」と、惣一郎は苦笑を浮かべ、
「そこでじっと見守れないのが、レイくんでしょ?」と、神﨑も合いの手を入れる。
麗士はため息をつき、髪を掻きむしる。
「……ったく。これだからメンドクセーんだよ、新人ってのはさ」
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