バベルのはらわた②

 そうしてふたりが導かれたのは、警備員に両側を護られた、改札機の並ぶエントランス。


「あれの向こうが情報化時代の楽園だね?」と、環奈はやにわにウィットに富んだことを言う。


「ここは塔の中核部分だ。ここをエレベータが貫いて、上層のオフィスに続いてるんだろうな」


「この先は当然、関係者以外は立ち入り禁止ってわけよねえ」


 鉋奈はちらとエントランスを護る警備員を見やる。良くないことをたくらむ様子だった。


「あのさ、せっかく捜査のためにもらったんだし、試してみたくない?」

 と、いたずらっぽく自身の瞳を指し示す。


「試すって……」


 修治がたずねかけたときには、もう鉋奈は警備員のほうへスタスタと歩いていってしまっていた。


「ちょ、なにを……!」


 呼び止めようとするが、かえってそうするのは怪しい。修治はやむなく見守ることにした。


 鉋奈は友だちに話しかけでもするように声を掛け、警備員も何気なく応じている。一体何をどうしたというのだろう? 考えなしなフリをしていて、実はこの子、ものすごい策士なのだろうか。

 修治がはらはらと見守るのを余所に、鉋奈はひらひらと警備員と手を振り合い、戻ってきた。


「中にバビルの関係会社が20か30は入ってるんだって。本社は最上階で、外国の偉い人も結構よく出入りしてるみたいだよ」


「そんなことまで話してくれたのか……?」


「まあ、なんとなくだけど。道に迷っちゃいましたあって話しかけて、私方向音痴で~気が付いたらオフィスみたいなとこでマジ焦っちゃって~とかね、道聞くフリしてちょっとずつ話ズラしてった感じ」


 修治は感心してしまった。同じことを真似しろと言われて、果たして自分にできるだろうか?


「ま、アタシはおばちゃん気質だからさ。こういうのは得意なんだよね~」などと、ビル中核のオフィスエリアに沿ってのんびりと歩き出す。


「ここ含めて、東西南北にエントランスはひとつずつ。あと、言ってなかったけど、地下はもっと広いよ、このビル」


「もっと? 表に出ている塔の部分より、さらに?」


「イエス。まさかのそれ」


「どうしてそんなことまで……」


「話しながら、ゲートの奥のエレベータホール、観察させてもらったの。フロア移動のランプ見てたら、一階の到着ランプが点灯してからも扉が開かないのが一基あって、そのまましばらくは降下の音が止まらなかったから。止まるまでの時間から推測して、たぶん、表向きは表示されてないけど、ここより下まで、だいぶ深く掘り進められてるよ。ここ」


「すごい……。そんなわずかな音まで聞き分けられるなんて」


「プロの格ゲーマー、嘗めないどいてもらえる? 五感研ぎ澄ましてやってるんだからさ。そこんとこはまさにスポーツだよ」


「というか、もしかしてだが、用事があるってここに連れてきたのは……」


「そだよ。ここを探りたかったの。だって、せっかくグリーンになって疑われなくなったんだしさ。敵の内情調査くらい、したいでしょ? 私だって、捜査官の一員? なわけじゃんさ」


「それは、本当に君の意思なのかい? それとも、忌奴さんに何か依頼されて?」


「アタシの意思だよ」と、鉋奈の声は真剣みを帯びて、


「炎上すんのはアタシがバカなだけだから別にいい。でも、こんなのがあるからみんな大げさになるんだよ。自分たちはフツーだからフツーじゃない奴に石投げてもいいって、思い上がる。アタシはね、こんなのぶっ壊しちゃえって、そう思うよ」


「それは、本気で言ってるのかい?」


「本気だよ。だから、忌奴さんから電話が来たとき、渡りに船だって思った。私は捜査官、ってのとは違うかもだけど、割とガチだから」


 立ち入り禁止エリアをじっと観察する彼女の瞳は、なるほど、確かに切実だった。

 修治は反省した。この社会に復讐を誓ったのは彼だけではなかった。こんなおちゃらけた子にまで、憎しみを植え付けるような世の中になってしまったのだ。


 ビルの中核部は商業地区に隣接していた。ゆえにふたりは買い物をするフリでオフィスエリアの監視を続けられた。


 4つあるというエントランスは最後のひとつを回り込んだ。さすがにもう真新しい手がかりはなさそうかと、そう思った矢先に、鉋奈の足がふと止まる。じっと見つめている先は、どうもエントランスの脇に立つ警備員のようだ。目を凝らしているということは、タグを読み取っているはずなのだが、その表情が妙に強張っている。


 そのままにスッと修治のほうへ手を差し出してくる。何事かと近く寄ると、彼の手をいきなり握ってくる。ドキッとする間もなく、鉋奈はそのまま修治を近くの柱の陰まで引っ張っていってしまう。


「やばい……」


 その顔は、いつの間にか青ざめている。どうもただ事ではなさそうである。


「あの警備員……ステータス・レッドだ」


「なんだって……?」


 修治は柱の陰から、そっとエントランスを見やる。鉋奈が見やっていたのはゲートの向かって右側の男。ぱっと見は、ステータス・グリーンだ。


 しかし、修治はさらに目を凝らす。緑のステータス・バーを見据えると、右側に経歴の詳細を示すリストが現れ、しかし尚も、その男のバーを見据え続けると――。


 UI上にエラー警告のポッアップが現れ、その後で、グリーンだったステータス・バーが、徐々に赤い色へと変わっていく。


 紛れもない、偽装ステータスであった。


「どう……?」


 鉋奈がこわごわと尋ねる。


 修治は答えず、ただうなずいた。


「これって、どういうこと? だってこれ、公安の人が開発したんだよね? それがどうして、あそこの警備員さんが……?」


「あの人が潜入捜査官の可能性はある。でも……」


 それが真実なら、忌奴がこれを渡すとき、話したはずだ。

 確かに、公安でも管轄が異なれば、独自の捜査はむろんのこと行われるだろう。しかし、バビルにまつわる捜査は恐らく、表向き警察権力はマークしていないという前提で、忌奴たちが冴木の指示のもと、暗躍しているように見受けた。ならば仲間の存在は新入りの修治にも伝えられたはずだ。


「なんにしたって、確かめたほうが良さそうだ」


 修治は声を潜めるように言い、鉋奈も黙ってうなずいた。

 もしあの警備員の装着しているものが修治たちのそれと同等なら、目が合ったらこちらが偽装していることも見破られてしまう。そうなれば、色々と厄介なことになる。


 修治と鉋奈は、息を潜めるように慎重に、その場を離れるのであった。

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