スポーツキャップの小生意気②

「フィルター取ると、なんかスッキリするね」と、鉋奈は広場の人々を見回し、言う。両手はパーカーのポケットに突っ込んだままだ。


「タグはどこにも付けていないのか?」


「もう要らないからね。心配しなくても、あんたたちと同じステータス・レッドだよ。まあ、フィルター外したとこで、ノン・ステじゃあ、ステータス・レッドと同じ目で見られるけどさ。自分がアカの側に行ったら、もうどうでも良くなっちゃった」


 自暴自棄に言い捨てる。修治は見兼ねて、


「その後の更生次第では、ステータスを回復することもできるはずです。それに、相手を見極める道具にはなる。破棄してしまうのは早計かと」


「ああ?」と鉋奈は、あからさまに突っ掛かって、


「なによあんた、そんな綺麗事並べといて、あんたもステータス・レッドなわけでしょ? 人のこと言えんの?」


「だから僕は、同じ身の上として――」


 修治は、ついカッとなって言い返そうとするも、忌奴がすかさず諌めて、


「やめとけ。揉めてる場合か。それよかあんた、フィルターは本当に捨てたのか? この先、捜査を進める上でも必要になるぞ」


「捨ててないわよ、外してるだけ! ほら! これで満足?」と、ポケットに手を入れて、コンタクトケースのようなものを取り出す。それがアイ・フィルターを保管するケースなのだ。


「なら、いい」と言いながら、忌奴は赤く塗られたアイ・フィルターのケースを懐から取り出す。それを鉋奈に渡し、同じものを修治にも投げてよこした。


「なによ、これ……?」


「偽装フィルターだ。自分のアイ・フィルターの上から、そいつを重ねろ。お前はステータス・グリーンにしか見えなくなる。名前も経歴も偽装済みだ」


「なっ……!?」


 修治は思わず声が漏れる。アイ・フィルターの技術は門外不出だ。もとよりアイ・フィルターは、素材の性質からして不透明なところが多い。これまでも数多の腕自慢がその技術の再現に挑んできたが、その試みは悉く挫折しており、まして改造したり、ステータスを偽装することなど不可能と言われていた。


「おお、スゲー!」と鉋奈は感嘆の声を上げる。その横で修治が唖然としていることに気づいてか、フフンと不敵な笑みを浮かべた忌奴は、


「公安の本気を嘗めるなってわけだ」


 つまり、バビルもパノプティコン・ネットワークも、本気で目を付けられているということ。


「そいつは相手の偽装を見破ることもできる。まあ、偽装してるときでも互いの本当のステータスは適宜確認し合えってわけだ」


「こんなものまで渡して、僕たちに何をさせようと……」


 気になるのはそこだった。しかし、修治がそうたずねた矢先、


「おい、テメーら」


 低い男の声が発せられた。


 忌奴は面倒くさそうに声のほうを振り返る。そこには、ガラの悪いふたりの男。ふたりとも、ステータス・イエローだ。


 修治はそれとなくふたりの経歴詳細を読み込む。どうやらケンカ騒動の繰り返しで警告が発せられているものらしい。

 とはいえ、こんなチンピラでも所詮はイエロー止まりなのだ。


「アカが白昼堂々なにしてんだよ?」と、線の細いほうが凄むと、


「見ない顔だな。どこのモンだよ?」と、横にも縦にも大きいほうが忌奴に詰め寄る。とはいえ、頭ひとつかふたつは忌奴より小柄だし、肩と胸部の太さなら忌奴が優に上だ。


 忌奴は眉ひとつ動かさずに男を見下ろしていた。男は舌打ちし、拳を握った。

 2秒後に右のグーだ。修治は男の攻撃を予測し、止めに入る挙動を準備した。


 ――が、それより早く、忌奴が動いた。右肩を男のほうに寄せたかと思うと、男の顔が青ざめる。見守る修治も青ざめた。身を寄せているので見えづらいが、忌奴は男の脇腹にナイフを突きつけていた。


「消えて失せろ。アカくなりたいか?」


 発した声が、刃物のように修治の皮膚も切り裂いた。男は本能的に後ずさりした。そのときにはもう、忌奴はナイフを仕舞っていた。

 鉋奈だけが何が起きたかもわからず、きょとんと見守っていた。


「……行くぞ」


 男は負け惜しみのように睨みつけると、もうひとりの男を連れて立ち去った。

 忌奴は面倒くさそうにため息をつくと、髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。


「俺たちアカはやたらと目を付けられる。だから、普段はそれをつけてろ」


 と、鉋奈が早々とケースを仕舞い込んだパーカーのポケット辺りを指差す。

 鉋奈は愉快そうにほくそ笑んで、


「スパイって感じしてきたな〜。ねえねえ、これ付けて潜入捜査とかするの? ターゲットにそれとなく接近しちゃう、みたいな?」


「ま、それも見越してだ。ちなみに俺らはスパイじゃない。あえてたとえるなら探偵ってとこか」


「同じじゃん、同じ。裏社会に入っちゃいましたって感じだなあ、キャア~~」と身じろぎして、ひとり盛り上がっている。


「ねね、アジトはどこ? こういうのって、張り込み用の部屋とか? あるんでしょ?」


「あるにはあるが、お前は連れていかないぞ」と、忌奴はため息のように言う。


「はあ? なんでよ! アタシたち、もう仲間でしょ!」


「足りないオツムでよく考えろ。そのアジトとやらが人に知れたらどうする? マズイだろ」


「確かに」


「んで、お前さっき電話で、俺になんて言ってきた?」


 そう問われると、急に顔を赤らめる。


「えと……知らない人も聞いてるし……」と、ちらと修治に視線を向けてくる。どうやら彼は知らない人の枠らしい。


「なら、お前はクビだ。消えていいぞ?」


「わ、わかったし! 言います! 言いますから!」


 鉋奈は慌てて両手をわたわたと振り回す。しかしなおもためらいがちに、


「えと、その……なんというか……前にちょっと色々あった男が、今も色々あるっていうか……」


「あ? なんだって?」


「だ、だから! 軽〜くストーカーされてます! 絶賛困ってます!」


 不意に大きな声が出て、周囲の人の注目をややも集めてしまう。鉋奈は自分の口元を押さえて、ますます顔が赤くなっている。忌奴はため息をついて、また髪をかきむしる。


「そいつをどうにかしろ。それが初任務だ」


「どうにかって! どうやって?」


「助手くらいつけてやる。協力してなんとかしろ」


 と、なぜかその視線は修治を捉えていた。

 なんの意味合いでの視線かと問う前に、修治はとっさに忌奴の経歴を読み込んでいた。(なんせずっと目を合わせてもらえなかったから)。異様に長い経歴のリストが現れ、スクロールしていくと、延々と真っ赤な文字列が並んだ。環奈の経歴のそれよりさらに鮮烈で、文字の周囲まで赤くハイライトされている。

 それは、数ある経歴の種類の中でも、一線を画して重い「罪」であることを示すもの。


「前科の数、すごっ……!」と思わず呻き、修治は後ずさる。


「クソっ、読まれたか」と忌奴は舌打ちをする。どうやらずっと隠し通すつもりでいたらしい。前科を示す赤い字のほとんどが暴行罪や恐喝罪の類だった。


「ま、このくらいだったらたいていなんとかなる。その代わり、殺しだけはやるな。あと、なるべくお縄につかないようにしろ。俺らは警官じゃないからな。現場を押さえられたら、連行されるしかない。立てこんだら、うまく逃げろ」


「メンドクセーの」と、鉋奈は悪態をつく。どうやら当事者意識はなさそうだ。


「じゃ、以降は適宜連絡入れろ。探偵が探偵されてたんじゃシャレにならないからな。それまではお前も事務所は出禁だ」


 そう言うと、ポケットに手を突っ込み、早々と立ち去っていく。

 しかし去り際にぴたっと一度止まり、


「ちゃんと護ってやれよ、刈谷捜査官?」


 振り向けざまに、からかうような笑みを投げかける。

 修治は一気に先が思いやられてきた。


「で、どうすんのよ?」と、鉋奈は不満気にたずねる。修治からしてみたら、こっちがどうにかしてほしい気分だった。


「家は、あるのか?」と修治はたずねる。今さらながら、鉋奈が大ぶりなリュックを背負っているのが気になった。


「ステータス・レッドになったとき、アパートの契約は切られちゃった。スカウトもされてたし、そこ行けばいいかなって」


 重そうなリュックを揺らしてみせ、鉋奈はしれっと言う。もはやそれが清々しくて、修治は虚ろな目を向けることしかできない。

 すると、鉋奈は何を思ったのか、


「言っとくけど……どさくさに紛れて、ラブホとか行かないからね?」


 身を護るように体の前で両手を交差させるなどするのであった。

 修治は今度こそ盛大なため息をついた。

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