紅の孤狼たち

 修治は、冴木の言った「ある場所」へと向かっていた。

 沿岸近くを走る電車は、県境を越えて隣県へと入った。所轄の問題はないのかとふと思うも、公安は警察庁がトップとなり、都道府県警は手足となるはずだ。あのゼロの男の下についている限り、この国のどこへ行こうと自由自在、というわけだ。


 混み合った電車は案の定、修治の周囲だけ示し合わせたように人の密度が低かった。不躾な目線も無数に寄せられたが、それはこちらが目を合わせれば容易に撃退できた。


 俺が護ろうとしていたのはこんな連中なのか。

 修治は、虚ろな笑みでさえ零す気にならない。


 やがて到着したターミナル駅で電車を降り、駅をほんの少し離れ、大通りをひとつ渡ると、急に景色は裏寂れる。目的地はそんな只中にある、5、6階建てほどのアパートだった。左右を別のビルに猥雑に挟まれ、各階の壁も手すりも扉も、どれもが錆びて色褪せている。

 しかし、ようやく見つけた薄暗いエントランスへ入ると、郵便受けには名札がちらほらと入っており、郵便物も顔をのぞかせている。こんなところにも、確かに暮らす人々がいるのだ。


 そしてやって来たのは、303号室。インターホンに指を掛け、固唾を呑む。

 軽い「ピンポーン」の音が鳴り響き、ほとんど間を置かず、


「お入りください」


 インターホンから声が聞こえる。

 その背後に、何かを炒める音が入り混じっていた。料理中だろうか? 修治は訝しむ。


「失礼します」


 ノブをつかみ、扉をわずかに開く。武器は何も携帯していなかった。けれども、万一の場合を想定し、全身に緊張を走らせた。


「そんなに構えなくてもいいじゃないのさ?」


 インターホンから、先ほどの男の声が言う。見えているのだろうか? しかし、こんなボロアパートで、カメラ付きのインターホンなどとは考えにくい。


 だとするなら、監視カメラ――。


「そんな気がしただけだよ。早く入って」


 どこか愉快そうに、男の声はなおも続く。相手の人柄は伝わった。しかし、器量には計り知れなさがありそうだ。


 なんにせよ、インターホン越しにおしゃべりする趣味はない。修治は何も返事はせず、扉をそのまま開いた。何かを炒める音が大きくなる。


「はあい、新入りクン」


 声が聞こえた。意外と中は広く、廊下が正面へ伸びて、左右に扉がひとつずつ。廊下の先がワンルームの空間のようだ。

 ワンルームの窓際には大きな執務机が据えられている。書類だとかPC機器だとかが乱雑に積まれ、人の姿は見えないが、白いパンツにサンダルを履いた足が無造作に投げ出されている。

 早々に修治はため息を吐く。期待はしなかったが、どうやら勤勉な職場ではなさそうだ。


「失礼します」


 一応声は掛けて、廊下を進む。サンダルの足の男は、案の定というか、執務机の上で不躾に足を組み、新聞を広げていた。

 ミディアムパーマにしたグレーの髪が新聞越しに覗いている。


「刈谷修治クンだよね?」と、しかしその声は背後から。


 ゆっくり顧みると、左手の奥がキッチンスペースになっており、エプロンをした金髪の青年がフライパンを振るっている。


「若い子は久々だよ。うれしいなあ」と懐っこい笑みを浮かべるが、この青年も色白でだいぶ少年的な印象を与える。

 なるほど、炒める音はこの青年が料理していた音なのだ。


 何はさておき、ふたりとも、頭の上のステータス・バーは、赤だ。


「お察しの通り、ボクたちは君と同類だよ」


 グレーの髪の男はようやく新聞を閉じた。桜の花をあしらったシャツを着ていた。季節に合わせたものだろうか。サイズ感がしっかりしているせいか、先ほどまでと打って変わって、だらしない印象はなく、むしろ髪型と合わせて洒脱でさえある。

 吊り目がちな細い瞳はゼロの男を思わせたが、冴木が刃物のような冷たさなら、こちらは狐のような狡猾さだ。


「どうしてアバズレ揃いなのかって?」と、フライパンの中身を皿に盛りながら、金髪の青年が問う。


 しかし、修治はすでにおおよその見当は付いていた。


「ステータス・レッドは公務員にはなれないはずです。公な捜査の場に送られることはないと、想像はしていました」


「へえ……? てっきり、エリート気分の坊やが来るのかと思ってたなあ」と、金髪の青年は敵意を隠そうとしない。


「ボクらは捨て駒さ」と、グレーの男。


「ステータス・レッドは、別に犯罪者予備軍でもなんでもないだろう? だから警察もね、公に探りを入れづらいのさ。そこで、表向きはボクらステータス・レッドのチンピラが、勝手なことをしているということにしたいのさ」


「捜査の大義が得られるなら、僕は構いません」


 修治はそう告げた。覚悟を伝えたつもりであった。けれども男ふたりは、クツクツと低く笑っていた。


「だからさ〜、それが口先だけじゃないかって、俺らは言ってんの〜」


 金髪の青年は菜箸を手にしたまま腹を抱えている。


「ボクらがどんな現場に駆り出されるか、本当に理解できてる?」と、グレーの男も笑いを隠そうとしない。


「ステータス・レッドはね、一部の連中には都合がいいんだ。なんせ善良な市民様は、無条件にボクらを遠ざけるからね。アイ・フィルターを外したところで、後ろめたい経歴があるのはバレバレでさ。つまり行く宛がないんだ。利用しやすいんだよ。そのステータス・レッドも、表向きは罪無き一般市民だからね。警察手帳なんか出せないよ? 正義なんか名乗れない。なんならボクら自身、お縄に掛かるリスクだってある。そこんとこ、わかってるのかな?」


 ふたりの男は尚も低く笑い続ける。居づらい修治はその間に挟まれて、じっと立ちつくしていた。

 大方の予想は付いていた。冴木からは、善意も悪意も感じなかった。ゆえに底知れなかった。両手を汚すことは覚悟の上であったし、鉄砲玉になるのなら、むしろ本望だった。


 しかし、目の前にいる2匹の狼にしても、腹の内が余りに知れなかった。小綺麗な肩書きを引っ提げた己が、冷遇を以って迎えられることは想像していた。とはいえ、この狼たちは、印象さえある。

 果たしてそれは、新入りを試しているだけなのか。それとも、のか。


 ――やり方を変える必要がありそうだ、と修治は思う。


「つまり僕の任務は――」


 なるべく慎重に、口を開く。これから具体的に何をさせられるのか。それを糸口に辿れば、この男たちが何を使命にするかの端緒も観えるだろう。

 そうすれば、己の果たそうとする復讐までの道のりも描けるに違いない。

 修治は内心で策を巡らせ、しかしそのとき、


「オメーら性格悪すぎるぞ」


 機嫌の悪そうな声が言った。


 修治はとっさに声の出所を探す。ワンルームの部屋は右側に本棚と黒い扉が並び、その手前に、こちらに背を向けた大ぶりなソファがある。

 そのソファから不意に、黒い影が立ち上がる。


「うるさくて寝れやしねえ」


 柄の悪い声で言ったそれは、人間だった。修治はギョッとする。生まれてこの方、誰かを見上げた経験はほとんどなかった。あの冴木も大柄だったが、この男はもっと大きい。だらしなくシャツのボタンを開け、それを黒いスーツで覆ったその姿は、まさに獣を思わせた。

 もはや当然のように、この男もステータス・レッドだ。


忌奴麗士きどれいじだ。オメーらも名前くらい言っとけ」


 目も合わさずそう言うと、懐からスマホを取り出す。画面を一瞥すると、ベランダへのガラス戸を開け、表へ出てしまう。スマホを耳にあてがい、誰かに電話を掛けているようだ。


「捜査の連絡は、ほかの人に聞かれないのが決まりですか?」


 修治は素朴にたずねるも、


「いいや。ボクらがうるさいから表に出ただけだと思うよ」


 グレーの男は、苦笑ながらに答える。


神﨑愁矢かんざきしゅうやだ。からかってごめんね。君、真面目すぎて逆に面白いよ?」


箕作惣一郎みつくりそういちろう。台所係だよ。ま、違うけど……。ひとまずは、よろしくね〜!」


 金髪の青年も、チャーハンの盛られた皿を両手に持ち、笑顔を浮かべて言う。


「よ、よろしく……」


 修治はどうもやりにくかった。しかし、どうやら悪い連中ではなさそうだ。


「わからないことがあったらなんでも聞いてよ。まあ、しばらくはセンパイと組むことになるだろうけどさ」


 そう言って惣一郎は、窓の向こうの忌奴を示す。修治もそれにならって彼を見やった。


 ゴツい背中はまだ誰かと通話をしていた。

 ふと青空の向こう、その肩ごしに、屹立する巨大なビルが見えた。今や世界的な複合企業となった『バビル』の本社ビルがそれだ。


 そのバビルがアイ・フィルターの技術と共に数年前に導入し、今や人間性を測る最も信頼のおける仕組みとして、世界中の社会生活に欠かせなくなったもの、それが『パノプティコン・ネットワーク』だ。

 ステータス・レッドを忌み嫌い、それでもステータス・レッドに陥ることを恐れ、誰もがステータス・グリーンに留まることを第一優先にしてしまう、まさしく不可視の監獄である。

 ここが自分たちの活動拠点なのも、恐らくはその象徴たる監獄塔を、こちらから見つめ返せる位置にあるからなのだろう。


 通話を終えたらしい忌奴が、スマホを懐に仕舞うと、ベランダから戻ってきた。


「新入り、初仕事だ」と、修治の目も見ずに言う。こいつはシャイなのか……? まだ一度もまともに目線の合わないこの男に、修治は憤慨の想いが軽く首をもたげる。


「センパ~イ、俺メシ作ったばっかなんですけど?」


 惣一郎は不平をこぼすが、忌奴は横目でにらみつけるだけで、


「ソウは非番なのに油売るな。それとシュウ、報告書は片付けておけよ」


「あれ、あの子もここに呼ぶんじゃないの、レイくん?」


「何かと面倒抱えてるらしい。まずはそっちを始末してからだ」


 そう言い残すやもう出口へ向かっている。

 修治は男たちの会話から置いてきぼりだ。


「行かなくていいの、修治くん?」と、神﨑は頬杖をついて、他人事という感じの上目づかいでたずねる。


「……行かなきゃダメなんですか、これ?」


「だね。OJTはレイくん担当だからさ。ま、がんばって」


 眉根を寄せて苦笑を浮かべる様は、どうやら本当に他人事のようである。

 修治は盛大なため息をつく。

 己の果たすべき使命について、今この場で確かにすることは難しそうだ。


「チャーハン、レンジに入れとくからね~! 帰ってきたら、ちゃんと食べるんだよ!」


 惣一郎の声が追いかけてくるのを聞きながら、修治は真っ黒な背中の後を追っているのであった。

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