「防疫とミツナリからの呼びかけ」

「では、私は3時間経ちましたので。帰りますね」


 巨大な箱のようなコンクリート施設に着くなり、案内役のカモノハシが交代する場面を挟み(どうやら案内役はカイゼル髭を付けるものとされているらしく、中から出てきた白衣のカモノハシの目の前で自分の髭をブチりと外すと、相手の鼻下へとぺたぺたとくっつけていた)『防疫室』と書かれたドアをくぐる。


 そこは奥へと続く広い廊下。


 左右には頑丈そうな二重のドアと内部が見えるように大型のガラスがはめ込まれており、中では防護服を着たカモノハシが数体ほど複雑そうな機器の入った部屋を行き来して、ガラスビンに入れられたゼリー状の物体を計測したり、薬品で反応を見ている様子がみてとれた。


「ここでは、ビルジングに入ってきたについて研究をしています。惑星間移動や輸送を行っていると、どうしても外来生物が入ってしまうことがありまして。所有者様やゲストの方の安全を守るためにも、こうして私どもが内部で検疫を行い、安全性を高めているのです」


「へー…」と、案内役の言葉に感心するホタルだったが「え、でも空間航路でも検疫があるんだけど。それでも何かを持ち込んでしまうことってあるの?」と思わず案内役に尋ねる。


 それに案内役は「ええ、よくあることです」とあっさり答え、「星によっては通過基準がまちまちのところもありますからね。その星で生まれた新種のウイルスや細菌ともなれば、ほとんど手がついていませんね」と、お手上げのポーズをして見せた。


「そのため、こちらでも調査を行い、必要であれば所有者様や同居人に気づかれないようワクチンの投与や抗生物質などを混ぜた食事を提供したりもしているのですが…まあ、これを話した時点で嫌な気持ちにはならないでくださいな」


 そう言って、肩をすくめてみせる案内役に(…あれ、なんだかこのカモノハシ。まともだな)と感じるホタル。


「じゃあ、ああいうことも日常茶飯事?」


 そこには、ミツナリが先日に通販で買ったであろう家電製品の箱から出てくる巨大なアリのような生物と装甲服を重ね着したカモノハシたちが、押し合いへし合いしながら、電気ヤリで戦っている様子が目に入った。


 それに「ええ、そうですね」とあっさりうなずく案内役。


「ああなると、かなりやりがいのある仕事になります。そのため刺激が欲しいカモノハシたちがよく取り合いをしておりまして。ほら、そこに見えるのは、そんな順番待ちの列。彼らにとっては研究なんて二の次ぐらいの価値しかありませんからね。エンターテイメント性のほうが優先なのでしょう」


 みれば、廊下の先に『外来種討伐受注所』と書かれた受付があり、そこで列を作ったカモノハシたちがボードに表示された数字と手元の紙を見つつ「やったー大型生物駆除班のクジに当たったー」だの「うあー、研究班だー。誰か変わってよお」だの、言っている声が耳に入る。


「…ところで、新しくできた設備はどこかね。昨年からできたそうだが」


 話題を変えるためか、そう問うクラハシに「そうそう、そうでしたね」と答える案内役。


「なにしろ、昨年見つかったのはどこの惑星でも事例のない特殊生物でしたからね。対処法を見つけるのに苦労しましたよ」


 ついで、分厚い扉を開けると、室内にかかっている防疫服と分厚い酸素ボンベ付きの装甲服を全員に着るよう案内役はうながし、二重、三重の重い扉を開け、『関係者以外・立ち入り禁止』と書かれた室内へと足を踏み入れる。


「これがそうです。タンパク質の構造は地球の細菌類と似ていますが、環境適応による変異速度がかなり顕著でして。こうして氷点下で動きを止めておかないと、すぐに変化を起こして室内から逃げようとしてしまいます」


「え、これって…」


 目の前に浮かぶ物体にホタルは息を呑む。


 …それは、半ば凍りかけた青い球体。


 全体的な色は吸い込まれるような群青色で、ゆっくりと回転しながら淡く発光し、表面からは幾重もの青色のしずくを滴らせ、そのしずくも生物のように上がり下がりを繰り返しつつ、元の球体へと戻る運動を繰り返す。


「興味深い動きだ…それで、これをどこで見つけたんだい?」


 問いかけるクラハシに案内役は「そこのビンの中からです」と答え、室内の端にある透明なガラスケースに入れられたラベル付きの瓶を指した。


「持ち込んだのはミツナリ様です。その日はちょうどアズキ様が亡くなられた日であり、お話しした弁護士からこちらをいただいたということでした」


 そのビンを見るなり「…あれ、これって!」と、思わず叫ぶホタル。


 それにクラハシも気づいたのか「そうだね、おそらくこの惑星に来たホタルくんなら、このビンの正体がわかるだろう」と付け加える。


「ラベルが凍っているせいで読み取れないが、商品名は…」


「これ、『モノリスの雫』だ」


 目の前に置かれたビンが信じられず、思わず2、3歩下がるホタル。


「親父はこれを弁護士の人と飲んだって。磯の香りのする酒だって言っていた…でも、ここにあるってことは、これを口にしていた親父は大丈夫だったの?」


 その質問に答えようとしたのか、クラハシが口を開く。しかし、そこから先を続ける前に『いえ、もはや手遅れでした』と声が重なった。


『共に飲んだコジシ様と同様、ミツナリ様はもはや人では無くなっています』


 その声に、ホタルは周囲を見渡し、クラハシの防護服の腕からオオグマ弁護士事務所のコトの姿が投影されていることに気づく。


「…おや、ここに通信をしてくるということは。コトくん、何かあったかね?」


 そう問いかけるクラハシに小さな映像のコトは『ええ』と答えた。


『未変異者は全員避難させたのですが、どうやら海洋生物が隙間を見つけて建物の侵蝕を試みているようで、周囲の外壁もずいぶんと脆くなりかけていますし、このまま侵入を続けられてしまえば、いずれは建物の崩壊と、下手をすれば私も本ごと押しつぶされてしまう可能性があります』


 それを聞くなり「…まずいな」とクラハシも腕を組む。


「聞いたところによると、相手は取り込んだ生物の思考をある程度学習してしまうらしい。この惑星の人間の大部分はすでに侵食されているようだし、半日前から起きている空間航路の閉鎖や外部通信が断たれているのが良い証拠だ」


『困りましたね…でも』とコトは顔を上げる。


『こちらも調査してわかったことですが、まだ相手は電子頭脳への侵食…ひいてはネットワークへの侵入までは学習できていないようです。なので最悪コトが外部からの遠隔操作をされる心配はありませんし、このまま脱出路を確保して惑星外に逃げられれば、最悪の事態だけはまぬがれるかと思います』


 その言葉に「まあ、確かにそれはそうだが。最悪、ねえ…」と何か含みありげな顔を見せるクラハシだったが、ついでホタルの耳元に(おい)と声がする。


(ホタル、なんでそんなところにいる?どうしてパーティから抜け出した)


「え、親父?」


 見れば、半分凍ったままの球体の中には父ミツナリの姿。

 プレ・オープン時と同じスーツ姿で不機嫌そうにこちらを見ていた。

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