「動揺と脱出」

(なんだ、どうして本の中にいる。あ、俺の本がないじゃないか。どこやった)


 そう告げるミツナリに、ホタルは困惑しつつも「…っつーか、そっちこそ何を言ってるんだよ、親父」と反論する。


「だいたいアタシを置いて親父が先に出かけたんだし。それに会場ではアタシが地下にいたはずだとか、いちゃもんをつけ始めてさ。それでクラハシ博士と一緒に逃げることになったのを忘れたのかよ」


 それに球体の中のミツナリは(何を言っているんだ。そりゃあ、お前が騙されているのさ!)と憤慨してみせる。


(俺が、今日という晴れ舞台でそんなこと言うわけないだろう?なのにお前さんは俺が声をかけても部屋にこもったまま出てこなくて…そこにちょうどカネツキからタクシーをホテルに止めてるって連絡が来てさ。渋々会場に一人で行ったのは俺の方だぜ?今まで、寝ぼけていたんじゃないのか?)


 そのミツナリの勢いにホタルは飲まれ(えーっと)と、考える。


(…確かに『アンカー』無しの移動で、何度も妙な光景は見ていたけれど。でも、あれが夢じゃないと言い切るには、ちょっと説得力が)


 そう考えるホタルに(というかお前さ)と矢継ぎ早に言葉を続けるミツナリ。


(会場はすでに後半のダンスパーティに入っちまっているんだよ。みろよ、この背後の連中を。こんな状態でも、お前さんは俺を疑うのか?)


 そう言って、背後を指さすミツナリの後ろには、着飾った男女が仮面をつけて踊っている様子が見えていた。


(それに、さっきカネツキとも話したんだが奴さんは俺のことを随分気に入っちまったようでな。今後のお付き合いをかねて、俺のパトロンになってくれるって話しが出ているんだよ。これで、俺たちも金持ちの仲間入りだぜ…だからさあ)


(早く、こっちに来いよ)と、再びイラついた顔を見せるミツナリ。


(ポイントは中から指定できるだろ?秘書としての仕事を全うしてくれないと、こっちも将来に支障が出るんだよ。早くしろよ!)


 急かすミツナリにホタルは折れ、「ああ、クソ。わかった、行くよ。行けばいいんだろ?親父?」とウンザリしながら口を開く。


「リターンポイント、登録者ミツナリ」


 それに伴い、ホタルの体はミツナリの近くへと移動したはずであったが…


「あ、博士の言う通りだ。ホタルさんが来た」


 そう話すのは見慣れたカフェスペースで本をさらに積み上げるザクロの姿。


「え、ちょっと。なんで外に出れないのよ!」


 困惑するホタルにザクロは「だから、博士が調節してここに来るようにしたんだって」と言いながらカウンター上に置かれたコーヒーを口にする。


「今は、ホタルさんが契約が突然切れたことで情緒が不安定になっている可能性が高いって聞いていたからね。カモノハシと一緒に落ち着かせるように博士に言われていたのさ。まあ、給仕のカモノハシも眠そうだったから先に家に返してあげて、僕も今までお茶をして、のんびりしていたのだけれど」


 みれば、カウンターの上にはいくつもの飲みかけのコーヒーカップが並べられ、気づいたザクロが「あ、ひとつ飲む?」と勧めてくる。


「僕も時間があったら博士に寝るよう言われていたんだけど、試しに飲んだここのコーヒーが美味しくてね。種類も気になるし、ここはいっそ効きコーヒーを…」


「そんな話、聞きたくない!」


 ザクロの話をさえぎり、地団駄を踏むホタル。


「アタシは、ついさっき、親父に呼ばれたの。すぐに来いって、そうしないと次の仕事が来なくなっちゃうって。だって、だってアタシは…!」


「大変だよね、その年で記録係と秘書なんて」と不意に真剣な顔をするザクロ。


「博士から聞いたよ。契約書のせいで意思を操作されて自分を犠牲にして、学校まで辞めて、ミツナリさんを手伝っていたなんて…本当にこくな話さ」


 まるで、見てきたかのような口調のザクロにホタルはギョッとする。


「え、なんでそんなこと」


 するとザクロは「知ってるよ。だって昨年から君はミツナリさんの作品紹介の動画を投稿していただろう?」とカウンターで指をタップし、ホタルも見慣れた動画サイトを出現させる。


「この手の動画って解像度が高いから周りの風景とかも映るんだよね。動画内ではミツナリさんが自分で撮影編集しているように言っているけれど、ガラスに君の姿が映っている様子が何度か投稿されていた。博士も、それを疑問に思ってさ。何度かこのチャンネルを解析していたんだよね」


「え?でも、こんなのよくある話じゃ…」


 戸惑うホタルに「違う、違うよ」と首をふるザクロ。


「これは、はっきり言って惑星条例違反だ。基本的に成人を迎えていない子供には長時間労働が許されていない。にも関わらず、君の投稿時間と日数を換算すると、ゆうにその時間をオーバーしてしまう…やっぱり、気づいていなかったか」


 ついで、コーヒーを口にするザクロ。


「博士の話では、何度か行政側のアプローチもあったそうだけれど。でもミツナリさんをはじめ、君たち2人の足取りがなぜか追えなかったそうでね。僕らも最終的にコジシさん経由で事情を知って、ここに来たことでそのカラクリがわかった次第さ」


 ザクロは冷めたコーヒーを口にするザクロに「…そんな」と少なからずショックを受けるホタル。


「でも、よく考えてみればそっちもおかしいじゃない。クラハシはなんの繋がりでコジシから事情を聞けるのよ。それにコジシはオオグマ側の人間だし、親父とも関係があるんでしょ?どう繋がっているか、わけわかんない!」


 頭を抱えるホタルにザクロは困ったのか「あー…」と視線を泳がせる。


「いや、その辺りの関係は僕も知らないし…いや、本当は博士が以前に説明してくれていたかもしれないけれど、聞き逃していた可能性もあるし」


 急にしどろもどろになるザクロ。その体からはレモンのような香りが漂いだしていたが、それを指摘する以前にさらにいらだったホタルは「ちゃんと確認しなさいよ!それぐらい!」と思わず叫んでしまう。


「何?その優柔不断な態度。これで研究者の助手をやってるなんてちゃんちゃらおかしいわ!」


 途端にザクロはひどくショックを受けた顔をし「どうしよう、こんな質問想定していなかったぞ?」と急にその背が10センチほど縮んだ気がした。


「えっと、どうしよう。いっそ、本人に確認して納得してもらう?確か、博士もホタルくんが納得できるならある程度の話はしたほうが良いって言っていたし」


 ますます縮こまり何やらプツプツとつぶやくザクロだったが、やがてホタルのほうを見るなり恐る恐ると言った感じで「…だったら、少しだけ外に出てみる?」と提案する。


「え、いいの?」


 それにレモンの香りをまだ漂わせたザクロは「うん」と小さくうなずく。


「博士ほどじゃないけれど、僕もシステムに侵入できる能力を持っているし。パッと出て、コトさんに簡単に説明してもらえれば君も納得できるかもしれないし」


 それは完全に想定外。そこに半ば冷静になったホタルはふと先ほどのコトの通信を思い出し「ちょちょちょ、待って。やっぱダメ」と自分で言ったことながらも慌ててザクロを止めようとする。


「今の無し。だって、コトさんが外はヤバいって言っていて…!」


 しかし、ザクロは静止しようとするホタルの姿を気にも止めず「まずはここの建物の空間移動装置の場所を感知するところから初めて…」と、おもむろにカウンターに手を置き、目をつむる。


「うわ…!」


 瞬間、ホタルはザクロの手の甲から細やかで白い無数のヒゲ根のようなものが生えるのを見た気がしたが、それは瞬く間に腕を伝ってカウンター内部へと侵入していく。


「僕の身体…というか、出身星の誰もが本当はそうなんだけど、自分の意思で肉体を自由自在に変えられるんだ」

 

 ザクロの説明にホタルはふとその話に耳覚えがあったような気がしたが、手の乗ったカウンター上の根はさらに成長を進め、今度は逆方向に成長を始めザクロの腕を伝い、胸から首筋、そして彼の顔を覆っていき…


「ここだ!」


 途端に叫ぶザクロ。

 気がつけば、目の前には狼狽した様子のコトの顔。


『え、みなさん。どうしてここに?本の中に避難していたはずなのに』


 …そこは、惑星都市のホテルのエントランス。

 ロビーにはホタルとザクロだけではなくクラハシや大勢の戸惑った人々の姿。


「ザクロ、さては何かしたな?」


 そう答えるクラハシに、ザクロはハッとした顔をし「すみません、博士。失敗しました」と素直に頭を下げた。

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