「足元の魚と移動電車」
(…あれ、ここどこ?)
気がつけば、足元に広がるのは大量の魚の死骸。
水面の見えるガラスの上。周囲は透明なドームに覆われ、壁から突き出す巨大な柱は中央に据え付けられた巨大な浮島を支えているように見えた。
(ドームの反射で島の上にビルが見える。親父のデザインしたものにも似ているけれど。じゃあ、ここは惑星モノリス?んー、でもさっきまであたしクラハシから来たメールを確認していたはずなんだけど)
困惑しつつ、ここに来るまでの過程を必死に思い出そうとするホタル。
『ちょっと緊急の案件があってね。手を貸してくれないか?』
そも、クラハシからのメッセージが届いたのは昼の1時を過ぎた頃。
動画編集と投稿を無事終え、ちょっとお昼休憩と机の下にある簡易冷蔵庫から引き出したチキンサンドをパクついていたホタルは画面に出た文を見て驚いた。
(…なにこれ、連絡先を教えた覚えなんてないんだけど?)
サンドイッチの包み紙を小さく畳み(これは、母アズキのしつけによるもの)足元の移送ゴミ箱に放り込みつつ、ファイル付きのメッセージへと目を落とす。
(イタズラならすぐに捨てるけど…一応確認しておかないとな)
付いていたのは小さな映像ファイル。
開くとクラハシの顔が画面いっぱいに映し出された。
『やあ、開いてくれて嬉しいよ。じゃ、ちょっと顔を貸してくれ』
「は…?」と答えるままに、ホタルの意識はそのまま画面の中へと引っ張られ…
(…あー、そんな過程で来たのか。マジでワケがわからないんだけど?)
足元の魚は腐り始めているのか白目を剥いており、柱の中心から放水したのか栄養剤特有の薄緑色が濁った状態でホタルの足元のガラス下まで達していた。
(魚に触れている感じもないし、これは映像かな?臭いとかスゴそう)
魚は靴を透過しているため、それらが実体のある存在ではないことはわかるものの、何ゆえ自分がこんな場所に連れてこられたのか、まるで理解ができない。
(…ってか、あそこにいるのはカネツキ氏?)
見れば、ホタルの近くにはカネツキ氏の姿。
スーツの足元は膝丈まで濡れ、一人の女性を抱えているようだ。
(透けてるから、あれも映像?…でも、あの人。様子がおかしいな)
ずぶ濡れの女性は顔が青白く、息をしているようには見えなかった。
(死んでる?まさか…!)
ついで、足元のガラス全体から泡の弾けるような音がし、どこか不明瞭な声が辺りに響いた。
『ねえ、その人を生かして欲しい?』
女性を抱え、うつむくカネツキ氏。
その頭部がわずかにだが、コクリとうなずいたようにも見えた。
『そう、じゃあ…』
その先、声の主が何を言ったかはわからない。
瞬く間に周囲に雨が降り出し、音を何もかもかき消していく。
「なるほど、これがこの
足元の水かさが増していく中、ふと隣でクラハシの声が耳に入る。
ホタルは振り向きたい衝動にかられるが、かさ増しした水はすでにホタルの胸をゆうに越えており、あっという間にホタルの顔は水面へと浸り…
「わあ!本当にアナタは『アンカー』なしで移動ができるのね!」
目の前にいるのは、つい先ほどまでガイドをしていたオリと名乗る少女。
そのかたわらには電動式の椅子に腰掛けた一人の女性がくつろいでいた。
女性は透けるような髪質で、どこか印象の薄い見た目とも相まってか、彼女の長い髪は床や壁に無造作に広がり、まるで部屋と一体化しているように見えた。
「オリ嬢に、カネツキ夫人。先ほどのご要望通りに空間移動を使ってこの『空間移送車』に戻りましたが…満足ですか?」
ついで、ホタルたちのいる空間は瞬く間にビルの中に飲み込まれる。
電灯が顔を照らす中、クラハシは特に驚いた様子もなく立ち続け、壁面には、乗り物特有の『空間透過時の接触酔いにご注意ください』の文字が表示される。
「ねえ、母様。本当にいたでしょう?『アンカー』無しで移動できる人」
無邪気な顔で女性を見上げるオリ。それにカネツキ夫人と呼ばれた女性はゆっくりと笑んでみせ「そうね」とうなずく。
「確かに、『アンカー』無しで移動ができるなんて珍しい人。ええと、アナタは惑星生態学がご専門のクラハシ博士…で、よろしいんでしたっけ?こちらも不勉強なものでアナタの分野についてもう少し詳しく教えてくださるとありがたいのですけれど?」
ビル内を進む乗り物は、今や淡いライトに照らされたレタスやキャベツの棚を通過し、『植物栽培エリア』と表記された文字が壁に浮かぶ。
そんな中、始終落ち着いた様子で「…そうですねえ」と視線を上げるクラハシ。
「惑星生態学とは該当の生物の生態系を調べるだけでなく、星全体を一つの生き物としてとらえ、その星で発達した、文化、芸術、歴史などと統合的に調査して、宇宙全体においてそれらがどのように影響を及ぼすのかを、長期的ながらも統合的に研究する学問のことです」
「…ずいぶんと壮大な研究なこと」
どこか大袈裟に驚いてみせるカネツキ夫人。
それにクラハシは「ちなみに」と続け、後ろへと目線を送る。
「私が本日連れている助手ザクロは動物行動学と心理学が専門でして。人も動物の一種ですから、現在のお二人の振る舞いについても、彼にとっては興味の対象として映っていますので、お気を悪くなさらないように」
「…ふふ、面白い。その格好も私たちの反応を見るためかしら?」
その言葉にホタルもつられて見れば、そこにはケッタイな格好をしたザクロの姿。全身は黄色い防護服で完全密閉され、顔は透明なフェイスシールドのためにかろうじて見えているものの仮にも惑星のオーナー夫人の目の前でするにはあまりにも場違いな格好に正直ホタルは面食らってしまった。
「で、そちらのお嬢さんは?」
そう言って、ホタルに会釈するカネツキ夫人。
クラハシはそれに「彼女は今後、私の2番目の助手になるかもしれない、ホタル嬢です」と、いけしゃあしゃあと
「本日行われる、プレ・オープンに参加するデザイナー。ミツナリ氏の一人娘でもありますが映像制作のプロディーサーをも兼任しておりまして。私どもの訪問について話をしたところ、大変興味を持ち、密着取材を兼ねてぜひ同行したいと付いてきてくださいました」
(何言ってんのよ、この人!)
ホタルはとっさに否定しようと口を開けるもクラハシは間髪入れず「それで」と、話を続ける。
「先ほども申し上げました通り、この惑星には重要なインシデント。つまりは、危機的状況がさし迫っています…ですが」
ついで、クラハシは部屋を見渡すと「それにともない、カネツキ氏のご意見をちょうだいしようとしていたところ、それならアナタが適任だと紹介していただいた次第でして」とオリへと目を向ける。
「その時に同伴されたオリ嬢が、私の空間移動に大変興味を持たれまして。ここは円滑に話を進めるためにもオリ嬢の要望を叶えてあげた方が良いと思い、車内でデモンストレーションを行った次第でして…では、本題に入ってもよろしいでしょうか?」
長々とそう語るクラハシに(んー?)とホタルは首を傾げる。
(つまりは、たらい回しでここに来させられたあげく、オリのご機嫌取りで私が巻き込まれたってことで良いのかしらん)
それにしても迷惑な話だし、なにゆえ自分が呼ばれたのか意味がわからない。
(いっそ帰ろうかな?でも、本はホテルに置いてきちゃったし…)
本の所有者があくまでミツナリである以上、中から彼に呼び出してもらわないと移動もままならないのが現状。
困りながらも周囲をみれば、景色はいつしか巨大なイベントホールの内部へと移り変わり、各所にかかる垂れ幕には『本日と明日の2日間、宇宙交響楽団からサプライズゲストをお招きします、誰が来るか乞うご期待!』と顔を隠した仮面の男女が楽器を手に持ち微笑む様子が投影されていた。
「何からお話ししてくれるのかしら…楽しみね」
少し、前のめりになる夫人に「さて」と言葉を続けるクラハシ。
「では、まず。カネツキ夫人に質問ですが、この星を選んだ理由とその過程を教えていただけますか?」
壁に浮かぶ『下降します。体内の接触酔いにご注意ください』の文字。
下降特有の腹の底からくるふわりとした感覚がホタルを襲うなか「まずは質問からなのね、面白いわ」と夫人は片頬に手を当てる。
「それはこの星に生物がおらず水が豊富だったから…で、よろしいかしら?」
ついで、ビル内にある机や椅子がホタルの体内を通過し、明暗を繰り返す視界と接触酔いにホタルはぐらぐらする。
(うへぇ、気持ち悪う)
あくまで物質同士のすれ違い。身体的影響はまったくないと学校で言われているものの、下降時の重力変化と視覚の混乱はホタルの体にはかなり堪えた。
「惑星建設の法律に詳しいオオグマ弁護士事務所の認可を始め、惑星環境委員会の事前調査や検査証明書ももらっております。都市を造る工程も夫の経営する惑星で材料をあらかじめ組み立て、空間移動でこちらに持ってくる形を取りましたが…そこに、なにか問題でも?」
(突ける部分があるのなら、どうぞ?)と言わんばかりに微笑む夫人。
下降を続ける移送車の中、クラハシは「そうですか」とうなずくと「…では、調査をされた委員会の代表者は?」と、さらに問いかける。
そこに「私、ですが」と間髪入れず答える夫人。
「こう見えて、若い頃は生物学を先行しておりまして。夫の支えになるならばと数年前から環境委員会の認定調査員も兼任しておりました…なにせ、効率重視が夫の会社のモットーですからね。重宝されておりますよ」
そう答えつつ、クスクスと笑うカネツキ夫人だったが、ふいにその表情が冷めたものへと変わると「ああ…そうでしたわね」とクラハシに目を向ける。
「…クラハシ、クラハシでしたね。アナタのお名前は」
そう問うカネツキ夫人にクラハシは「そうですが?」と答えるも、いつしか、移送車はコンクリートに覆われた室内で動きを止める。
「思い出しましたわ。『惑星生態学者クラハシ』委員会の噂によれば、ずいぶん昔に学会を追放された異端の学者…とか?」
ついで、音もなく夫人とオリの目の前に降りてくる1枚のガラス板。その壁面にはクラハシの姿が記事として所狭しと並び、日付は1年前のものから最近まで様々であった。
「昨年、ある星で大量の人間の失踪事件が起きたそうで。その件にアナタが関わっていたと『スペース・ウィーク』では報じられていますけど?」
ついっと空中で指を動かし、記事の一枚を大きく映し出す夫人。
しかしクラハシは記事を
「確かに、私がこの星に関わったことである程度の人数が別の惑星へと移住することになりましたが、彼らにとっては任意の移動です。この件で大量失踪事件の犯人として仕立てられるのは、いささか気分が悪いですね」
ついで、クラハシは記事をタップすると、どこか座った目で小太りの担当記者の顔を呼び出す。
「それに、この記事を書いた彼自身、同惑星の出身者です。書いた時期も、話では移住後間もなくのこと。来月末には自分の出した記事について訂正文を出すとも聞いておりますが…夫人。その事実はご存知でしたか?」
夫人はそれを聞くなり「そうでしたか、不勉強なもので」と目を逸らす。
「ですが、アナタが夫から危険視されていることに変わりはありませんので」
ついで、照明が絞られるとオリと彼女の姿が足元から消えていく。
「しばらくのあいだ、こちらで休んでいてください。後のことにつきましては、夫と共に再度検討させていただきますわ」
さらに消えていく2人の姿にクラハシは大げさにため息をつくと「どうやら」と夫人とオリを見据えてこう続けた。
「今の時点でアナタ方は狭い世界で物を見ているようだ…まあ、他の星でも同じことはいくらでも起こりうるものですがね。こちらは誤解が解けることを祈っておりますよ」
夫人はそれに「…そうですか」と続けるも明かりは完全に消え去り、あたりは暗闇に包まれる。
「では、ホタルくん。ちょいと手を貸したまえ」
ついでクラハシの声とともに腕を捕まれる感触を覚えるホタル。
そのとき、なぜか室内には磯の香りが立ち込めていた気がしたが、すぐにその匂いは消え去り…気がつけば、ホタルは見慣れたビルジングの中に立っていた。
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