「その名はサミダレ・ビルヂング」
「今日はありがとう。またプレ・オープンの時に会いましょう!」
窓から顔をのぞかせ、手を振るオリ。
彼女を乗せたリムジンはビルの谷間へと消えていく。
「いやー、やっぱ最新の技術で造られた観光リムジンはすごいなあ。車内にいながらにしてあそこまで詳しい説明を聞けるとは…こりゃ
言うなり、ミツナリは近くの停留所の座席に腰掛けると「ホタル。アイデアが湧いた。ホテルは目の前にあるだろ?あとはヨロシク」と、腰にぶらさげた本を指さし、電子スケッチブック付属のペンを手に取る。
そこから先はまさに
凄まじい勢いで自身のアイデアを描き出すミツナリは正確かつ
「いいぞ、久々に乗ってきた…こりゃあ良いものができるぞ…!」
その様子を目で追いつつも(うーん。こうして絵を描くあいだはかなりスゴイ人間に見えるんだけどね)とため息をつくホタル。
…確かに、ミツナリの絵を描くあいだの集中力は凄まじいものがあった。
描き出される作品も何度かコンペで上位に食い込むことが多く、実際、賞金まではいかずともかなり高評価を受けることも多かったのだが、いかんせん本人が途中から投げ出しやすい気質のため中途半端な未完成品になることが多く、そのため今日まで家族が食いっぱぐれる要因になっていたのも確かであった。
(ま、今はそこそこ仕事が来ているし…といってもこのまま見てれば不審者扱いされかねないし?ホテル側から通報される前にさっさと片付けないと)
ついでホタルは手に持ったカメラを操作すると2体の羽虫型カメラを取り出し1体をミツナリの周囲に、もう1体をミツナリの肩へとはり付ける。
(これで座標と位置どりは完了…っと)
ついでホタルは撮影の素材にと手元につけたドローンが送ってくる映像を確認しつつ「ちょいと失礼」と一言ことわり、腰に下げた本を取り上げた。
「…お連れさまは、あのままで?」
未だに描き続けるミツナリを置いてきぼりにしてからの徒歩1分。
カウンターから外のガラスへと目をやるホテルの支配人に「ええ、後で自室の方に向かわせますので」と涼しい顔で返事をして、ホタルは端末で会計を済ませるとルームキーである数列パスワードを受け取る。
(あの人、顔がカネツキ氏とは違ったな…アンドロイドじゃなくて本物の人間も雇っているんだ、ちょっと意外かも)
そう考えつつも歩くホテルの壁面にはカネツキ氏の指示によるものかミツナリが過去に描いた油絵がデジタル画像として大きく映し出され、時間毎に変化する壁紙を横目で見ながらホタルは設置されたエレベータへと乗り込む。
「さて…と」
そこはゲストのためにとカネツキ氏が用意したスイートルーム。
だが、ホタルは中に入るなり備え付けのテレビからベッドの下まで、それこそ部屋中をガサゴソと漁り、一息ついて手を叩く。
(盗聴器の類は無し…っつーか、なんであの親父はそこまで警戒するのかね?)
いくら思い返してみても、後ろ暗いことはおろか自分たちに大した財産も無いことを知っているホタルだったが、これ以上ミツナリを外に放置することに何のメリットも無いことを思い出し、持参した本の電子バンドをパチンと解く。
「ただーいまーって…いつもの通りに誰もいないけど」
そこは5階建てのエントランス。ガラス張りの天井には青空が覗き、廊下や壁にはひしめき合うように大量の本が積み込まれていた。
…そこは巨大な書庫。
カテゴリーごとに分類はされているものの本の種類は千差万別。図鑑に雑誌、専門書に小説と、ホタルが生まれてこのかた全て読めた試しがないほどの大量の書籍が埃一つない広大な建物の中にぎゅうぎゅうに敷き詰められていた。
「自宅兼、書庫…確か名前は」
(その名は、サミダレ・ビルヂング!!!)
途端に周囲から一斉に聞こえる声の群れ。
「ああ、そうだった。そうだった」とホタルは答えるも(…でも、室内のどこを探してもそんな名前は書かれていないんだよね)と首を傾げてみせる。
なのに名前だけが頭に響く、奇妙な現象。
誰が呼んだか、サミダレ・ビルヂング。
(ま、いっか。さっさと親父を中に入れないと文句が出る)
ついでホタルは中央のカフェスペースへと向かうとキッチンにある流しで手を洗い、ドリンクマシンからコーヒーとホットチョコをそれぞれカップへと注ぐ。
(…親父は陶器製の高めのカップ。あたしはそのへんにある雑誌の懸賞でもらった丈夫なカップにしておくか)
ドリップの最後の一滴まで注ぎ終え、両手に二つのカップを持ったホタル。
ついで上を向くと「転送装置よりアンカー・ポイントの設置。インカメラ映像より子機2の人物を対象とする」と声をはりあげた。
とたんに声に合わせるかのように、腰に下げたカメラに縦横の青い線が走り、カウンター上に立体映像のミツナリの姿が浮かび上がる。
「子機2体のポイントより2階端のミーティングルームに1名を転送。それと、カウンター上のコーヒーも同じポイントの作業台の上に移送して」
高級カップをカウンターの上に置き、指示を出すホタル。
その声に合わせるかのように、映像の中のミツナリとカウンター上のカップが上から少しずつ消え、2階端から青い光が漏れ見えた。
「…『転送完了』っと」
画面に浮かんだ文字を口に出し、ホッと息を吐くホタル。
「母さん。今回もちゃんとできたよ」
そう言いながらも背後を見れば、まだ赤子の頃のホタルを抱き上げる母アズキが額縁の中で微笑んでいた。
それは、今どき珍しい静止画の写真…撮ったのはミツナリであるもののそれも気まぐれの産物で、そのカメラも今はお下がりとしてホタルの腰にぶら下がっていた。
「…でもなあ。まさかウチ以外に固定されていないアンカーを使える人に会えるなんて。世界は広いなあ」
そう独りごちつつもカウンターに寄りかかり、ホットチョコをすするホタル。
「ああ、親父にも一声かけておかないと。後で文句言われても嫌だし」
休んでいる暇はないと再度腰をあげ、ホタルは広いホールを歩き出す。
通り過ぎる部屋はどこもかしこも本棚でいっぱいで、そのほとんどがミツナリのガラクタ置き場というか中途半端な作品の物置小屋となっていた。
(片付けようとすると文句言うし。なーにが「溜まった埃で俺の年代を表している」よ…完成してないものが大半なのに、ただの未完成品置き場じゃん)
試しに目を向けた一室は、どこで拾ったものやら、マイクロチップすら入っていない旧式のドラム式洗濯機やら、そうめん流し機やら、骨のバキバキになったベッドやらが無茶苦茶な角度で天井まで積み込まれており、隙間から覗くバスルームの扉がなんだか情けなく思えるほどに、見事にとっちらかっていた。
(親父の話じゃあ『過去の生活式アート部屋』らしいけど、こんな調子でガラクタ部屋が増加したら、いつか寝る場所がなくなっちゃうよ)
そんな心配をしつつも、ミツナリの転送先である2階端へと着くと、ホタルはミーティングルーム兼作業場をのぞく。
そこには床や壁に大量に積まれた描きかけの電子キャンバスの山があり、真ん中に鎮座するミツナリはまさにお供物の積み上がった不動明王然としていたが、あいにく、ありがたくもなければ邪魔なだけのその姿にホタルは本日幾度目かのため息をつく。
(あー…コーヒーがそこにあるのがすごいよね。一度もこぼれた試しがないし)
元・作業台さえ見えないほどに積み上げられたキャンバスの群れ。
その上で絶妙な位置でバランスを取るコーヒーにホタルは妙な感心を抱きつつ、ドア向こうの父親へと呼びかける。
「おい、親父。スケジュールを組み直しておいたから。あと、スケッチブックのタイマーが鳴ったら指示した番号のロッカーを開けてちゃんと着替えるんだぞ!以前に選んだ、パーティ用の衣装が更衣室にかけてあるから」
声は、届いているのかいないのか。
ミツナリは作業をする手を止める様子もなく「あぐうっ」だの「違うっ」だのと次第に
(この様子からみるに、まーた駄作として放り出すことになるのかな?)
苦悩する父親を見ながら、いつものこととホットチョコをすするホタル。
そして半ばまで飲み切ると「んじゃ、よろしく」とホタルはうなり続ける父親をそのまま部屋へと残し、元来た道を戻ることにする。
「後は撮ってきた映像を編集してっと…今日は長かったなあ」
そんなことを口にしつつも、カウンターへと戻るなりホタルは台を軽くタップしてビルの間取りと保管物リストを呼び出し、先月ミツナリが嬉々として購入したスーツがロッカー内にあることを再度確認する。
(うへぇ…ビーバーとオレンジとヤシの木が踊りまくるなんて、すさまじくダサいスーツだこと!)
そして、最後に端末でタイマーの登録を確認すると、ホタルは今まで張りつめていた緊張をようやく解いた。
「あーあ…よし、これで少しは時間ができるっと」
ついでキッチンの背後の冷蔵庫を開ければ、そこには袋入りのラスクが一つ。
「おー、今日のおやつはラスクか」
冷蔵庫内のデザートの中身は開けるたびにランダムとなっており、これは母親の代から変わりない便利な供給システムで3食2回のデザート付きの豊かな食事は少なからずともホタルの心を癒してくれていた。
(誰が入れてくれたものかわからないけど…ありがたいこって)
冷蔵庫の中に手を合わせ、ついでにホットチョコのおかわりを淹れるホタル。
そうして、行儀が悪いことを知りつつもカリカリとラスクを味見しながら廊下を進む…その先にあるのは『物品倉庫』と表示されたドアであり、開ければそこは自室兼作業スペース。
6畳ほどの空間には4台のパソコンの載ったデスク。卓上にはホタルが本棚から抜き出した参考書籍がブックスタンドの上に雑に並んでいた。
「さてと、撮ってきた動画を編集しますか」
空いたスペースにカップとラスクを置き、母親の代からある備え付けのリクライニングチェアへと腰掛けると再び気合を入れるために息を吸い込むホタル。
デスク定位置のUSBスペースにカメラを置けば、パソコンが自動で動き出し、吸い上げられた映像データがフォルダの形で表示される。
これらを編集し、事前に作っておいた惑星投稿サイトのチャンネルに投稿すればホタルの一日の仕事が終わるのだが、その作業時間こそが日々忙しないホタルにとって一番落ち着ける時間であり、また楽しいひとときでもあった。
「さ。時間が押してるし、さっさと作業しないと」
残りのラスクをかじりつつ、パソコンに向かうホタル。
パチパチとソフトデスクの上に照射されたキーボード上で指を動かし、動画を細かく切り貼りする作業…そのかたわらで投影された丸い時計はまもなく正午を指そうとしていた。
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