第24話
「潤ちゃんも食べる?」
ヨシくんが縁側でスイカを食べていた。
横に座って食べ始めるとヨシくんが、ぷっと種を庭に飛ばした。
「まーくんに怒られるで」
「堅いこと言うなよぉ」
ある年、実家の庭に得たいの知れない芽がたくさん出てきた。雑草かと思って様子を見ながらも放置していたら、地面を這うように蔓が伸びてスイカの実がなった。
「あったねぇ。でも、スイカの形はしてたけど不味かったんだよな」
やっぱ、ちゃんと肥料あげて育てないとダメなんだな、とヨシくんはからからと笑った。
「あれも、ヨシくんが吐き出した種のせいやん」
「そうなんだけどさぁ、俺、思うんだけど、潤ちゃんのせいもあるんじゃないかな?」
「は?」
何言ってんの。
「いや、実家もそうだけど、この家もさ、潤ちゃんが来てから庭の木の成長が著しいんだよね。梅なんて去年まで、こんなに実ならなかったしさ」
「ピアノは植物の成長にイイって言うしな」
まーくんの声に振りかえると、背後に立っていた。
「今度、イチゴ埋めてみようか」
「やめろ」
俺の横に座ってスイカに手を伸ばす。
「まあ、この家も老朽化してるから、ヨシが家を出たら庭を含めてリフォームして俺の仕事部屋を造るかな」
「え? 何言っちゃってんの! 俺、出てかないよ!」
「おまえ…卒業した後、就職すんのかどうか知らないけど、家を出て自立しろ」
今みたいないい加減な生活はやめろよ、とまーくんのお説教が始まった。
確かに、友達の家に泊まると言って帰ってこない日も多い。時々、まーくん達が、あいつ、ちゃんと大学行ってるのかなと話していた。
「やだよ! 仮に東京で就職しても、こっから通うよ! 俺、ふたりから離れないからね!」
実家からは巣立つもんだ、とか、このままでいいとか、いつものやり取りが始まった。
本物の兄弟の小競り合いも、今は聞いてて楽しい。
まーくんと博人くんが出て行った後の家は、ヨシくんと二人で寂しかったから。
「潤一はイヤでも大学卒業まで7年あるから、家は出られないけどな」
「ずるい。なんで潤ちゃんには甘いの?お兄ちゃんも博人くんも!」
こっちに火の粉が降りかかってきた。
俺からすれば、ヨシくんも充分甘やかされてると思うけど。
ヨシくんは、ふたりが決して自分を見放したりしないことを知っているから、伸び伸びと好きなことを出来るんだろうな。
ヨシくんにとっては自慢のお兄ちゃん達なんだよね。
呼び鈴が鳴り、玄関から癖のある高い声が聞こえてきた。
「こんちわー」
「あ、裕くんや」
今日は花火大会を裕くんと見に行く約束をしていた。
「よお、今日は潤一を頼むな」
「おう」
バッグを掴んで玄関に行くと、まーくんと裕くんが立っていた。
裕くんの少し横柄だけど、はにかむような表情は新鮮だ。
あの日以来、裕くんとはよく顔を合わせるようになって、話したり遊んだりするようになっていた。
最初は2歳上ということに驚いたが、付き合っていくうちに意外と面倒見がよくてお兄ちゃんっぽいところがあるのを知った。
口は悪いけど優しくて気を使ってくれるとこや、ちょっとビビりなとこは、少しまーくんに似ている気がする。
なんだか、ずっと前から一緒にいるような感覚になるので不思議だ。
海に向かって歩きながら、『瞳子』さんがいなくなった経緯を簡単に話すと、裕くんは少し残念そうな表情をした。
「そっか…彼女、いなくなったのか」
「うん」
裕くんは彼女と博人くんの関係を、おばあさんから聞いたらしい。
もう一度、裕くんに会ってもらって話を聞きたかったな。
ふいに裕くんが、囁くようにハミングを始めた。
聞き覚えのあるせつないメロディ。
「―――ジムノペディ」
「あ? なんだそれ。これ、あの人が弾いてた曲だけど」
ショパンとかモーツァルトとかじゃねぇの? と眉を寄せた。
「曲のタイトルだよ。でも、耳がいいんやね。一回聴いただけで口ずさめるんやから」
照れたのか肩を竦めて、前を行く。
そうか。サティが好きだったのかな。儚くて切ない、彼女に似合う曲のような気がする。
裕くんの背中を追っていると、海に近づくにつれ、人が多くなってきた。
人ごみに押されて離れそうになったので、慌てて裕くんの手を握る。
驚いた顔をする裕くんに、あ、と思う。
「ごめん。嫌やった?」
まーくん達といる時、人混みでは、はぐれないように手を繋ぐ習慣がついていたから、つい手を掴んでしまった。
「…いや、いいけどよ」
手を繋いだまま人の流れにそって歩いていると、静かな声で裕くんが言った。
「潤一がいるから、あの人も安心して消えたんじゃねぇの?」
「…え?」
「ピアノの音って悪いものを寄せ付けないんだろ? おまえがいればあの家は安心だろ?」
立ち止まると、裕くんが訝しげに振り返った。
「どうした?」
「俺……役に立っとるんやろか」
引き取ってもらってから、迷惑をかけてばかりで何の恩返しも出来てない。
高い学費やレッスン料を出してもらって、俺に返せるものがあるのか、いつも不安だった。
「おまえに、何か返してもらおうなんて思ってないだろ」
思わず裕くんの顔を見る。裕くんは俺の方を見ていなかった。
「あの3人が、見返りを期待しておまえを可愛がってるようには見えねぇよ。面倒見てくれたおじさん達だってそうだろうよ」
「裕くん?」
握っている裕くんの手に力が入っているのに気付いて、握り返すと、はっとしたように顔を上げた。
「―――ばあちゃんに言われたんだよ。もらった愛情や恩は、新しく家族を作って、その家族に与えてやれって」
「新しい家族…」
「親や生まれた環境は選べないけど、自分で新しい家族をつくることは出来るってさ」
裕くんの家族も、複雑らしい。鎌倉に来たのも、何か訳があるのかもしれない。
俺もいつか、楠木家を出て…あの3人と離れて、新しい家族をつくるんだろうか。
「…想像でけへん」
普通の家庭で育っていないのに、誰かを愛したりできるんだろうか。
まーくんや博人くんからもらった愛情を誰かに分け与える事なんてできるのか。
『普通の家族』の作り方も分からないのに。
今度は裕くんから手をぎゅっと握ってきて、我に返って横を見ると、少し低い位置にある大きな黒目が俺を見つめていた。
濡れたように見える目は、暗くなり始めた中でもきらきらと光っている。
黒曜石みたいだ、と見入っていると、ふと目を逸らしてしまった。
「今度さ、あの曲弾いてくれよ」
「…ええよ」
「おまえさ、ピアノ弾き続けろよ。おまえの音、好きだからさ。それに…」
「え…?」
最後の方は、打ちあがった花火の音にかき消されて、よく聞こえなかった。
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