第22話
今日は雨が降っている。
ショパンが弾きたくなって客間のピアノの前に座ると、彼女が傍らに立った。
ふ、と彼女の手が自分の手に重なって指が動く。不思議な感じだ。
自分の指なのに、自分じゃないみたい。滑らかに動く指。
彼女もピアノが好きだったのかな。
弾き終わって、居間に戻るとヨシくんが拍手してくれた。
「今日はなんか、きれいな曲だったねぇ」
ヨシくんは、とても耳がいい。クラシックの知識がなくても、感覚で感想を言ってくれるので嬉しい。自分でも気づかない些細な事も、音を通してすぐに察知してくれるし、アドバイスもくれる。
軽くピアノを振り返ってみたが、彼女の姿はもうなかった。
かまくらカスターあるよ、と差し出してくれる博人くんの顔を見ると、やはり彼女に似ている気がした。
ふわふわのかまくらカスターにかぶりついて、博人くんの表情を伺う。
「どうした?」
日焼けをしない博人くんの白い顔を見つめていると、訝しそうに尋ねられた。
「…博人くんは、お母さんのこと、どう思ってるん?」
「どっちの?」
俺の唐突な問いかけにも、博人くんは今更動じない。
「博人くんを産んだお母さん」
「何も」
即答だった。
ヨシくんは博人くんの方を伺いながら、会話の行方を見守っている。
このことを話題にした事は一度もないし、はっきりと説明されたわけではないが、なんとなく事情は聞いている。
博人くんには産みの親がいること、その人が20歳のとき亡くなったこと、まーくんを攫って一緒に死のうとしたこと。そのせいでまーくんは小さい頃の記憶がないこと。
親戚のおばさん達が、こそこそと話しているのを聞た事もある。大人たちは子供は大人の話なんか理解できないと思ってるみたいだけど、そんな事はないんだ。その時は曖昧に聞いていても、記憶に刷り込まれた言葉をパズルのように組み合わせて、そういうことだったのかと後から理解する。
「何も?」
あまりに攣れない言葉に目を見張った。
いつもの優しい博人くんではない。
博人くんから冷たい空気が流れてきて、ヨシくんが無言で肩を竦めた。
「強いてあげれば、真幸を奪おうとしたのは許せないかな」
カフェオレを飲みながら、にこやかだけど背筋が凍るような声で言った。
「急にどうしたの? 何かあった?」
次の瞬間には、いつもの博人くんに戻っていたが、ヨシくんの視線が『やめろ』と言っているのに気づき慌てて話題を変えることにした。
「…ううん。ただ、今、俺のオカンが現れたら、俺、どうしたらいいんかなって思って。おいてかれた時は、早く迎えにきてくれへんかなって思ってたけど、今は…」
ごまかすために口をついて出た言葉だが、言いながら本当に俺はその時、どうすればいいかな、と急に不安になった。
おじさん達に養子にならないかと言われたとき断ったのは、オカンがいつか迎えにくるかもしれないと思ったからだ。
考えの甘い子どもだった。
もう、行方の知れないオカンには何も期待などしていない。
今はここを離れたくない。3人のそばにいたい。
博人くんとヨシくんが顔を見合わせている。
「俺たちは潤一を手放す気はないよ。手塩にかけて育ててきたのに、今更、返してくださいなんて虫が良すぎるね」
「でた、ブラック博人くん」
ヨシくんに笑い返してはいるけど、博人くんの目は笑ってない。
「でも、俺たちに遠慮することはないよ。最終的には潤一が決めるべきだし、自分の進む道は自分で責任をもつように教えられてきたでしょ?」
「うん」
「ヨシくんもだよ」
巻き込まれたヨシくんは、わかってるよ、と口を尖らせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます