第21話
夏休み前の終業式の日、駅の改札を出ると同時に肩を叩かれた。
「よお、学校帰りか?」
「あ…裕くん」
長めの髪を後ろにしばって、ポケットに手を突っ込んでいる姿は相変わらずだ。
「そうやけど、裕くんは?」
「俺はバイトの帰り」
「昼前なのに? なんのバイト? 学校は?」
「パン屋。焼く方だから、朝早く始まって昼前に終わる。高校は中退した」
「えっ…」
驚く俺の顔を、おもしろそうに裕くんは笑って見ている。
家に向かいながら話を聞くと、母親と一緒に暮らしていたが、高校を中退したのと同時に鎌倉のばあちゃん家に住むことにして、製菓教室に通ってるのだという。
そういえば、まーくんがお菓子作りを教えてるって言ってたな。
「楠木くんの手作りケーキが美味くてさ、俺も作りたくなったんだよな」
「そんで、進路変更するなんて思いきった事するんやね」
裕くんがちらりと、俺を見た。
「…おまえ、なんで関西弁なんだよ」
「大阪生まれやもん」
住んでたのは8歳までだけど。
「ああ、おまえも何か複雑だったな」
裕くんは?と聞こうとして、門の前でぴたりと裕くんが立ち止まった。
庭の方を無言で見つめているので、俺もつられて視線を向けるが特に何もない。
「どうしたん?」
「おまえんちからピアノの音が聞こえてるけど、おまえ以外に誰かピアノ弾くのか?」
「え…?」
耳を凝らすが何も聞こえない。裕くんに視線を移すと、やばいという顔をした。
「裕くん…もしかして」
「なんでもねぇ。俺の気のせいだ。じゃあな!」
足早に離れようとしたところを、腕を掴んで引きとめた。慌てて振り払おうとする手を力いっぱい握りしめる。思った以上に細い。
「おい! 離せよ!」
「ちょっと、ウチに来て!」
「えっ!?」
嫌がる裕くんの細い身体を引き摺って、家に入る。
今日はまーくんが家にいるはずだが、買い物にでも出ているのか玄関に靴はなかった。
蹴るように靴を脱ぎ捨て、客間まで裕くんを引っ張っていく。
いた。
『瞳子』さんだ。
俺達に背を向けてピアノを弾いていた。
裕くんが、俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。
「なあ…あれ……」
振り返ると、裕くんは真っ青な顔をしている。見えてるんだ。
『瞳子』さんの姿が見えるぎりぎりの場所まで移動して、声を顰めた。
「裕くんには聞こえてるん?」
「あ…? ああ。おまえには聞こえねぇのか?」
「俺は姿が見えるだけ。何を弾いてるんか分かる?」
「クラシックなんか分かんねぇよ」
俺が普通に話しかけてるせいか、裕くんの様子も段々といつもの調子に戻っていた。
「おまえ、なんで平気なんだよ」
「昔から、見えとったから。それにあの人は悪い人やないよ」
「へぇ」
まだ気味が悪いのか、腕にしがみついたまま『瞳子』さんを見ている。
「このあいだ、霊感が…とか言ってたのは、裕くんも見えてたからなんやね」
「いや…俺は音や声が聞こえるくらいで、まともに見えたのは初めてだ」
それも、なんか大変そう。
恐怖より好奇心が勝ってきたのか、彼女の方を覗き込むように身体を傾けている。腕は離さないけど。
「楠木くんから、弟がピアノを弾くって聞いてたから、たまにこの家から聞こえてきてたのは、おまえが弾いてたのかと思ってたけど、違ったんだな」
「この家で弾きはじめたのは、引っ越してきてからや」
ふうん、と裕くんの表情がちょっと変わった。少し寂しそうな顔。
「なんか…悲しい感じの曲だな」
何を弾いているのか知りたい。もう一度裕くんに聞こうとした時、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「潤、帰ってんのか? 鍵、ちゃんとかけろよ、不用心だろ」
「あ…」
裕くんの声に、ピアノを見ると彼女の姿は消えていた。
ふたりで顔を見合わせていると、まーくんが客間のほうへと向かってくる。
「お、裕も一緒か。―――いつのまに仲良くなったんだ、おまえら」
俺にしがみついている裕くんを不思議そうに見て、まーくんが言った。
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