第13話

「やってくれたね」

部屋に戻ると、博人が後ろから抱き締めてきた。

「なんだよ。同じ大学受ける気ないのかよ」

「もちろん、受けるけど…。俺、真幸ほど成績良くないから、どうなるか分かんないよ」

ちょっと、不安そうだ。

「おまえ、そう言いながら高校もちゃんと合格したろ。死ぬ気でやれよ」

簡単に言ってくれるね、と、言葉とは裏腹に嬉しそうに頬に唇が触れた。

「なるべく、レベル下げてよ」

「やだね」

正面からキスしようとしたとき、勢いよくドアが開いて慌てて離れた。

「お兄ちゃん、博人くん、遠くに行っちゃうの!?」

ドアの前には拳を握り締めた好彦。その後ろに潤一。

「おまえ、聞いてたのか…」

「やだよぉ! 俺も連れてってよ!」

好彦が正面から飛びつき、セミのようにしがみついてきた。

「ヨシ、重いっ…」

よろけるようにベッドに座り込むと、ますます強い力で抱きついてくる。

「なんで!? なんで、いっつも、俺だけ置いてけぼりなの? ずるいよ! お兄ちゃんと博人くんだけで、なんでも決めちゃってさ! なんで、俺、いっつも、除け者なの!? 置いてかないで!!」

うわぁーん、と好彦が声をあげて泣き出した。

「ヨシ…ごめんな」

おまえの事も、弟じゃないなんて思ってて。

丸くて形の良い頭を撫でると、ぐすぐすと鼻を啜る。

「お兄ちゃん、俺、邪魔? いない方がいいの?」

「んなわけあるか!」

普段の好彦からは考えられないほどの激情に、潤一もおろおろしている。

「まーくんと博人くん、どこ行くん? 大学ってどこ? もう帰ってけえへんの?」

博人の手を掴んで潤一まで泣きそうになっている。

博人が潤一を抱えて、俺の横に座る。

「まだ一年先の話だ。それに合格するって決まったわけでもないし…」

「だったら、ヨシくんもくればいいんだよ」

「へ?」

驚いて博人を見る。何、言い出すんだよ。

「真幸の後に俺が行って、その後にヨシくんも来ればいい。なんだったら、さらにその後、潤一も来たっていいよ」

「…行っていいの?」

ぐすぐすと泣いていたのが、ぴたりと止まった。

「いいよ。でも、鎌倉に来るからには、ちゃんと勉強して大学に合格しないといけないけどね。出来る?」

「出来る! がんばるよ、俺!」

小学生に何、吹き込んでるんだ。

そして、それにノセられる好彦も相変わらず単純だな。

「潤一も行くよな!」

「うん!」

潤一も不安気だった表情がなくなり、安心したように博人に抱きついている。

それよりも。

「ヨシ、俺らの話、どこから聞いてたんだ?」

「え? えーと…」

急にバツが悪くなったのか、膝から降りようとするのを拘束して引き止める。

「…ヨシくん、俺のことについては、あんまり驚いてないみたいだけど。知ってたの?」

博人が聞くと、わかりやすく狼狽えている。

「ヨシ」

強めの口調で名前を呼ぶと、しぶしぶと白状した。

「夏に、ケイちゃんが、博人くんは俺の本当のお兄ちゃんじゃないって…。だから、そのうち家からいなくなるって言ったんだ」

博人と顔を見合わせる。ケイちゃんとは、カナちゃんの妹で、確かヨシの一つ上の子だ。

とんだところに刺客がいた。

「だから、俺、鎌倉にいる間に、博人くんがいなくなってたら、どうしようって怖くなって、それで…」

「潤一とふたりだけで帰るって言い出したのか」

錦古里さんの言った通り、本当に、人の口に戸は立てられないんだな。悲しいな。

上を向いて、ぽんぽんと好彦の背中を叩くと、縋るような目で見上げてきた。

「博人くんは俺のお兄ちゃんだよね? お兄ちゃんと博人くんは離れたりしないんだよね? 仲直りしたんでしょ?」

やはり、気まずい雰囲気に気付いてたんだな。

好彦のやわらかいほっぺを摘むと、いつものようにへらっと笑う。

「そうだよ。最初から兄弟だったんだから。今は潤一もね」

そう言って、博人は潤一の癖のある髪を撫でまわすと、潤一も嬉しそうに笑った。


夕飯時に、改めて両親には好彦も潤一も、知っていたことを告げた。

父はなんともいえない表情をしていたが、すんなりと受け入れられたことに母は安堵しているようだった。

そして、早くも好彦が「俺も東京の大学に行く」と宣言して、両親を呆れさせた。



昨日の朝、錦古里さんの話次第では、俺の人生変わるかも、とかなりの覚悟を持って家を出た。

結果は180度ひっくり返されたが、気持ち的にやっと落ち着くことができた。

だけど。

「お父さんたちには、鎌倉に住むって勝手に言ったけど、おまえは本当にいいのか?」

近所には、まだ『瞳子』のことを知っている人が住んでいるはずだ。

偏見の目もあるかもしれない。

明日の準備をしていた博人が振り返る。

「いいよ。俺は別に気にしない。真幸と一緒なら、どこでもいいんだ」

博人の揺るがない言葉は、俺をほっとさせてくれる。

思わず背中から抱きつくと、博人が驚いたように顔だけ振り返った。

「どうしたの? 珍しいね。真幸から抱きついてくるなんて」

「んー、俺たちの関係も、変わってくのかなと思って」

「変わるの?」

博人が小首を傾げる。

「ヨシたちには、みんな兄弟だって言ってたけど違うよな」

「え…?」

「恋人…だよな」

声を顰めて囁くと、目の前の形の良い耳が赤くなり、抱きしめている博人の体温が急激に上がった。

「だから、こういうことも…うわっ」

博人の身体が反転して、正面から抱きしめられた。

ぎゅうぎゅうと、すごい力で締め付けられて身動きがとれない。

「博人、苦し…」

「好きだよ、真幸。好きだ…」

噛みつくようなキスに逃げ腰になると、それを許さないとばかりに腰にまわされた手の力が強くなった。

息が継げなくて後ろ髪を引っ張ると、やっと離れた。

ふう、と息を吐くと博人の唇がそこかしこに触れる。

「なんか…」

「んー?」

「積極的な真幸ってヤバい」

「何、言ってんだ」

頬ずりするように顔を寄せてきたので、さらさらの髪に指をからめた。

愛しいとか、可愛いとか、今までとは少し違う感情が胸のうちに渦巻いている。

博人も何か堪えられない感情に突き動かされているのか、指や唇でありとあらゆるところに触れている。

ふいに窓の外で、ばさりと雪が屋根から落ちる音がして二人で窓に目を向けた。

カーテンを開けると、ひらひらと雪が舞っている。

「また降ってきたね」

「寒いのやなんだけどな」

「俺は嫌いじゃないよ。寝るとき、真幸が抱きついてきて足を絡めてくるから暖かいしね」

そうですか。

「今年は潤一も連れてスノボに行こうよ。潤一、意外に運動神経いいよ」

「そうだな。あいつ、初めてかもな」

あと一年、できるだけの事をしてやりたい。

やりたいこと、やるべきこと、これからの目標がはっきりとして、目の前が急にクリアになった気がした。

そっと横を見る。薄茶の目を縁取る長い睫毛、高い鼻筋と口元まできれいな輪郭、口角がわずかに上がっていて微笑んでいるように見える。

俺が歩く横には必ず博人がいた。これからもずっと。

「…ベッド行く?」

手に触れると、振り向いた顔が、これでもかというほど甘くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る