第12話

ホテルを出ると昨夜は目に入らなかった雪景色が一面に広がっていた。

初めて歩く街ということもあって、なんだか新鮮だ。

「結構、降ったんだね」

博人はさくさくと雪を踏みしめる感触を楽しんでいる。

「滑るなよ」

と言うと、博人が手を差し出してきたので、早朝の人気のない道を手をつないで駅まで歩いた。

雪に反射した光がきらきらと光って、まるで新しい世界に踏み出したみたいだった。



やっと動き出した電車に乗り、家に着いたのは昼前だった。

出迎えた母は、少し疲れているように見えた。

「お母さん、ごめん」

「あなたたちは、今まで少しイイ子過ぎたのよ。これくらい、どうってことないわ」

振り返った母は、寝ていないのか目の下にクマを作りながらも明るく笑う。

本当にごめんなさい。実の親じゃないなんて思ってて。

居間に行くと、父が待っていた。

「心配かけて、ごめんなさい」

二人で頭を下げると、少しの間があって、鎌倉はどうだったと聞いてきた。

「お祖父ちゃん家の梅の木が大きくなってたよ」

博人が言うと、そうか、と言葉を探すように視線を落とした。元々、口数の多い人ではない。

母が暖かいコーヒーを持ってきてくれた。俺にはブラック、博人にはカフェオレ。

「いつか、こんな時がくると思っていた。本当は成人したら、話そうと思っていたんだ。一志くんから、どこまで聞いた?」

俺は聞いたことを全て話した。それから、5年前に親戚に聞いたこと、俺が思い出したこと、全部。

「真実を知りたかったのは、俺なんだよ。思い出したあの海での記憶の真実が知りたかったんだ」

「そうか…」

そう言って、父は少しの間、沈黙した。

「情けない話だが、お父さんから話せる事は、ほとんどないんだ。瞳子は何もかも一人で抱えて逝ってしまったから…。真幸が攫われた日、お父さんたちは瞳子の面会に行き、彼女の調子が良ければ博人を会わせるつもりでいたんだ。だが、担当医からは許可が出なかった。一志くんのお父さんは、それを後々まで悔やんでいた」

ふたりを会わせていたら、あんな事は起きなかったのかもしれない。

「その後、病院でお母さんが貧血で倒れてしまったんだ」

「え…」

思わず母の顔を見る。

「お腹の中に好彦がいたんだよ。瞳子には、その話はしなかったんだが、誰かから聞いたらしい。瞳子はそれで思いつめてしまったんだと思う。お父さんたちに博人を預けっぱなしにしていることの負い目や、もしかしたら赤ちゃんが生まれたら博人が蔑ろにされるんじゃないか、とか…。多分、それが、あんな事になってしまったのかもしれない。真幸にも博人にも辛い思いをさせてしまって、すまなかった」

いろいろな人が関わって、俺と博人の運命はくるくると変わった。俺らだけじゃない。両親の人生も変わってしまったんだ。

父は東京の商社に勤めていた。口さがない人たちと距離を置くために、転属願いを出してこの街へ来たのだろう。

テーブルの下で博人の手を握ると、しっかりと握り返してきた。

「お父さん。俺が知りたいのは一つだけだよ」

静かな博人の声が居間に響いた。

「俺、この家にいていいのかな」

博人の手に力が入る。

「当たり前じゃない!」

答えたのは母だった。

「この家に来たからには、お母さんの子だもの。真幸も博人も好彦も、これからは潤一だって、ウチの子なんだからね! 今更、返してくれって言われたって、渡さないんだから!」

母の勢いに気圧されて、言葉もない。

そうだった。母はこういう人だった。

ふ、と、父と博人が同時に息を吐いた。

互いに張り詰めていたものが溶けたんだ。

両親には両親の思いがあって、ずっと、胸に抱えたまま苦しかったのかもしれない。

言ってしまえばスッキリできただろうに、俺たちが成長するまで待ってくれていたんだ。

あの鎌倉の家も、父にとっては実家だ。今までは俺たちの事があって、足しげく帰ることが出来なかったのではないか。

俺たちが真実を知った今、もうなんの遠慮もないはずだ。

今は寂れた、ただの古い家屋も人が住めば息を吹き返す。

昔のように梅の実がなれば収穫し、庭に花を植え、家の中も人の手が入れば生き返るはずだ。


古いものの再生。

ぼんやりと、未来のかたちが見えた気がした。


改めて父に向き直った。

「お父さん、俺、東京の大学受かったら、鎌倉の家に住んでもいいかな?」

「真幸!?」

博人が声を上げ、両親が驚いたように顔を見合わせた。

強い力で握られた手をやんわりと抑える。

「あの家に、一人は広いだろう。東京の大学に通うのなら少し遠いぞ」

「志望校は、東京に限定せずに神奈川の大学も視野に入れて、もう一度精査する。それに、1年後には博人も来るから、二人で管理すれば大丈夫だと思う」

驚いた博人が俺の方を見る。

「博人も、東京の大学に行く気なの?」

母が博人に問いかけた。

「え!? ああ……うん」

博人にしては、歯切れの悪い返事だったが母は、ふ、とため息をついた。

「そうね…。博人はいつも真幸と一緒だったから、そうなるのも仕方ないわね」

寂しくなるのね…と、もう全てが決まったかのように呟いた。

まだ、受験も始まってないし、合格できるとも限らないのに。


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