第9話
11月に入り、進路調査のプリントが配られた。
地元の大学を受ける気でいたが、気持ちがのらない。
あの写真と海の記憶が、この家にいていいのか、と俺を惑わせていた。
いっそ、遠くの大学に進学して距離をおいていくべきなのかもしれない。そう思って、奨学金制度なんかも調べたりした。
それとも、進学せずに就職して家を出るか。
あの両親が許してくれるだろうか。問いただされた時に、俺はなんて言えばいいんだろう。
自分の出生を知っているのだと言えるか。
俺を守るために、今まで黙ってくれていたのであろう両親に。
それに、博人。
博人と離れて、俺は生きていけるのか。
俺は、海の記憶が戻って以来、再び溺れる夢を見るようになっていた。
そのたびに博人が心配そうに抱きしめてくれるけれど、こんな事、ずっと続けることなんて出来ない。
どこかで、断ち切らないといけないんだ。
そんなふうにもやもやとして時間が過ぎた12月、東京の大学でオープンキャンパスがある事を学校からの情報で知った。
これはチャンスかもしれない。
これを理由に、鎌倉へ行き、あの錦古里病院の院長に会って話が聞きたい。
あのあと、錦古里病院のホームページを見ると、院長の名前と顔、経歴がのっていた。『瞳子』と同い年だった。
あの家の近さからすると子供の頃のことや、もしかしたら俺が生まれた経緯も何か知っているのかもしれない。
『瞳子』が俺を産んだのは16歳のとき、彼も高校生だったはずだ。
どんな話でもいい、何か知っていることがあれば、なんでもいいんだ。
『瞳子』の事が知りたい。
「俺、東京の大学を受けようと思う」
進路調査の紙を前にして、俺は両親に告げた。
そして、志望大学のオープンキャンパスに参加したいと頼むと、母は少し驚いたようだったが、父は表情を変えなかった。
「県内の国立を目指していると思ってたが、どういう心境の変化だ?」
俺は、用意していた言葉を並べる。より専門的な勉強がしたいということ、志望する大学には良い教授がいること、そのためのカリキュラムが充実していること。
「将来のことも見据えて、考えた」
「…そうか。真幸が自分で考えて決めた事なら、いいだろう」
自分たちはサポートするだけだ、と父親は言葉少なに言った。
ほっ、とすると同時にどこかで胸がぎしぎしと痛んだ。
俺は、引き止めて欲しかったんだろうか。県内の大学に進学してほしい、家を出ないで欲しいと言って欲しかったのか。
それとも、実の子でない俺にまで寛容な両親に負い目を感じているのか。
あなた達から距離を置こうとしている俺に。
階段を上がると部屋の前で、博人が睨むように立っていた。
「どういうつもり? ずっと、志望校は県内の国立だっただろ!?」
部屋に入るなり、博人が声を荒げた。
「聞いてたのかよ」
「なんで、急に東京へ行くなんて言い出したんだよ!」
「おい、声がでかい」
「何が専門的な勉強がしたいだよ。そんな言葉、俺に通用するとでも思ってんの?! 俺がいないと夜も眠れないくせに!!」
「黙れ!」
胸ぐらを掴んで引き寄せる。至近距離の目が怒りに燃えているのがわかる。
「……何考えてんだよ」
絞り出すような博人の声に、俺は視線を反らして突き放した。
表面上は何もなかったかのように日常は過ぎたけれど、二人きりになったときの会話はない。
好彦と潤一は微妙な空気に気づいているようだが、何も言わなかった。
境界線のカーテンは閉じたままだ。
オープンキャンパスへの参加は、すんなり了承された。
土曜日の朝一の新幹線で行き、最終で帰ってくれば日帰りで戻ってこれる。
痕跡を残してはいけないので、東京駅から鎌倉までのルートと駅から祖父の家まで道のり、そして錦古里病院の住所と電話番号を頭に叩き込んだ。
その日、博人は朝練があると言って、早めに家を出ていった。
俺も新幹線の時間に合わせて家を出ると、新幹線の発着駅で路線図を眺めた。
鎌倉まで一気に乗車券を買うべきか。寄り道する気はないから、なるべく早く着きたい。
金額を確認して、パネルをタッチした時、横から手を掴まれた。
「どこまで行く気なの?」
驚いて振り向くと、制服の上にコートを着た博人が立っていた。
「おまえ…」
「大学まで、そんな金額掛からないよね。どこへ行く気?」
「…離せよ」
「逃げないって、約束するまで離さない」
博人は俺の手首を掴んだまま、器用に金を出すと同じ金額の切符を買った。
「何か企んでるのは薄々分かってたよ。何を考えてるの?」
強い力で掴まれていて、振り払うこともできない。
こうなったら、もう仕方ない。
「…行くぞ。時間がない」
説明は新幹線の中でする、と言ってホームへ向かった。
東京行きの自由席はそこそこ人がいた。
二人席に並んで座ることができたが、博人は俺を窓際に押しやり自分は通路側に座った。
俺が逃げ出すとでも思ったのか。
「もう、いいだろ。離せ」
ずっと、握られたままの手首は微かに赤くなっていた。
「…で?」
「鎌倉に行く」
不審げな視線を向けてくる博人に、錦古里病院の院長からの手紙と写真の話をした。
そして、自分が思い出したことも。
博人は眉間にシワを寄せたまま話を聞いていたが、聞き終わると押し殺したような声で言った。
「それで、真幸はどうしたいの?」
「本当のことが知りたい」
「…なんで、お母さんたちに聞かないの? その方が手っ取り早いじゃない」
言葉に詰まる。
自分でもわかっている。遠回りしていることは。
「…多分、怖いんだ。お母さんたちに聞いてしまったら、今までの関係が全部、壊れてしまいそうで。できれば、二人には知られずに、俺の中だけで消化したいんだと思う」
真実の断片を知ることができれば、それで満足できるのかもしれない。
そうしたら、少しずつ距離を取って離れていけば、それでいいと思っている。
博人の指が、俺の指を絡めるようにして強く握った。
「なんで、真幸が家を出ないといけないんだよ。今まで通りでいいだろ。あの二人が親で、俺と好彦が弟で、潤一もいて。あの家が真幸の帰る家だよ」
「ずっと、もやもやしたままでいるのが嫌なんだよ。俺の記憶と真実とをすり合わせたい。彼女が母親だと分かっているんだったら、その先が知りたいんだ」
博人は睨むように俺を見た後、すっと目をそらした。
「…もしも、真実が真幸が望んでいるようなものでなかったら、どうするの?」
「さあ…」
自分が何を望んでいるのかも、分からない。
乗り換えをして鎌倉につくと、昼を過ぎていた。
駅前のファストフードで腹を満たし、錦古里病院へと電話をかけた。
受付の人から院長に代わると、意外と若い声の男性が聞こえてきた。
『やあ、随分と珍しい人からの連絡だね。僕のこと、お父さんから聞いたの?』
「突然、申し訳ありません。実は…」
手紙を見た経緯と、今、鎌倉に来ているのでお逢いしたいと告げると、少しの間があり、
『午後の診療が二時に終わるから、それから来れるかい?』
と言ってくれた。
「妙にすんなりいったね」
博人が少し不審げに言う。
「もしかしたら、いつか、俺らがくるって予測してたのかもな」
予想以上に、『瞳子』と関わりがあるのかもしれない。
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