風呂上がりのコーラが身にしみる


 ♠



「ねえ⋯⋯、長谷川はせがわくん」

 少し顔を背けたミサキさんが、困ったような声で言った。

「水筒の飲み口を、直接口元に運んでくれたら良かったんじゃないかな?」


 あっ‼


 オレはヒドく動揺どうようした。

「あ、いや、これは、あの、その⋯⋯」

「別にこれでもいいけど、もう少し冷たいお水が欲しいな」

「え、あ、はい」

 オレが指先から発生させた冷たい水を飲んだミサキさんが、気ダルいい声で呟いた。

「雨が降ってるのに、ちっとも涼しくならないんだから」

 さっきまでいた密林のダンジョンに比べて、ここは気温が低い。

 とは言っても、ここも気温は30度近い。

 しかも、水辺のダンジョンだけに、湿度の高さはニッポンの真夏並だ。


 オレは冷却の魔法を使って、ほんの少しだけ気温を下げた。

 タープの外は嵐の世界だ。

 基本的に穏やかな水の世界なんだが、時々思い出したように荒れ狂っては、冒険者を苦しめる。

 オレがキャンプの四方に避雷針を打ち込み、完全絶縁の厚手のマットを敷いたのも、こうなるかも知れないと用心したからだ。


「なんだか眠くなって来ちゃった」

「身体の痛みが和らいだからですよ、安心して眠ってください」

「そう? 悪いわね」

「いいえ」

 さっきチラリと見えたが、彼女の胸元。

 胸と胸の谷間に3つ目の刻印タリスマンがあった。

 それは治癒魔法の刻印で、しかも詠唱えいしょういんを切る必要もない、自動発動型の治癒魔法だ。

 いったい、ぜんたい、なにが、どうなってんだ⁉

 1度に3つもブリュートするとか、世界中を見ても前例が無いぞ。

 なにがきっかけで治癒魔法を開花させたんだ。

 欲しいと思ったからか⁉

 そんな事でブリュートってできるのか⁉



 あぁ~、もう‼



 魔力探知を使わなくても分かる。

 ミサキさんの周囲に、物凄い勢いで魔素が集まってる。

 自動的に発動した治癒魔法が、体細胞を活性化させ、爆発的に増殖し、ミサキさんの壊れた肉体を修復してる。

 彼女の強運に唖然とする一方で、ほっとしてるオレもいた。


 このままダンジョンを出てたら、彼女は確実に入院していた。

 全身の筋断裂に、いったい何カ所あるのか分からない亀裂骨折で、ほぼ寝たきりの状態になっていただろう。

 海外を見れば、医療ダンジョンと呼ばれる入院施設が幾つもあって。

 そこでは魔法を駆使した、病気や怪我の治療が行われてるのだが、ニッポンでは北海道に実験施設が一件あるだけで、民間に広まるまでには至ってない。

 ここで完治しなければ、ミサキさんは、数ヶ月、ヘタすりゃ数年間入退院を繰り返すことになっていたからだ。


 石の拳シュタインファウストに、防御魔法、多分これは鉄人アイアンマン鉄の城アイゼンブルクに、自動発動する治癒魔法か。

 格闘系冒険者垂涎すいえんの魔法が、1度に3つも。

 この人、いったいどーなっちゃうんだ⁉

 まあ、いい。

 いまは考えても仕方の無いことだらけだ。

 ほっとしたら自分の脚の痛みを思い出した。

 オレも両脚を回復させとかないと。


 ミサキさんの保冷バッグからエナジードリンクを取り半分飲んだ所で、寝入り端のミサキさんを起こして残りを飲ませた。

 魔法で肉体を治癒するには、膨大なカロリーを必要とする。

 回復魔法で治療中の冒険者が、同時にエネルギーバーを喰ってる映像を、ちょくちょく眼にするだろう。

 それは、これが理由なんだ。

「ねえ、これって」

「うん」



「間接キスよね」



「えっ⁉」

 なに中学生みたいにドギマギしてんだオレ‼

 そんなオレの様子を見て、小悪魔のように微笑んだ彼女がストンと眠りに落ちた。

 まったく、なんなんだよ、このひと⋯⋯。

 オレはミサキさんの額に手を置くと、彼女がグッスり眠れるように、ほんの少しだけ脳内物質を分泌させた。


 そんなこんなでダンジョンの中層十階で一昼夜を過ごしたオレたちは、いまようやく地上一階のロビーまで辿り着いたのであった。

 そして2人してバスルームに駆け込んみ、汗と返り血を洗い流してまったりとしてた訳だ。

 あぁ~、1ヶ月ぶりに飲むコーラが凄い美味い。



「ごめんね、待たせちゃって」



 その声に振り向いたオレは、思わず息を飲み、その場で固まってしまった。

「あれ⁉ あの⋯⋯、長谷川くんよね」

 そう声を掛けられたオレは、ようやく正気を取り戻した。

「え、ああ、はい」

「おヒゲが」

「あぁ、剃ったんですよ。ダンジョンを出たから」

 1ヶ月間伸ばしっ放しにしてた髭を剃ったんで、非常~に気持ちがいい。

 本気で永久脱毛を考えるべきかな。


「そ、そうなんだ。なんか印象が全然違って見える」

 そう言ったミサキさんが照れたようにうつむいた。

「でも何で剃っちゃったの? 似合ってたのに」

「普段は毎日剃ってるんですよ。伸ばすのはダンジョンにいる時だけで」

「なんで⁉」

験担げんかつぎみたいなモンですね。ダンジョンでヒゲを剃る度にヒドい目に遭いましたから」

「そうなんだ」

 そう言ったミサキさんがオレの顔を、まじまじと見つめた。



 あ~、なんかドキドキしてる。



 落ち着けオレ‼

 落ち着け。

 まずは深呼吸だ。

 深呼吸。

「本当に大丈夫、さっきからなんかボーッとしてるけど」

「大丈夫です。なんか安心したら、急に疲れが出たみたいで」

 と、適当な言葉で誤魔化したが、オレの心臓は爆発しそうなぐらい高鳴ってる。


 なぜかって?


 ダンジョンで出会った彼女は、汗と泥と返り血でドロドロに汚れてて、化粧も何も完璧に崩れてしまった、見るも無残な状態だった。

 しかし。

 シャワーを浴び、崩れた化粧を落とし。

 オレが貸したTシャツとジーンズに身を包んだ、すっぴんの彼女は⋯。

 彼女は⋯⋯、真っ直ぐに見ることが不可能なほど、眩しく、耀いて見えたからだ。

 参ったな。

 本当に参った。

 こんな気持ち初めてだ。

「ゴメンね服まで貸してもらって。これ必ず洗濯して返すから」

「いや、いいんですよ、そんなこと」




「えっ⁉」




 途端にミサキさんが、ビックリしたように眼を丸くした。

 なんだ⁉

 なんか変なこと言ったか?

「あの? まさか、あたしの匂いが残ったままの方が良いってこと⁉」

 危うく口な含んだコーラを吐き出す所だった。

 まったく、なに言ってんのよ、この女‼

「いや、そーじゃなくて、ほら、なんて言うか、あの、その、返す、そう返す必要はないって意味ですよ」

 オレは早口でまくし立てるように言った。

 なんで、こんなに汗が出るんだ。

 空調代ケチってんのかよ。


「え? あ‼ そーゆーこと」

「そーゆーことです」

 なんか変な空気になってるぞ。

「でも、そーゆー訳にはいかないから、携帯出して。連絡先交換しましょう」

 電話番号とラインアドレスを交換して、お友達登録を済ませた。

「それじゃ、あたしはこれで」

 そう言って彼女は駅前ダンジョンから去って行った。

 1人になったオレは、ロビーのソファーにぐったりと身体を預けながら、昨日一日の出来事を思い出していた。


 本当に、嵐のような2日間だった。

 長いことダンジョンに潜ってるけど、こんな経験は初めてだ。

「初めてのダンジョン体験がこれじゃ、もう二度とダンジョンには近寄らないだろうな」

 つまりオレと彼女の縁も、これでお終いってことで──


 ⋯。


 ⋯⋯。


 ⋯⋯⋯。


 だな。


 それは嫌だ。


 それは本当に、嫌だ。


 これで終わりになんかしたくない。

 なんと言って彼女を誘うか。

 ダンジョンの事で、何かお困りの件はありませんか?

 って、バカか。

 ダンジョンから離れろ。

 まずは食事かな。

 どっか雰囲気の良いレストランに誘って⋯⋯、って、オレ地上のことほとんどなんも知らねえだろ。

 飯は、ほとんど吉牛かマックだし。

 ダンジョンの外に出ると、本当に無能だよなオレって。

 さて、どーすっかな⁉




 ピロン




 と、携帯が鳴った。


『今日は本当にありがとうございました。長谷川くんのお陰で、無事に地上に戻ることが出来ました。もし、今度お時間が取れましたら、正式にダンジョンのことを教えて頂けないでしょうか? 綾瀬心咲』


 オレは携帯を握りしめて、力いっぱいガッツポーズを取った。

 これがオレと彼女の思いがけぬ冒険の始まりだった。



 ♠



 第二章へつづく。


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