石の拳 シュタインファウスト


 ♠



 オレは、ひと呼吸置いてミサキさんの眼を見つめた。

「ミサキさん」

「にゃに~」

「いいですか、落ち着いて聞いてください」

「うん」

「ミサキさんの両手ですが」

「うん、うん、」

刻印タリスマンが浮かんでます」

 オレは重たい口調でミサキさんに告げた。

「え⁉」

 それまで半分寝ぼけたような状態だったミサキさんの眼がパッチリと開いた。



「あなたは開花ブリュートしました、綾瀬あやせ心咲みさきさん」



 最初はホクロだと思った。

 彼女の手の甲。

 いわゆるナックルパートと呼ばれる拳の一番硬い部分に、ポツンと1つ、ほんの小さな刻印が刻まれていたのだ。

「え、うそ⁉ って事は、あたしも魔法が使えるの⁉」

「恐らく」

「どこ、どこ⁉」

 オレはミサキさんの手を取って中指の付け根を指差した。



「これ?」



「はい」

 う~んとうなりながら眼を細めたミサキさんが、

「見えない」

 と、顔を上げてオレを見た。

 確かに虫眼鏡サイズの小さな刻印だ。

「こんなホクロみたいのじゃなくて、あたしも長谷川はせがわくんみたいな、カッコいい刻印が良かった」

「刻印のデザインは選べませんから」

「それで、どんな能力なの?」

 全身の痛みを忘れる勢いで、ミサキさんがオレに詰め寄った。


 どんなの?


 って。

 答えは1つしかないと想うんだが。

「オレは鑑定士じゃないから、正確な事はいえないんですが」

「うんうん」

「恐らくは⋯⋯」

「おそらくは⁉」

石の拳シュタインファウストかと」

「シュタインファウスト⁉」

 石の拳は格闘系の上位アビリティーで、世界中を見ても刻印示現者ギフターは数える程しかいない。

 ニッポン人で所持してる者は、1人もいないんじゃないだろうか。


 その能力は徒手格闘、つまり素手の攻撃力を爆発的に増大させるというもので、一説によると、そのパンチ力は最大で1平方センチ辺り10トンに達するという。

 10トンだぞ、10トン。

 10トンのパンチ力。

 ちょっと想像の出来ない威力だ。

 ただ、それだけに身体への負担も大きく、デメリットの大きな魔法として知られていた。


 討伐者エクスターミネーターの中にも色んな人間がいて、その中には魔物と素手で闘いたいなんていう酔狂ヤツらもいる。

 そんな連中が血眼になって求めてるのが、この石の拳なのだ。

 そんな百戦錬磨の討伐者ですら、肉体強化系の魔法を幾つも取得してから、石の拳を得ようとしてる。

 それぐらい、この魔法は使用者の肉体に負担が掛かるのだ。


 そんな能力をいきなり身につけてしまったらどうなるか?

 全く無改造の軽自動車に、いきなりコンボイのエンジンを載せたようなものだ。

 想像を絶するエネルギーが彼女のの全身を駆け巡り。

 ヌエを一発ぶん殴る度に、ミサキさんの肉体は悲鳴を上げ、筋肉が断裂し、骨に亀裂が入っていったのだろう。

 拳が潰れなかったのが不思議なぐらいだ。


〈こりゃいよいよ、今日中にダンジョンを脱出するのは無理だな。上の階層にプロの回復屋ヒーラーがいてくれりゃ良いが〉


「シュタインファウスト⁉ それって、どんな能力なの?」

「そうですね。素手でヌエをぶちのめせるような能力です」

 オレの言葉を聞いたミサキさんが、ほんの少し黙り込んで、

「可愛くない」

 と、がっかりしたような口振りで呟いた。

 そりゃ、まァ格闘系の能力だから。

「なんかガッカリ~。あたしも長谷川くんみたいなのが良かった」

「ガッカリされてもな~、その魔法を欲しがってる人は、世界中に何万人もいるんですよ」

 オレは苦笑を浮かべた。

「つまりレアってこと⁉」

「レアですね。超レア」

「レアなんだってオモチ、あたしたちレアコンビよ」

 そう叫んだミサキさんがオモチを抱き上げようとして固まった。

「ミサキさん?」




「ゴメン、長谷川くん。──これ以上、もう一歩も動けない」




 涙目でオレを見上げるミサキさんを見て、オレは彼女に背中を向けてひざまずいた。

「ごめんなさいね」

「な~に、大丈夫ですよ」

 ここを抜ければ、次は中層の十五階だ。

 そこまで行けば魔素の濃度は半分になる、つまり魔物の脅威も半減する。

 それに運が良ければ探索中の冒険者チームに会えるかも知れない。

 少なくとも、ひと息つけるだけの余裕が生まれる。

「さ、行きますよ」

 そう言ったオレの背中に、ミサキさんの胸が、




 むにゅん




 と、押しつけられた。

〈おぉ⋯⋯。力がみなぎって来るようだ〉

 斜面を駆け上るオレの脚が、ほんの少しだけ軽くなった。



 ♠



 バスルームを出たオレは、濡れた髪の毛をタオルで乱暴に拭いながらベンチに腰掛けていた。

 あれから何が起きたのか、簡単に説明しておこう。

 結局オレたち2人と1匹は、中層十階で一晩を明かすする事になった。

 それだけミサキさんの疲労も、オレの疲労もピークを迎えていたからだ。

 中層十階は水の世界だ。

 深さが膝ぐらいまである浅い真水の海が、延々と水平線の彼方まで続いてる世界だ。

 調査した限りでは危険な魔物もおらず。

 Aランクに指定されてる表層部分を除けば、この駅前のダンジョンで最も安全な階層が、この中層の十階だった。


 オレは波をしのぐように浅瀬を歩きながら真っ直ぐ北へと向かい、中層九階につながるポータルにほど近い、真っ白な砂丘の上にキャンプを設営した。

 オレの背中で「イタい、イタい」と、うめき続けてるミサキさんを速く休ませて上げたいが、準備だけは入念に済ませておかねばならない。

 比較的安全とはいえ、ここもダンジョンである事には違いないからだ。


 運が悪い事に自分たち以外に、冒険者の姿は1人も見当たらない。

 1チームでもいれば、そこには必ず回復屋がいて、ミサキさんの治療を手伝ってくれたに違いないんだが、こればかりはどうしようもなかった。

 オレ1人の力で、どこまでミサキさんを治癒できるか分からないが、やれる限りやってみよう。


 と、その前に。

 全身の痛みに耐えてるせいかミサキさんの汗がヒドい。

 彼女が羽織ってるオレのジャケットが厚手なのも手伝ってか、滝のような汗をかいてる。

「背中の汗を拭きましょうか?」

「いいの? お願い」

 袖から腕を抜く間も、ひっきりなしに、

「イタい、イタい」

 と、うめいてる。


 そりゃ痛いよ。

 全身の筋肉が細かく断裂してんる上に、骨にはヒビが入ってんだもの。

 オレは彼女が服を脱ぐのを手伝うと、水で湿らせたタオルを冷気で冷やしながら背中を拭いた。

 スーツの上からだと華奢きゃしゃに見えたミサキさんだが、意外にぎっしりと筋肉がついてる。

 背負ってる間も感じてたんだが、女の太腿ふとももというには筋肉質だし、なんかスポーツでもしてたのか?

「ミサキさん、ひとつ伺いたいんですが」

「なに~?」

 タオルの冷たさが気持ちいいのか、若干うっとりとした口調でミサキさんが返事をした。

「なにかスポーツをしてました?」

「子供の頃から護身術に中国拳法をね⋯⋯」




 中国拳法⁉




 護身術に中国拳法⁉

 え⁉

 どーゆー家⁉

 それで、あのパンチか。

 なんか様になってると思ったよ。

 それにこれ。

 背中側から見てようやく分かったけど、首の付け根の辺りに別の刻印がある。

 これ防御系の魔法の中でも、かなり高位の魔法だ。

 それでヌエの攻撃を弾き返したのか。

 って、一度に2つの魔法を開花させたのか⁉

 そんなの世界でも数例しか報告が無いぞ。

 どんな強運の持ち主だよ。


「どうしたの?」


「あ、いえ、何でもないです」


 防御魔法で拳を護りながら、石の拳でヌエを殴ってたのか?

 どうりで拳が潰れなかった訳だ。

 この事はミサキさんには黙っておこう。

 もし外部に漏れたら、同じような真似をしでかすバカが必ず出て来る。

 ダンジョンに限らず、どの世界でも同じ事がいえるんだが。

 同じ経験を積んだからといって、必ず同じ結果が出るとは限らない。

 大抵の場合は何も起こらないか、全く違う結果出るものだ。

 その上、今回の場合は命の危険が伴う。

 秘密を知る人間は少ない方が良いに決まってる。


「どうりで良いパンチをしてるな、と」

「でしょ⋯⋯、んんっ、イタい」

「ちょっと待っててください」

 雑嚢から痛み止めを取り出し、オレに身体を預けてる彼女に手渡した。

「これを飲んでください、痛み止めです」

 この痛み止めは、オレがダンジョン内で精製したものだ。

 ダンジョン内では地上の薬は効き目が薄い、自分の経験上魔素のある空間で作られた自家製薬の方がテキメンに利くのだ。


「これを飲むの? さっきのヤツはやってくれないの⁉」

 まあ気持ちは分かるよ。

 エンドルフィンを分泌ぶんぴつさせれば、身体の痛みは劇的に軽くなるし、気持ちも良くなる。

 だけど癖になるから、あれ。

「嘘みたいに楽になりますから」

 そう言ったオレの言葉を信じたのか、指先につまんだ丸薬を口に運ぼうとしたミサキさんが、


「あ~、無理。長谷川くん直接飲まして」


 と、音を上げた。

 直接って──

 一瞬考えたオレは脚を伸ばして、膝枕をするように彼女の頭をオレの太腿に乗せた。

 その上で痛み止めの丸薬をつまんで彼女の口に運ぶと、薄桃色をした形のいい唇に触れ、


「ミサキさん」


 口を開くように促したオレを、ほんのチョッピリ怒ったような彼女の瞳が上目遣うわめづかいに見つめていた。

「ミサキさん?」

 もう一度促すと、観念したように小さく息を吐いて口を開いた。

 そして──

 差し込んだオレの指先を、彼女の小さな前歯が甘く噛んだのだ。



 その瞬間。



 噛まれた指先からピンク色の稲妻が全身を駆け巡り、脳天から空に向かって駆け上って行くのをオレは感じた。

 途端。





 ドォォォォォォォンッッッ





 と、雷鳴が轟き、大粒の雨がタープに叩きつけたのだった。



 ♠



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