Just-Ice ～明星の注ぐ理想郷にて～

50.平穏の終焉 ＊＊＊

　時は十六年前に遡る。王都・ギノバスから少し離れた盆地にて。広大な自然の中にそっと佇む集落は、名をシラブレ村といった。

　村は木材で組まれた手製の柵の中に囲まれているものの、魔獣の存在を鑑みれば心もとない。木造の家屋が点在しただけの前時代的な光景は、王都とかけ離れた町並みと言えるだろう。そしてそんな村の外れには、村の中でも一際大きな平屋と、それよりも少しだけ小さな母屋が佇む。家主の名は、ツィーク＝エクスグニル。

　エクスグニル家、それは小さくとも由緒正しき剣術の流派を継ぐ家系の名。一本の大剣を扱うという点を流派の最も大きな特徴とし、村の男たちは戦士になるべく多くがこれを修める。騎士の駐在しないこの村において戦士は魔獣を討伐することの出来る欠かせない存在であるために、その称号は名誉なのだ。

　快晴の昼だった。エクスグニル家の母屋と繋がった平屋建ての道場では、今日も戦士たちが己の技を磨く。そしてそんな屈強な男たちに混ざるのは、二つの小さな影。二人は道場の隅で、身の丈に合わない大きな竹刀を懸命に打ち合う。

　竹で造られた模造品の大剣が乾いた音を立てた。一撃に吹き飛ばされて座り込んだのは、華奢な体の少女。金色の髪に碧色の瞳、それは幼き日のツィーニア＝エクスグニル。

　「うぅ……」

　そのまま泣き出しそうな彼女の前に仁王立ちするのは、弟・ブロニア＝エクスグニル。

　彼らは恒例通り、お手伝いの分担を決めた。その日最後の打ち合いの勝者に優先権が生じるのが、二人の約束である。

　「姉貴！　今日も俺の勝ちだ！！　てことで今日も俺が井戸の水くみ。姉貴が母様の書庫整理の手伝いな！」

　「ブ……ブロニアはいつも水くみ選ぶけど、絶対に水くみのが大変だよ……？」

尻餅をついたままのツィーニアが目を擦りながら見上げる頃、そこには既にブロニアの姿は消える。

　「……あれ？　もう……居ない……の」

　ブロニアは颯爽と水汲みにお勤めのようだ。ツィーニアはふらふらと立ち上がる。両手で大剣を拾い上げるとそれを道場の隅に片付け、そのままひっそりと道場を後にした。

　晩。道場運営を終えたエクスグニル家の食卓には、温かな時間が流れる。母・ブローナが作った夕食を家族全員で頬張った。

　「母様！　今日、井戸からずっと走って戻ったんだ！　凄いでしょ！」

ブローナは無邪気な少年の姿に頬が緩む。

　「ブロニアは強い子ね。でもツィーニアだってとっても凄いのよ。今日は何冊も本を直してくれたの」

　「へぇ、姉貴って器用なんだなぁ」

　ツィーニアは少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。腕っ節では敵わない弟に、少しだけ姉としての威厳を見せつけることが出来ただろうか。

　父・ツィークはふとあることを思い出すと、ふいに語り出した。

　「そうだ母さん、実は今朝通信魔法具から連絡があってね。うちの流派を取材したいって人が王都に居るらしいんだ。なんでも、わざわざシラブレ村まで足を運ぶって話で――」

　「あら、珍しい。こんな不便なとこまで来る人がいるなんて」

　「日時は五日後。応対、お願いできるかい？」

　「ええ、もちろんよ。ふふ。王都から人が来るとなると、少し緊張しちゃうわね」

ブロニアはスプーンを片手に立ち上がる。

　「俺も取材されたい！　いいよね！？」

ツィークは優しくなだめた。

　「誰を取材するかは、相手方の決めることだ。もしブロニアが皆伝にまでなれば、取材されるかもね」

　「なら俺、カイデンになる！！」

　「そのためには、毎日修行しなきゃな」

あまりにも華麗に言いくるめられるブロニアを見て、ブローナは優しく微笑んだ。

　家族でのひとときの団欒。そこに流れていたのは、まさに誰の目からも羨ましく見えるような幸せの時間だろう。

　運命の日。そして約束の日。ツィーニアとブロニアは屈強な男たちと共に、いつも通りの道場で研鑽に励む。大剣が激しくぶつかり合う音は鳴り止まない。

　ツィーニアの威勢良い声が飛ぶ。普段は弟に負けてばかりの彼女だったが、どうも今日だけはブロニアに刀身を当てることができた。それもそのはず、彼は打ち合いの途中にも関わらず、突如として呆然と立ち尽くしたのだから。

　ブロニアは大剣を手からするりと零し、ただ遠くを見つめる。ツィーニアは握った大剣を引いて弟へ尋ねた。

　「あのさ……なんで急に棒立ちしてるの？」

　「……忘れてた」

　「え……？」

　「忘れてた！　今日は取材が来る日じゃんか！　俺、こっそり見てくる！！」

ブロニアは節操も無く走りだそうと踏み込む。ツィーニアはそんな彼の腕を掴んだ。

　「駄目だよ！　父様と母様に言われてるでしょ。今日の午前中は母屋に戻らず、道場に居なさいって……！」

　「大丈夫だよ姉貴！　だってバレないようこっそり見に行くから！　姉貴も行こうよ！」

ブロニアはツィーニアの腕を掴みかえすと、そのまま走って道場の出口へ向かう。

　「ちょ、ちょっと！　怒られちゃうよ！」

二人は大剣をその場に散らかしたまま、道場を飛び出した。

　修練に励む男たちはふと大剣を降ろして言葉を交わす。

　「あれ？　あの二人どこ行くんだ？」　

　「家に戻るんじゃねーの」

　「今日は取材がどうとか言ってたじゃねーか。勝手に行っちゃマズいだろ……」

　「まあまあ。どうせすぐつまみ出されるさ」

　二人は通り慣れた渡り廊下を走り抜ける。

　「ねえってば！　戻ろうよ……」

　「へへ。大丈夫大丈夫。もし怒られるときは、姉貴も巻き添えだ！」

　ようやく玄関へ辿り着くと、ブロニアはそっと扉を開いて中の様子を窺った。きっと父親が、王都から尋ねた記者をいつも食卓を囲む見慣れた机で言葉を交わしている。母様の煎れた美味しい茶を片手に、楽しげな時間が流れている。幼いながらにも、彼は妙に詳しい情景を頭の中に浮かべた。

　しかしそれは、無情にも打ち砕かれる。

　「――ったく、商品（レアモノ）はどこにいるってんだ！」

　「そう焦るなパド。この家の裏には道場がある。恐らくはそっちに居るんだろーよ」

　見慣れた家の中を徘徊するのは、記者とは程遠い見た目をした三人の黒服の男。そして覗き込む少年は、束の間に恐怖と絶望へ墜落する。そこに転がっていたのは、愛しの両親の無惨な亡骸。

　少年にはあまりにも衝撃的な光景だった。ひっそりと開けた扉から不意に手を放してしまい、それは大きな音を立てて閉じられる。無論、男たちの注意はそこへ集中した。

　「なあフォッジさん……」

　「ああ」

　若き日のパド＝アントオルスは扉へ歩み寄り、それを勢いよく叩き開けた。そこには腰を抜かしたツィーニアと、震えた足を必死に抑え立ち尽くするブロニア。

　パドの視線は、間もなく後方の少女へと向けられた。

　「金髪に碧い眼……こいつかぁ。フォッジさん！　商品（レアモノ）が居ましたぜ！！」

　「……よし、さっさと縛れ。そいつ連れて、こんな村出ちまうぞ」

パドは立ち塞がるブロニアを容赦なく蹴り飛ばすと、ツィーニアの両腕を掴んで地面に押さえつける。ツィーニアはあたふたと抵抗するが、華奢な少女が巨漢に力で勝ることなど不可能であった。

　「パド、売り物に傷つけんなよ」

フォッジはそれとなくパドに忠告した。

　そのとき少年の暗い声が、三人のマフィアの耳へと飛び込む。彼らの眼中に無かった少年は、異様な威圧感を纏った。

　「……や……めろ……！」

　口から血を垂らした少年は、俯いたままパドの元へ歩み寄る。パドはちらりと少年を見るが、少年はそのままパドの元を通り過ぎた。男は特に少年の奇行を警戒することもなく、むしろその少年が何をしでかすのか楽しむように観察する。

　フォッジはその様子をただ眺めた。男もまた、特に動き出そうとはしない。

　そんなとき、ブロニアは居間に飾られた父の魔法大剣を迷うこと無く握る。幼くとも、彼には戦士の誇りが染みついていた。

　ここでようやく近くにいたマフィアの男が、懐から魔法銃を抜く。

　「おい坊主、無駄な事は考えるな」

　少年からは、もう心の中の何かが外れていた。マフィアの男は胴体が切り離され、無様に床へと散らばる。ブロニアは歯を食いしばると、血と涙に塗れた顔で咆哮した。

　「……殺してやる……お前ら全員……殺してやる……！！」

フォッジは口角を上げる。それはまるで、宝でも掘り起こしたかのように。

【玲奈のメモ帳】

No.50　パド＝アントオルス2

王都マフィアがMP-12の生産を事業とする以前は、本部へ在任していた。かつてのフォッジの直属の部下であり、彼と頻繁に行動を共にする。いくら血の気の多いパドとはいえ、フォッジには比較的従順だった。