51.小さくて大きな背中 ***

 ブロニアは怒りに身を任せ、闇雲に大剣を振るい続ける。次に彼の眼前に映った相手はフォッジであった。狂気を宿したその少年は、もう止まらない。

 雄叫びに続いて激しい衝突音が空気を震わせる。それでもブロニアの渾身の一撃は、フォッジへ届かなかった。フォッジは指先を放り出すと、防御魔法陣で容易く刃を制する。

 ブロニアは一度剣を引くと、怯むことなく剣戟を繰り出した。しかし何度挑もうとも、たった一枚の防御魔法陣さえ切り裂くことはできない。魔力の差は歴然だった。

 「……もう満足したか?」

 フォッジはおもむろに拳銃を抜く。その銃口は、一切の躊躇無く少年へと向けられた。冷ややかな銃口は、勇ましき少年をついに挫く。死が身近に迫った瞬間など、どんな子供でも耐えられはしないのだから。

 「……ブロニア……! ブロニア――!!」

 引き金が引かれる寸前だった。恐怖で固まったブロニアの脚を突き動かしたのは、ツィーニアの声。銃声が部屋に響いた瞬間、ブロニアは覚えたての魔法で窮地を脱する。

 「強化魔法・俊敏アクセル――!」

 銃弾はくうを切り床を貫いた。側方へ踏み込んだブロニアは間一髪で魔法弾を躱し、再びフォッジへ剣先を向ける。

 少年は感情を殺すべく咆哮を上げた。身の丈に合わぬ大剣に全体重を乗せる。大剣には徐々に光が宿り始めた。

 「……覚えときな。強化魔法ってのはな、こうやって使うんだ」

 両手で大剣を握る少年に閃光の如き速度で接近したフォッジは、ブロニアへ鋭い蹴りを叩き込む。小さな体はいとも簡単に吹き飛んだ。その男もまた、強化魔法の使い手であったのだ。

 棚に叩きつけられたブロニアはそのまま横たわり痙攣した。立ち上がることの出来ないブロニアに、また再び銃口が突きつけられる。

 「それじゃ、さよならだ。あいにくお前には用が無い」

 フォッジは再び引き金に指を掛ける。直ぐに引き金を引くつもりだった。男の鋭い視線は、少しだけ緩む。そして思わず声を漏らした。

 「……ほう。まだやんのか」

 少年は何度でも立ち上がる。血まみれの顔で、突き刺すような視線をフォッジへと向けた。立ちはだかる大人に送るのは、決して揺るがぬ覚悟の眼差し。そしてその裏に淡く灯る、かすかな闇。

 「俺が……姉貴を……守る……」

 少年の闇を前にしたフォッジは、ゆっくりと銃口を下ろす。

 「面白い目しやがるじゃねーの。おいチビ。お前の姉貴を救う方法、一つだけくれてやる」

そしてここから、姉弟は道を違える。

 「チビ、お前が着いて来い。姉の代わりにな」

突然の提案にその場の誰しも意表を突かれた。パドでさえも、つい口を挟む。

 「フ、フォッジさん正気ですか!? そんな勝手な事しちゃ頭領ドンに――!!」

 「この目は、人殺しが出来る人間の目だ。こんな目が出来るガキ、そうは居ねぇ」

ブロニアは激しく抵抗した。

 「ふ、ふざけるな!! 俺がどうしてお前らなんかの仲間に……!!」

 「チビ、よく聞け。俺たちの計画では、お前の姉の行き先は奴隷市場。世の中には大金積んでまで雌のガキをご所望する貴族が居るんだわ。それにこいつはあいにく金髪に碧眼。この手のガキは特に値が張る。つまり俺らにとっちゃ、格好の商品ってわけだ」

 「簡単な話だろう? 姉を売り物にはされたくねーなら、お前が着いて来るほうが賢い選択ってことだ」

ツィーニアはその悍ましい提案を掻き消すべく声を荒げた。

 「ブロニア……駄目……!」

パドは少女を制止する。

 「お前は交渉相手じゃねえ」

ツィーニアの掠れ声は、パドの手で覆われて消えた。

 混沌の中、ブロニアの心は揺らぐ。フォッジはそんな少年へ、さらなる揺さぶりを仕掛けた。

 「もちろんお前が王都マフィアウチに来るのなら、お前の姉には手を出さねーでいてやる。これはウチとお前との信頼関係を作るための交換条件だ。お互いに破る義理は無ぇことくらい分かるよな?」 

 俯いたままのブロニアは、その小さな手から大剣を滑り落とす。少年の答えは、少女が最も恐れていた選択だった。

 「……分かった」

 「ブロニア! やめて――!!」

 「……姉貴、ごめん」

フォッジは笑みを零す。

 「賢い奴だ。有望だぜ。おいパド、その娘を放せ」

パドはツィーニアから手を引く。ツィーニアは一目散に駆け出すと、血まみれのブロニアへ飛び込んだ。

 「ブロニア、断って……! お願いだからっ!」

フォッジは二人の姉弟を見下ろす。そして抱きつかれたままの少年を、無情に諭しだした。

 「ブロニア。その娘はもう、お前の家族じゃねえ。お前はもう、家族ファミリーの一員だ」

ツィーニアは弟の肩を揺らし、涙ながらに訴えかける。ついにブロニアの口元が力み出したとき、残酷な一言は絞り出すように告げられた。

 「……は、離れろ……離れろ!」

思わぬ返答に、ツィーニアは唖然として固まる。ブロニアは一歩下がってツィーニアから離れると、苦しそうに続けた。

 「お……俺は、家を……出る。もう探すな……!」

少年は、目の前の少女と同じように泣いていた。そして漂う沈黙を打ち破るように、フォッジはまた口を開く。

 「ブロニア、来い。パド、お前もだ。撤収するぞ」

フォッジは二つの小さな影から背を向け、玄関へと歩みだす。ブロニアは、少し遅れてゆっくりと脚を前へ運んだ。ツィーニアは動くこともできず、ただ眼前の光景を受け入れられずに佇む。

 不服そうなパドに続いてブロニアが玄関へ背を向けたとき、少年は立ち止まった。それに気づいたツィーニアは、苦しくも玄関に視線を向ける。覚悟を決めた大きく小さな背中は、確かに震えていた。涙混じりで呟く、聞き慣れた声が鳴る。

 「止めないでくれて……ありがとう」

そして少年は呟いた。

 「いつか……俺を……止めてくれ……」

 紛れもない、ブロニアが残したものはささやかな願い。小さく大きな背中は、そのまま見えなくなってゆく。




 平穏な家庭を襲った悲劇は、気弱な少女を狂わせた。横たわる愛しき両親の亡骸。目の前で奪われゆく弟。この日を境に、少女の温かく美しき碧眼は暗く冷えきったものに変貌した。




 夜。ようやく異変に気づいた村人はついにこの惨状を目にする。

 「ツィーニアちゃん……! な、何があったの!?」

 中年の女性は、壊れた人形のように動かないツィーニアの肩を揺さぶった。それでも彼女は女性の呼びかけへ応じない。

 ツィーニアは壊れた人形の撥条ぜんまいを巻いたように、おもむろに立ち上がった。そのまま向かったのは、ブロニアが握った父の大剣のもと。刀身には、時間が経って凝固した血が張り付いている。

 少女の頭に混沌が渦巻いた。家族を喪失した悲壮。焼き付いた畏怖。そして無垢な弟から垣間見えた狂気と、あまりにも鮮明に刻まれた涙。

 少女は女性へ、たった一言だけを告げる。

 「……探さない……で」

 ツィーニアは何かに突き動かされていた。血の滲んだ大剣・ヘルボルグを拾い上げた少女は、そのまま家を出て暗闇へと消えゆく。もう誰も止めるものは居なくなった。






【玲奈のメモ帳】

No.51 フォッジ=ガルドシリアン

後ろへ流した黒髪に鋭い目と、愛用する葉巻が特徴の元・頭領(ドン)。掃討作戦時は四八歳。頭領(ドン)を襲名する以前はパドと行動を共にしていた。狡猾で計算高いが、情に厚い。サイネントを含め多くの者に慕われた。強化魔法の使い手。

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