Just-Ice ～明星の注ぐ理想郷にて～

49.ふたつの家族 ＊＊＊

　時は作戦前夜に遡る。欠かさず行う日々の修行を終えたツィーニアは、ギルド・ギノバスに立ち寄った。カウンター席に腰かけると、たったひとり紅茶に口づけを始める。

　すぐそばに立て掛けられた愛剣は、鞘に収められた中庸な大きさの魔法剣・ヘブンボルグ。そして刀身に包帯が巻き付けられた巨大な大太刀は、魔法大剣・ヘルボルグ。背の違う二本の剣は、どちらも同じ名工の手で造られた一級品である。

　そのときそこへふらりと現れたのは、トファイル＝プラズマン。元国選魔道師にして、現在はギルド・ギノバスのマスターを務める老年の男である。

　「おや？　こんな時間にツィーニア君がいるとは。珍しいこともあるもんだね」

　「ええ。修行後の剣の手入れに時間をかけすぎてしまいまして。気づいたときにはこんな時間でした」

ツィーニアは湯気の立つ紅茶をまた一口含む。

　「……そうか。明日だもんな。君が渇望してきた作戦の決行日。手入れがいつも以上に丁寧になるはずだ」

　「……はい。私が辺鄙な村から王都へとやって来たのも、国選魔道師になったのも、そして剣を修めた流派に背いてまで強さを求めたのも。全ては明日の為ですから」

　「王都マフィア……随分と長い間野放しにされていたが、ここ数年は魔導師の活躍もあって、奴らの傘下組織は崩され徐々に力が弱まりつつある。総督はこれがあって作戦を決意なさったのだろうね。もちろん、ツィーニア君の提言もあってのことだろうが」

　「ええ。まあ作戦の内容に不満はありますが。なぜ私だけじゃなく恒帝にまで作戦要請がなされたのか、甚だ理解に困ります。癪です」

　「……まあ、敵の戦力が未知数である以上仕方あるまいよ。フェイバルは馬鹿だが腕は立つ。個人的には、魔天楼（まてんろう）にも遅れをとらんだろうと思うんだが――」

　「魔天楼（まてんろう）……ああ、もう一人の国選魔道師の通り名でしたね。なにゆえ、いまだ会ったことのないもので」

　「ああ、そうかそうか。彼が長期任務でここを出たのは、もう随分前だからねぇ」

トファイルはツィーニアの横の席についた。

　「嬢ちゃん、適当に酒出してくれ。今日は飲みたい気分だ。ああ、いっぱい余ってるのでいいよ。ギルド（ウチ）の若造共にはまだ早いような、渋いやつでいい」

　給仕女は明るく応じる。ツィーニアはそんなトファイルを見ると、あえて突き放すそうに呟く。

　「……あの、私は飲みませんからね？　明日仕事だし。そろそろ失礼します」

　「分かってる。ただひとりで、勝手に気がかりな事を忘れようとしてるだけだ」

トファイルは栓の外れた瓶を受け取るとそのまま口へ運んだ。ツィーニアはおもむろに立ち上がる。

　「マスター。それではまた、作戦後に」

　「ああ。無事を祈る」

彼女は隣に立て掛けた二本の愛剣を肩にまとめて担ぎ上げ、颯爽とギルドを後にした。

　時は緊迫した作戦の日へと戻る。貴族街から幾分か離れたある幹線道路は、一時騒然となった。

　ツィーニアの飛ばした斬撃は、前方の車両を狙う。後方から迫る攻撃は、敵の車はいとも容易く大破させる。騎士の誰もがそう信じたとき、その車両から飛び出したのは大きな人影。男は側方の窓から車両の天井へ軽快な身のこなしで飛び乗ると、右手で車に掴まりながらも左手で大剣を抜いた。金髪を後ろで結んだその大男の一振りは、ツィーニアの魔法刃を容易く相殺する。人影の正体、それはブロニア＝エクス二グル。フォッジの側近を務める男の名である。

　ツィーニアは続けざまに斬撃を繰り出した。魔法刃は幾つも折り重なり、真っ直ぐに車両へと突き進む。

　「……安心した。まだ勝てる」

ひっそり呟いた男はそれを確実に見切ると、車両に傷一つ与えることなく全ての刃を弾ぎきった。

　気づけば車両は、検問のすぐ前方にまで到達していた。検問を強引に突破されてしまえば、その先に広がるのは人の手入れが行き届かぬ大自然。都外には魔獣すらいるのだから、無論追跡は更に困難になる。　　

　騎士たちに焦りの表情が目立つ中、ツィーニアは至って冷静だった。彼女は再び攻撃を加えながら追跡を続ける。

　突如、車両の遙か前方から大声が飛んだ。

　「総員！　防御魔法陣を展開！！　車両を止めろ！！」

　この日の検問当番を務めていた第二師団の騎士たちは、次々に魔法陣を展開する。重なり合った防御魔法陣は、検問を封鎖する壁と化した。何人もの騎士が魔力を結集させ展開した魔法陣は、強いエネルギーを発して煌々と輝く。

　「……強化魔法秘技・超剛力（ハイストロングス）」

　ブロニアが選んだのは、強行突破だった。男はツィーニアに背を向け車両の進行方向へと構え直す。再び大剣を振り上げると、大剣に眩い光が宿った。

　「道を開けろ。頭領（ドン）のお通りだ」

　激しい光を纏うその大剣は、筋骨隆々の腕で勢いよく振り下ろされる。飛び出した魔法刃は、地を裂きながら騎士たちの魔法陣へと激突した。ブロニア＝エクスグニルの持つ圧倒的な魔力は、騎士たちが魔力を集約させて創り出した防御魔法陣を容易く打ち砕く。

　防御魔法陣は、たったひとりの男によって両断され消滅した。生身のまま車両の直線上に立つこととなった騎士たちは、そのまま突入した車両に吹き飛ばされる。鈍い衝撃音が王都に鳴り響いた。

　しかしツィーニアはこの好機を見逃さない。ブロニアが車両の進行方向に顔を向けたこの刹那は、必然的にツィーニアの居る車両後方への注意が散漫になる。懐からツィーニアが取り出したもの、それは彼女の三本目の装備である短剣。刀身は小さくとも、立派な魔法剣である。

　彼女は空いている手ですぐに短剣を鞘から抜くと、それを敵車両の車輪目がけて投擲した。強化魔法・超剛力（ハイストロングス）によって強化された筋力をもって繰り出されるその一撃は、目標を容易く破り裂く。

　検問を突破した直後、車輪を失った車両は急激に速度を落とした。ツィーニアの作戦通り、車はやむなく逃走を中断しその動きを止める。

　ブロニアは車の屋根から飛び降りた。男はそのまま運転席のほうへ近づく。

　「頭領（ドン）、お手を煩わせてしまい申し訳ありません」

　「馬鹿野郎。俺はもう頭領（ドン）じゃあねぇ」

　フォッジ＝ガルドシリアンは、ついに車両から姿を露わにした。男はおもむろに葉巻を咥える。そしてふとツィーニアへと視線を向けたとき、男は何かを思い出すように口角を上げた。ふと目前のブロニアへと呟く。ブロニアは既に、この場に生じた偶然に気づいているようだった。

　「……ブロニア、お前は不幸なのか幸運なのか。運命ってのは面白いもんだな」

　「……」

　不敵に笑う男を睨み続けるツィーニアの背後には、誘導部門の騎士たちが検問当番の騎士の救助にあたっていた。ただひとり班長の騎士だけは作戦における重要目標の存在に勘づき、ツィーニアへ近づこうとする。しかしながら、彼女は手を側方へ伸ばして男を制止した。

　「ここにあんたはいらない。下がって」

　フォッジは煙を吐く。向かい合うブロニアとツィーニアから背を向けた。

　「俺の命でも賭けて、語り合うといい。お前の元（・）家族とな」

ブロニアは何も応答しなかった。それでもツィーニアは、ブロニアという男へ真っ直ぐに問いかける。

　「……この日が来るのは、私の本望だった」

　「――私の弟、ブロニア＝エクスグニル」

【玲奈のメモ帳】

No.49　念魔法

対象に運動エネルギーを付与する付加魔法。移動・破壊・浮遊など、自由度の高い操作が可能である。生物には作用しないが、自身の体には作用できる。魔法陣の色は藤色。