48.道の外にも花は咲く ＊＊＊
サイネントは先制攻撃を試みた。周囲に浮遊する瓦礫は、纏った藤色の光を強める。男の右腕が前方へ伸ばされたとき、宙を漂うそれらは一斉にフェイバルへと飛翔した。無数の破片たちが、たった一人の男の命を刈り取るべく襲いかかる。
フェイバルは軽快な身のこなしで回避した。されど四方八方から飛び交う鋭利な凶器は徐々にフェイバルから退路を奪い、彼を早々にして追い詰める。
そしてフェイバルは防御を余儀なくされた。両手を交差して構えると、自身を包み込むように防御魔法陣を展開する。
瓦礫はフェイバルを覆い尽くすように、あらゆる方向から飛びかかった。その凄まじい物量から、感じるのは防御魔法陣の僅かな軋み。力で押し負け砕ける前兆であった。
（ただの瓦礫に、これほど押されるか……）
このまま魔法陣の中に居れば、やがて魔法陣は打ち砕かれる。死を予見したフェイバルはすかさず次の手段に出た。
「手荒だが……やむを得ん」
フェイバルは新たに自身の足元へ魔法陣を展開する。
「熱魔法秘技・
男が両腕を側方へ広げたとき、突如として爆発的な熱風が吹き荒れた。そしてそれは男を取り囲だ瓦礫を軽々と吹き飛ばし、同時に高熱が瓦礫を塵へと葬ってゆく。
サイネントは即座に後方へと退避した。その最中でも器用なことに、彼は残った瓦礫の再操作を試みる。両腕を前方へ押し込む動作をすれば、一度は吹き飛ばされたはずの瓦礫が再びベクトルを変え、またしてもフェイバルの元へと突撃した。
細かな瓦礫が続けざまにフェイバルへと飛び込む中、さらにサイネントは温存していた大きな二つの瓦礫の制御を開始する。動き出したそれらはフェイバルを側方から狙った。拳を握りしめる動作をすれば、二つの瓦礫はフェイバルを挟む潰すように衝突した。
しかしながら、そこに人間を潰した感触は無い。瓦礫が互いを砕き合う、鈍い音だけが鳴り響く。
「……小賢しい」
サイネントは作戦の失敗を理解した。そしてその失敗こそ、攻守の交代が生じる転換点となる。
再び吹き荒れる熱風は、第二波の瓦礫を吹き飛ばした。そして次の瞬間、フェイバルは熱魔法・
フェイバルは灼熱の拳を届けるべく、退避したサイネントへの接近を目論む。瞬く間に距離が縮まったとき、フェイバルは空中に漂う男に迫るべく大きく地面を踏み込んだ。
そのとき彼が接地するその面だけが、突如として大きく沈み込む。強力な踏み込みは叶わず、地面からの反作用は消失した。
地味ながらもその戦略は効果的で、フェイバルは体勢を崩しかける。接近戦の展開は、堅実に防止された。
そしてサイネントは勢いづくように、浮遊するガラス片の群れを操作する。体勢を崩したフェイバルから更なる優位を勝ち取るべく、その突撃は多角的に行われた。
いまだ無数に残る瓦礫は、束となってフェイバルに押し寄せる。そのあまりの数の多さから回避を続けざるを得ないフェイバルは、また徐々にサイネントとの距離を離されて始めた。拳を振るい瓦礫を焼却しようとも、その物量は以前と大差ない。
サイネントの卓越した技術は、着実にフェイバルを追い詰めた。飛び交う瓦礫の焼却を余儀なくされるフェイバルの足下は、またしても絶妙な隙を狙い澄まして沈み込む。体勢が揺らいだ瞬間、間髪入れずに飛び交う煉瓦片が、ついにフェイバルの頭を捉えた。
サイネントは無数の瓦礫を振り回しながらも、フェイバルを捉えた煉瓦片を手元へ引き寄せる。それは与えた傷の深さを確かめる為の、無意識な癖であった。
その煉瓦の鋭利な先端は、どろどろに溶解されていた。傷は浅い。サイネントは、一撃が致命には足らぬことを知る。
そしてサイネントの注意が瓦礫に移ったこの瞬間を、フェイバルは決して見逃さない。戦況を覆すための一手は、ときに大胆に行われる。
「光魔法秘技・
選んだのは、またしても秘技魔法。眩い閃光と化したフェイバルの体は、物理攻撃を受け流す無敵の装甲へと化した。どれほどの瓦礫が飛び交おうとも、それは障害となり得ない。一筋の眩い光はサイネントへ急接近した。
光魔法の高い機動力と、熱魔法の圧倒的な火力。それを併せ持つ希有な才能の持ち主にとって、近接戦とは独壇場を意味する。
光の筋は地面に反射するように屈曲すると、浮遊するサイネントの背後目指して飛び上がった。拳が届く間合いへと踏み入ったその時、フェイバルは光魔法を解除し熱魔法・
サイネントは周囲の瓦礫と自身を浮遊を司る念魔法を解除する。そしてそれを引き換えに、灼熱の拳を遮る防御魔法陣を展開した。魔法の解除によって浮力を失った瓦礫とサイネントの体は、そのまま自然落下を始める。
「……駄目だ。それだけ動揺してちゃ、守れねぇ」
フェイバルの拳は、いとも容易く防御魔法陣を破壊した。生身となったまま落下してゆくサイネントに続けて襲いかかったのは、心臓を穿つ右拳の一撃。
不思議なことに、走馬灯というものは人間へ平等に訪れる。サイネントが最期に見たのは熱を帯びて青白く輝くフェイバルの拳でなく、いつかの同胞の姿。
弟分のブロニアは、随分と可愛がってやった。同期であるレイダーとはくだらないことで何度も揉めた。手荒だが仲間思いだったのは、パドという名の大男。そして血は繋がらずとも唯一の
マフィアという生き方。生存の為に始まった略奪を尽くした。組織のために殺戮を尽くした。それは人道にはほど遠いものだろう。幼い頃からこの汚れた世界に墜ちたサイネントでも、それくらいは理解に足りる。
鮮明に思い出されるのは、若かりしフォッジの声。貧困街の路地裏で見た、黒服の大きな背中。横顔から飛び出した葉巻の煙の匂いは、ずっと苦手だった。
「そこのガキ。おい、オメーのことだよ」
「……誰だ……テメェ」
サイネントは反抗的な言葉をぶつける。路地裏の泥濘んだ道に伏していなければ、少しは立派に見えていただろうか。
フォッジはそんな生意気に腹を立てること無く、ただ粛々と語り出した。
「見てたぜ。荷車から麻袋を盗んだ挙句、見つかって持ち主に返り討ち。無様だな」
「……うるせぇ」
「だが無様ってのも悪かねぇ。むしろ様を気にして生きていられんのは、ほんの一握りの人間だけだ」
「うるせぇ、消えろ」
「……何となく分かったよ。お前は物心ついた頃からひとりぼっち。そういう奴の目をしてる。この世の全てに噛みついちまう、獣のような目だ」
「何が言いてーんだよ……さっさと消えろ……！」
「だからお前は、人間の温度を知らねえ。ほら、握れよ」
フォッジは少年のもとへ赴くと、膝をついて手を差し出す。
「お前のような狂犬でも、身を寄せることの出来る場所はある。俺に着いて来い」
孤児として路頭を彷徨う少年に差し伸べられたのは、血で汚れた手だった。しかしそれは人生で初めて差し伸べられた手。少年には、それが輝いて映る。
そして少年は魔法を習得し、ついに黒服を纏った。初めてそれを纏ったその日、ふと告げられた言葉が、脳裏へ鮮明に焼き付く。まだ
「サイネント、世界っての思いのほか惨いぜ。貴族か孤児か。生まれがそいつの人生の大半を決めちまう」
「……存じ上げています」
「ここの野郎共も、まあお前ももれなく哀れな奴らだ。だが、そいつらはこの黒服を纏って変わる。王都マフィアという看板を背負い、穢れた誇りを胸に生きてゆく。道を逸れようと、人間らしくあるために生きる。社会がこれを非道と呼ぼうとも、俺たちは生きる」
「サイネント、今日から俺らがお前の家族だ。道は非ずとも、家族が在る。頼り、頼られろ」
血の繋がらない家族にも、確かに愛情はあった。孤児の少年が受けた初めての愛情は、外道に身を落とす対価として十分すぎたのだ。
そして親父とも呼べるその男は、最後に呟いた。
「……ただ強く生きろ。そこが道であらずとも、汚ぇ花が咲き誇る。それがお前の生きた価値だ」
（俺の……生きる価値……）
（ただ最期まで……
フェイバルの拳は、サイネントの心臓を撃ち抜いた。
【玲奈のメモ帳】
No.48 サイネント＝ワーティクル
艶のある金髪のマッシュヘアーがよく目立つ、王都マフィア幹部の男。年齢は二八歳だが、好青年のようなあどけない顔つきを持つ。
戦闘においては念魔法を行使する。周囲のあらゆる物体を武器として操る戦法から、中距離戦を得手とした。
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