閑章2
40.一番弟子 ***
時は流れ、もう先日の慌ただしささえも忘れ始めてしまう頃。その日の玲奈は飽きもせずに、また朝からギルド書庫を訪れていた。
(さて、今日は前の残りを最後まで読んじゃって。それから……)
整然と並べられた魔導書の片っ端から目を通してゆく。ある書物の著者欄にパルケード=コミュレイトの名が映ったときは少しばかり複雑な気持ちを抱いたが、何とか目を背けた。書物それ自体に罪は無いのだ。
そんなとき、ふと玲奈のすぐ横に見慣れない長身の男が並んだ。玲奈は特に気にも留めず、ただ本を品定めを続ける。すると男はおもむろに、そこそこの声量で独り言を連ね始めた。
「あれ……この辺に隠したって聞いたんだけどなぁ。誰か持ち出してんのか……?」
静かな書庫内で遠慮も無く話し出すものなので、玲奈はついつい横目で男を伺う。あまりのモラルの無さから、フェイバルのような冴えない野郎を想像していたのだが、そんな安易な想像は易々と覆される。
後ろへ流した綺麗な黒髪は艶があり、肩あたりで毛先が綺麗に並んでいる。フェイバルよりも一回りくらい太い体格からは、相当の実力が窺えた。しかし何より目立つのは、男が目に装着した防塵ゴーグルのような眼鏡。
玲奈はもはやフェイバルよりヤバめな男から目をつけられないように、そっと視線を棚へ戻した。早急に魔導書を選んで棚を離れようと目論んでいれば、男は通路を通りがかった若い女性の司書へ何かを尋ね始めた。
「なあ、あんた。ここに隠してあった本しらねーか?」
「……ええっと、それはどのような……?」
「それがな、あまり大きな声では言えないんだけどよ……」
玲奈はそばで聞き耳を立てた。それは葬られた歴史を綴る書か、はたまた伝説の魔導師が著した秘伝の魔導書か。
「これくらいの薄さで、今月の表紙は金髪魔導師お姉さんの超絶破廉恥ポーズがグッとくる、あの雑誌なんだけどさ。分かるだろ?」
「知りません! てかそれ、
恥じらいもせず落ち着いた声色で説明する男に対し、司書の女性は声を荒げた。同情しか無い。玲奈はもはや恐ろしくなってそこを離れようとした。
(うん。私の見立ては正しかった。ヤバい人だね……関わらないでおこうか……)
玲奈はすぐ適当な本を選んだ。面倒はゴメンなので、それを抱えいつもの椅子へ逃げるように向かおうとする。
しかしその時、その唯一恐れていた事態は起きた。そう、計らずとも玲奈は一瞬だけその男と目を見合わせてしまったのだ。
(あ……やっべ。今、目合っちゃった? いや、ゴーグルでどこ見てるかも分からないんだけど)
玲奈はすぐに視線を逸らし、颯爽と男に背を向ける。しかしその男の視線は彼女を捉えて放さない。司書の女性との会話を中断してまで、じっとこちらを見つめ続ける。背中から感じる視線は熱いのに悪寒が走った。
心の底からそれと関わりたくなかった玲奈は、すぐに男から離れてそのままいつもの席に腰掛けた。これで一安心だろう。
心機一転、適当に選びはしたが、その魔導書の表紙をめくった。書の名は『炎魔法入門』。玲奈には縁の無いどころか、属性でいえば対極に位置するものだ。それでも不審者の気を引くこと無く離脱するためには仕方が無かった。とりあえず読み進めてみる。
玲奈は油断していた。その不審者はまた彼女の背後に現れる。そして彼は声をかけた。慣れた手つきで玲奈の肩に手を置き、耳元で呟く。
「なああんた。名前は?」
「ひぇえええええ!」
「……ヒエエ=エエっていうのか。珍しいな」
恐怖を筆頭にあらゆる感情が巻き起こるが、結局玲奈は本能的にツッコんでしまう。
「いやそんな名前いるか」
「ん。じゃーなんて言うのよ」
「レ、レーナです……けど」
玲奈は完全に男のペースに呑まれていた。特に躊躇いも無く名を明かしてしまう。
男はしばし黙り込んだ。
「……」
「な、何でしょうか……?」
そして肩から手を離すと、ようやく口を開く。しかしそれは、あまりに突拍子も無い発言だった。
「ちょっとあんた、ついて来てくれ!」
「……へ?」
男は玲奈の腕を強引に引っ張る。魔導書を開いたまま、二人はギルド書庫を飛び出した。
「はあ……はあ……」
男に無理矢理連れられた場所、それは
玲奈は沈黙に耐えかね、それとなく尋ねた。もちろん分かってはいるのだが。
「あのぉ、ここって――」
「ここはだな、とあるバケモノ魔導師が住んでる家だ」
男は玲奈が何も知らない想定のもと説明しながら、ふと歩を進める。扉の前に立てば、特に躊躇することなく手をかけた。
「……あれ、珍しい。あの人、玄関の扉は施錠できるってこと知ってたのか」
独り言を零しながら男が足下に展開したのは、茶色の魔法陣。そして次の瞬間、男はその足元に現れた沼へ引き込まれるようにして消えた。
あまりに唐突な魔法に玲奈は音を上げる。
「え!? なにそれ!?」
初めて見る魔法属性だった。彼がいたはずのところにあるのは、人が一人が収まる落とし穴のごとき小さな沼地。玄関にこんなものを作られては最高に迷惑だ、という発想に至るのはまだ先だった。
見とれているのも束の間、男はその沼から勢いよく飛び出して帰還する。そして彼は呟いた。
「よし、開いたぜ、鍵」
「え? 何の魔法なの? ピッキング魔法? いや、そんな用途が限定的すぎる属性なんてないよね……」
玲奈が家を出るとき閉めたはずの鍵は、いとも容易く開けられた。魔法とは末恐ろしい。
「あ、それ泥沼だから避けて通ったほうがいいぜ」
「……でしょうね」
見慣れたリビングに帰った。男は随分と気安く上がり込むので、玲奈はもうこの男が薄々フェイバルと親しい人間なのだろうと察していた。
男は大きな足音を立ててソファーのほうへ歩き出す。とりあえず玲奈もそれに続いた。
「師匠! おい師匠!? 起きろ!!!」
「んだよ起きてるっての……」
フェイバルは顔の上においた雑誌を除けて応答した。そしてその思わぬ客に、少々驚いてみせる。
「……あれ、ドニーじゃねえか。王都に戻ってたのか」
「そんなことよりこの女だよ! この顔に、このケツにこの乳! クアナの姉御まんまじゃん! 絶対ドッペルゲンガーだぜ!?」
フェイバルは至って真面目な声色で返答した。
「っバカ、クアナの胸はもっと小さい。ちゃんと覚えとけ」
会話の内容が最低すぎるので、玲奈は聞こえないふりをしておいた。怒る気にもツッコむ気にもなれない。
「レーナ、お前の横に居る不審者はドニー=マファドニアス。俺の一番弟子だ。ここまで引き戻されたってことは、どうやらこいつが迷惑かけたっぽいな。悪ぃ」
「いやぁ……それよりもっと謝ったほうがいいことあると思いますけど……迷惑というより、迷惑防止条例違反ですからね」
玲奈はそれとなくデリカシー皆無師弟を貶めるが、ドニーはそれをまるっきり無視して続けた。
「あれ、あんた師匠のこと知ってるのか?」
「……そりゃ私、フェイバルさんの秘書ですから」
「なんだよ、せっかく師匠が喜びそうな女見つけたって思ったのによ」
フェイバルはソファーから起き上がりながら呟く。
「別にそんなんじゃねーよ。丁度秘書に逃げられて困ってたとき、良い秘書が居たから拾っただけだ」
「またまたぁ」
「んなことよりドニー、仕事の話聞かせろ。そろそろアレも近いんだ。名は売ってるんだろーな」
「ええ、そりゃもちろん。今回の依頼はかなり刺激的でしたぜまったく」
ドニーは反対側のソファーに腰掛ける。長くなりそうなので、とりあえず玲奈は茶を出すことにした。
「――で、お前は一体どこで何の仕事してたんだ? 何も言わず長期で王都離れやがって」
「盗賊の捕縛作戦に行ってきた。結構敵が多くて大変だったっすよ」
ドニーはそう語ると、遠慮無くテーブルの菓子をつまむ。
「……ほう。良いアピールになりそうな依頼、よく見つけたもんだな」
「ギルド依頼は戦闘が絡む案件も多くないから、いろいろ別口で探したりもしたんす」
「なるほど、意外と頑張ってんだな。んで、例に漏れずまた一人で行ったと」
「そりゃもちろん」
「ったく、いい加減に治癒魔導師の一人でも連れてけっての」
王国騎士団本部の大会議室にて。張り詰めた空気の中で行われるのは、国選魔道師共同作戦の最終調整。
振り返ればそれは、玲奈との初仕事の日。フェイバルが出席したあの会議から、第三騎士団は長い時間をかけ緻密な作戦を練った。そして決行の時は迫る。
ロベリアの一言は場の空気をさらに締め上げた。
「それでも改めて、王都マフィア掃討作戦の詳細を確認することとする」
「我々第三師団の任務は、突入する国選魔道師らの支援。加えて民間人の避難誘導及び保護。本作戦では国選魔道師による本部奇襲突入が行われることから、異変を悟られぬ為にも民間人の事前避難はできない」
「それでも我らは誇り高き騎士。王国騎士団の名の下に、民間人を犠牲などあってはならない!」
部下たちは固唾を呑む。一呼吸置くと、第三師団副長のマディー=グラディオスはロベリアに代わって続けた。
「本作戦では第三師団を包囲、誘導、通信の三つの機能に分担させます。包囲部門は目標となる敵拠点の包囲により、敵の敗走を阻止します。誘導部門は作戦開始直後から民間人の避難誘導を、通信部門はこれら実働部隊と国選魔道師の情報交換を支援する任務です。指揮系統は私が、師団長は包囲部門として前線に立つ手はずです」
「今回の作戦は、歴史上類を見ない王都内での重大作戦。各々が騎士として最善を尽くすことを期待する!」
【玲奈のメモ帳】
No.40 王国騎士団における師団長と副長の役割
王国騎士団において、師団長とはその師団における最高戦力を指す。それゆえ師団長は戦闘要員としての貢献を期待される傾向にあり、作戦指揮系統を掌握することは珍しい。対して副長は作戦指揮を執る場面が多く、魔法戦闘能力に比べ作戦指揮能力が重視される。
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