39.もう零さぬように ***

 ロベリアは息を切らし、ついにフェイバル宅へと到着した。気づけばもう日が落ち始め、空は橙色に染まっている。

 ノックもせずにフェイバル宅のドアを叩き開けると、そのまま迷わず居間へと駆け込む。彼の鍵も閉めない不用心さは彼女の知るところだった。

 薄暗い視界に映るのは無気力に横たわった本棚。無惨に脚を失った椅子とその木片。炊事場は割れた食器が地面を覆い尽くしていた。まるで空き巣に荒らされたかのような、はたまた大地震に見舞われたかのような、そのどちらにせよ人の住んでいる状態とは思えない。それでも床に転がる酒瓶が少し残った中身を床に吐き出しているあたり、確かに彼は居るのだろう。

 ロベリアはふとテラスの方へ目を向ける。小さな中庭を前に設けられた屋根と、その下におかれた素朴なテラス席。椅子の背は中庭の方を向いているが、その背もたれから少しばかり赤毛が見えた。ロベリアは自分がいかなる声をかけるべきなのか考える余裕もないままに、ただ真っ直ぐそこへ向かった。

 「フェイバル……」

 呼びかけても、男はこちらを振り向かない。それでも彼女は、ただじっと彼の返答を待った。

 しばし重い空気が流れる。痺れを切らしたロベリアはまたさらに歩を進めてフェイバルの正面へ立とうとしたが、それは男は呟きによって制止された。

 「俺は……守れなかった。だからもう……何も抱えたくねぇ。抱える権利がねぇ」

 テーブルに置かれた酒瓶が持ち上げられる。瓶から液体が流れ空気が入り込む心地の良い音が鳴った。

 フェイバルは瓶をテーブルに置くと、続けてブローチを持ち上げた。陽の光で輝くそれは、彼が国選魔導師であることを示す証。ロベリアはそれに釣られるように歩み寄り、男のすぐ側まで至った。

 「俺はもう……全部手放すことにした」

 男はその証を、そのまま床へ投げ捨てた。ブローチに埋め込まれた宝石がまた違う角度で光を反射させる。

 そしてフェイバルは、弱々しく決意を述べた。もうそこには国選魔導師たる威厳も矜持も感じられない。

 「――俺は国選魔導師を引退する。もう決めたことだ」

 彼がブローチを投げ出したあたりから、その答えはロベリアにも容易に予想できた。男の国選魔導師という夢を支えるべく騎士を志した彼女からすれば、それは許しがたい行為だっただろう。それでも彼女は取り乱さなかった。

 しかしロベリアは目にしてしまう。フェイバルの片手に硬く握られていたのは、掌に満たないくらいの小さな刃物。魔法剣ですらない、ただの刃物。そんな小物だろうと、彼女にはそれが今の彼の命を穿つのに充分すぎる凶器に映った。まるで生気の無い男の瞳が、その用途を雄弁に語っていた。

 彼女は激昂した。両手で思い切り胸ぐらを掴むと椅子から引っ張り上げ、立たせて何度も揺さぶった。声を震わせて男へと訴えかけた。涙ぐむ生気に満ちた瞳で、ただ真っ直ぐにフェイバルを突き刺す。

 「あんたが……あんたが全部手放すことが懺悔なの!? それを心臓に突き刺すことが贖罪なの!? あんたが勝手に野垂れ死んで、それで何が変わるのよ――!!」

溜まっていた涙は、ついに零れた。

 「手から零れ落ちたものに囚われ続けて……下ばっかり向いて。それでまた何か零すことが怖いから、全部投げ出して手を閉ざすの? そこに開いてさえいれば零れずに済むものがあっても、あんたは手を閉じるの――!?」

 国選魔導師として、戦い続けることへの使命。たとえ全員を救えずとも、最大多数の人間を救うという覚悟。その姿を最も見てきたロベリアだからこそ、今の男の姿が弱く惨めで恥ずべきものに映ってならなかった。

 「……あんたの気持ちなんて痛いくらい分かる……なんて軽率には言わない。私なんかじゃ分かり得ない。だけど、これだけは分かる。あの子は、あんたのそんな姿を望んでなんていない」

 フェイバルはただ唖然とした。こんなにも感情的なロベリアを見たのは初めてだった。そしてそれは同時に、彼へ最も大切なことを思い出させる。




 ――いつかの記憶が駆け巡る。クアナはあの日、見慣れた笑顔で語った。

 「私はね、強いフェイバルが好きだよ。魔法で誰かを守って、敵を倒して……いつもは気の抜けた顔してるけど、何かを救う為なら全力になる、そんなフェイバルが好き」

そのときはただ素っ気も無く、何の気にも留めること無く返した気がする。

 「……ったく、急に気恥ずかしいこと真っ正面から言うんじゃねーよ。へんなやつ」

その答えが正解だったのかは分からない。いや、正解など無かったのかもしれない。




 ロベリアは弱き男に思いをぶつけると、ゆっくりと腕を下ろした。今更ながら涙を隠すように俯く。フェイバルはゆっくりと口を開いた。

 「……悪かった、ロベリア。俺が……俺が間違ってた」

 フェイバルはテーブルから刃物をその場に落とすと、ブローチの前でしゃがみ込んでそれを拾った。ロベリアは、彼のこれほど素直な姿を初めて目にした気がした。

 「……ありがとう」

フェイバルは立ち上がると夕日を見上げる。震えを隠しきれていない声だった。

 「俺は、クアナが好きな俺でありたい。そうでなきゃならない……」




 ――時は現在に戻る。フェイバルはグリモンの悲劇を語った上で、改めて説明を始める。

 「洗脳魔法ってのをあえて子供に行使させる手口。それに洗脳の標的を魔導師に絞るやり口。完全に組織として洗脳魔法を保有してる」

 「ええ。先天的であるはずの魔法を組織的に保有しているっていう点はまだ謎が多いけど、きっと立件してみせるから」

 「……ああ、頼んだ」

ロベリアはその懇願に少し俯くと、それとなく過去の話を続けた。

 「私もいまだに考えちゃうの。もしあのとき、まだ私がパーティに残っていればって……」

 「でもお前が騎士だったから、俺は魔導師に帰って来れた」

 「……そうね。ごめんなさい、変なこと言って」

場は静まった。無論玲奈が口だしできる状況ではない。

 ロベリアはどこか決まりが悪そうに立ち上がった。

 「それじゃ、私はこれで失礼するわ。もっといろいろ話したいけど、早く本部に戻って一刻も早く立件の準備したいしね」

 「おう。こんなとこまで呼び出して悪かったな」

 玲奈はその会話を聞いて、どこか他人行儀にすら思えた。でもそれはきっと、ただ二人とも水臭い会話が苦手なだけなのだろう。二人を結ぶ絆は目に見えずとも、確かに二人を繋いでいるのだから。




 数日後、王国騎士団は『革命の塔』に関する調査開始を秘密裏に決議した。

 新聞にこの決議が明かされることは無かったが、事件の詳細は大々的に報じられた。

 ギルド・ギノバスとギルド・カポリエテの魔導師たち二十三名。王国騎士団の一個部隊にあたる十五名。そして首謀者のジェーマ=チューヘルという男と、そこに連れられら少女・カシア。計四十人もの死亡者を出した一大事件となった。

 こちらも新聞に明かされることは無かったが、事件で謎を深めた人間を操る魔法は『洗脳魔法』と名付けられた。

 ギルドでは、恋人の行方を憂いていた女魔導師のケティが無事に想い人との再会を果たした。洗脳されていた男魔導師は、魔力駆動貨物車の運転手だったという。またパーティメンバーを探していた男魔導師のワイルも、運良くその人と再会することができたらしい。要塞で発見された唯一の生き残りである女魔導師が、まさにその人だったという。

 フェイバル宅には、反政府組織『革命の塔』の調査が開始された旨の通知が文通魔法具によって送信された。調査によって組織の詳細が明らかになった際には、きっとこの事件に関する国選依頼が舞い込むのだろう。

 フェイバルはまた小さな写真を持ち上げ呟いた。

 「俺は逃げない。俺は、お前の好きな俺であり続ける」






【玲奈のメモ帳】

No.39 ロベリア=モンドハンガン

明るい茶色をした長髪の女性。フェイバルのひとつ年下である二七歳。長身で容姿端麗のみならず、王国騎士団にて第三師団長を務める才女。かつてはギルド魔導師であり、煌めきの理想郷(ステトピア)の一員だった。極度の下戸体質であり、ときおり酒の席で粗相をしでかす。

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