19.人間を辞めるということ ***

 ダイトは窮地に晒された。それでも二人の戦闘員は、一方的な猛攻を彼へと押しつけ続ける。

 ダイトは為す術なく、両手を顔の前で交差させ防御姿勢をとった。縦横無尽に襲いかかる斬撃はマジケルの絶大な効用を帯び、もはやダイトの鉄装甲に限界は近い。最後に立っているのはどちらか、誰の目にも明らかだった。

 「そうだ……! これができれば……」

 そのとき玲奈は何かを閃く。それはダイトの安全を担保しつつ、敵を制止することが出来るであろう革新的な方法だった。しかし玲奈の表情は晴れない。なにせ彼女はまだ魔法陣を出すことができる程度の腕前であって、魔法それ自体を行使したことは一度たりとも無い。魔導師には程遠い実力なのだ。

 「ああもう、知るか! やってやるわよ――!!」

しかし彼女に迷っている時間は無かった。一筋の可能性と、火事場の馬鹿力とやらに懸けてみる。

 (大切なのは、イメージ――)

 あの日のフェイバルの言葉を思い浮かべた。自然に心臓の鼓動が早まる。そのときかすかに体内の魔力の流れを感じたのは、初めての経験だった。流れが最も心地よくなったその瞬間、玲奈は覚悟を決める。

 戦闘員の男たちが助走をつけて剣を振り上げ、今まさに渾身の斬撃がダイトを襲いかかる。その寸前、玲奈は右手を地面に押しつけた。

 「お願いっ――!」

 ときに情動は、魔法に強く作用する。玲奈の右手からは魔法陣が展開された。そしてその美しき水色の魔法陣は、次の瞬間に周辺の地面が凍り付かせた。

 凍てついた地面は、剣を振りかざす男たちの足をすくいあげた。勝利を確信した彼らに隙があったのも功を奏してか、彼らは体勢を崩す。それこそ、ダイトに残された最後の好機だった。

 「鉄魔法・造形クラフト……両手剣バスタード!」

生み出されたのは鉄の刀剣。ダイトはすかさずそこに両手を伸ばすと、躊躇うこと無く男たちを両断する。その手製の剣は魔装加工など為されていなくとも、防御の遅れた男たちを殺めるには充分だった。

 玲奈は己の魔法に唖然とした。正直ダメ元だったのだが、そういえば読んだ本が魔法と感情の関連性に言及していたことを思い出す。

 「……ご都合主義ってやつ?」

 そんなことを呟いたとき、また玲奈はこの世界がそうも甘くないことを知る。気づけば彼女の背後には、残りもう一人の戦闘員。今まさに彼女の命を刈り取るべく、魔法剣を振りかざした。

 ダイトは見逃さない。彼はそ握った鉄剣を玲奈の頭上目がけて投擲する。

 「ひいっっっ!!!!」

 玲奈は突然こちらに向かって飛んでくる刃物に怯え、涙を浮かべ頭を抱え込む。しかしその直後聞こえたのは、存在すら気がつくことのなかった男のうめき声。

 思わず玲奈は思わず振り返る。そこには確かに人間がいた。それでも魔法剣を振りかざしたその男は首から血を噴き出し、力なく地に伏してゆく。玲奈は自分の命が狙われていたことを知ると、みるみるうちに青ざめた。

 魔法は感情に救われたが、こうも流されていてはならない。玲奈ははっとして落ち着きを取り戻した。腰を抜かしている場合では無い。凍った地面に足をすくわれぬよう、慎重にダイトのもとへ向かった。

 「ダイト君、大丈夫……?」

 「え、ええ……ありがとうございます、レーナさんのおかげでなんとかなりましたよ」

言葉では無事を主張しながらも、ダイトの呼吸は少々荒い。素人でも傷の量を見れば、それが軽傷でないことくらい分かる。

 「ご、ごめんね……もっと早く何か出来てれば……」

 「大丈夫ですよ。こんな切り傷くらい」

頬の切り傷から滴る血液を拭うと、そのままダイトは続けた。

 「玲奈さんの後ろに居たあいつで八人目。作戦完遂ですね。さあ、工場を出ましょう。フェイバルさんたちが先に居ないことを願ってね」

ダイトは少年のような笑みを浮かべる。玲奈は少しだけ安心すると、座り込んだ彼に手を伸ばした。

 「ええっ。そうねっ」




 地下施設にて。フェイバルはヴァレンの身を案じる。

 「治癒は完了したか?」

 「はい。少し痛みますけどもう大丈夫です。動けます」

フェイバルはヴァレンに手を差し伸べる。ヴァレンはそれを掴んで立ち上がった。

 大きな負傷もなく、任務は完遂を迎える。それを確信した、まさにその時だった。地下施設を後にすべく崩れたバリケードへ振り向いた二人は、そのガラクタの中から血まみれの巨漢が立ち上がる光景を目にする。

 「コイツ……まだ立てるのか!?」

その巨漢はやけに呼吸が荒い。呂律もままならないが、執念で言葉を綴った。

 「恒帝ェ……。俺は人間ヲ……パド=アントオルスを……やメル……ゼ……」

 その瞬間パドの体は黒い靄に包まれる。左手から大量の錠剤がこぼれ落ちた。二人はそれが魔力供給促進剤・MP-12であるとすぐに察する。

 「クソっ……こいつ薬を……!」

 すかさずフェイバルとヴァレンは臨戦態勢をとった。パドはもがき苦しみ始める。膝を突き首を押さえると、パドの体は人間の様相を奪われるように異形へと変貌した。

 体は黒い毛で覆われ、巨躯はさらなる大きさへ。顔には三つ目の大きな眼。その悍ましい姿にヴァレンは戦慄した。

 「ヴァレン、お前は援護に徹しろ。前には出るな。こいつは正真正銘、人間由来の魔獣。相当ヤバそうだ」

 フェイバルは化け物に立ち塞がる。知能など持ち合わせない魔獣は、すぐさまフェイバルへと突撃した。フェイバルは取り乱すことなく、ただ冷静に防御魔法陣を展開する。

 人間由来の魔獣は、フェイバルの想定を上回る凄まじい能力を発揮した。魔獣の拳はフェイバルの防御魔法陣を粉砕すると、なんとそのままフェイバルを吹き飛ばす。

 部屋の奥まで吹き飛んだフェイバルは、体勢を崩さずに壁を蹴り返して再び魔獣へと距離を詰める。

 (熱魔法・装甲アーマー……!)

全身に高熱を纏ったフェイバルは、閃光の如き拳撃を繰り出した。地下に激しい打撃音が鳴り響き、焦げた匂いが充満し始める。

 「バケモンが――!」

最後の殴打は、魔獣を再びバリケードへと吹き飛ばす。ガラクタが崩れ去り、埃があたりを舞った。しかしそれでもなお、魔獣はゆっくりと立ち上がる。

 「おいおい、結構マジで殴ったんだがな」




 王都、ギノバス王立病院。ここでは数人の治癒魔導師が勤務し、患者の治療にあたっている。

 病院内のとある一室。美しい白髪を流した少女は、呆然と夜空の月を眺めた。取憑かれたように窓の外に吸い込まれるその少女は、ベッドからおもむろに体を起こす。

 そのとき、部屋の扉がそっと開けられた。少女の病室へと入ってきたのは、病院に勤務する看護師の女性。彼女は少女のベッドの側に置かれた椅子に腰掛けると、近くのランプを灯した。

 「フィーナちゃん。眠れないの?」

 「……思い出せそうなの……お月さまをみてると」

 「思い出すって、ここに来る前のことを?」

 「たぶん……そう……なのかな」

看護師の女性は夜空に浮かぶ月を、少女と共にしばし見つめる。あまり私情を挟むべきではないのかもしれないが、彼女は少女へただ純粋に尋ねた。

 「フィーナちゃんはさ、昔の事、知りたいの?」

 「……知りたい。良い事も、悪い事も。全部知りたい」

看護師の女性は俯くと、フィーナに見られぬよう少しだけ悲しげな顔をする。

 「……思い出せると……いいね」

フィーナは依然と月を見つめる。看護師の女性は、その横顔に耐えられなかった。

 「……もう遅いから、寝ましょうか」

看護師の女性はフィーナを横にさせる。カーテンを閉めると、そのまま彼女の病室を後にした。






【玲奈のメモ帳】

No.19 熱魔法

放熱をもたらす魔法。術者は自身の発した熱に耐性を持つが、他者の熱魔法や炎には耐性を持たない。魔法陣の色は紅色。

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