10.魔導師たる決意 ***

 メディナル神殿遺構への緊急招集から一日。時刻は正午。長い遠征に体が疲れてしまったのだろう、玲奈はいまだベッドの中にいた。幸い、今日はフェイバルに付き添う予定も無い。彼女は自身の睡眠欲のままに、惰眠をむさぼることにした。




 はずだった。




 「フ……フェイバルさん、どうして私たちは今こんなところにいるんでしょうか……」

フェイバルは顎に手を当て少し考え込むと、なぜか真剣な面持ちでその問いに答えた。

 「……言ってなかったっけ。今日は飽き性の俺がずっと継続してやってる仕事の日だ。いや、仕事ってか慈善活動か」

 玲奈がフェイバルに連れてこられた場所、それは王都の隅にある小さな魔法学校。しかし魔法学校といっても、広大な敷地と綺麗な校舎が備わった立派なものでは決してない。そこにあるのは、年季の入った木造の平屋と雑草の茂る窮屈な土地。まるで寺子屋のような雰囲気だ。王都にあるにしては、どうも貧相すぎる。

 「今日の仕事はここにいるチビどもに簡単な魔法で遊んでやる。ただそれだけだ」

男はあたかも軽い仕事であるかのように言うが、玲奈は一応真実を述べておいた。きっと彼が失念しているのだろうと思ったから。

 「あのー、フェイバルさん。私魔法なんて一つも使えませんけど……?」

男は特に危機感もなさそうに返答する。

 「あれ、そうだっけ?」

 フェイバルはまた少し考え込むような動作をすると、再び口を開く。

 「まあ、あれだ。結局は子供の相手するだけだ」

随分とハードルが下げられた。というかフェイバル特有の適当発言に思われる。でも玲奈はそれが都合良いので、とりあえず了承しておいた。

 「わ、わかりました……」 

 突然の仕事に戸惑う玲奈だったが、一方で彼女はフェイバルにこんな習慣があることを意外に感じていた。何せこんなにも適当で愛想のない男が、依頼でもないのに子供を相手するというのだから。




 二人は木造の平屋まで歩を進めた。フェイバルは躊躇無く古びた木製の引き戸に手をかける。

 中は直接廊下に繋がっていた。廊下は突き当たりまでちょっとばかり距離がある。玲奈はフェイバルに続いてそこを通過するが、すれ違う部屋はまさに静寂そのもの。どうやら使われていないらしい。

 つきあたりまで到達すると、ようやく中から声がする一室に辿り着いた。玲奈はてっきり授業が終わるまで待機することになるだろうと思っていたのだが、フェイバルはもうすでに引き戸に手を置いていた。

 「え、入っていいの?」

男はまるで自宅であるかのようにそこへ押し入る。玲奈も慌てて続いた。

 教室へ入った二人の視界に飛び込むのは六人の子供たち。教壇には一人の老婆が立っていた。

フェイバルは妙に気さくにその老婆へ語りかける。

 「よおモナ婆。遊びにきたぜー」

 「ちょっとフェイ!! まだ座学の途中なのよ! しばらく外で待ってなさい! ほんと昔からフェイはアホでデリカシーが無くて――」

突如侵入してきた大人が先生に怒られる姿を見ると、部屋は子供たちの笑い声で包まれる。

 「フェイ兄怒られてらー! だっせ-!」

 「フェイ兄ちゃん、また後で遊んであげるから!」

フェイバルは諦めて教室を後にすることにした。

 「んなんだよぉ、仕方ねえな」

玲奈は思ったことをそのまま告げる。

 「フェイバルさん。たぶんあなた、子供たちにかなーり舐められてます」




 フェイバルと玲奈は渋々扉を閉めて教室を後にした。二人は扉の前に座り込むと、ひびの入った窓の外の空をぼんやりと眺め、ただ時が過ぎていくのを待つ。

 無言の時間が流れる中、フェイバルは唐突に妙なことを尋ねてきた。

 「レーナ、お前の両親はどこにいるんだ?」

異世界から来ました!! なんていうのは何かのタブーに触れる気がした。だから彼女は適当に誤魔化しておく。

 「えぇっと、遠いとこにいますよ。あ、別に死んでるってことじゃ無くて、普通に遠い場所に住んでます。私が十八歳のころに実家を出たんですが、それからは忙しくてあまり会えてませんね」

 「へー」

 「なんで急にそんなこと聞くんです?」

 「ここ、昔は孤児院だったんだよ。そんでモナ婆は、俺の親みてーなもんだ」

 「そ、そうだったんですか」

大事そうな情報を急に提示された。玲奈は反応に困りながらも、素直に思ったことを聞いてみる。

 「今はもう、孤児院じゃないんですね」

 「ああ。モナ婆も年だし、そこまで面倒見きれないんだとよ」

 「そう……ですよね」




 とうとう二人が眠気を催し始めた頃、ようやく引き扉は開かれた。子供たちは騒々しく部屋から飛び出すと、瞬く間にフェイバルへと群がる。

 「フェイ兄! 魔法教えて! 前の続きだ!!」

 「私も私も!!」

 男はまんざらでも無い様子で、五人の子供たちに無抵抗で押し流され始める。玲奈はその人気ぶりをただ呆然と見つめた。すると子供たちから遅れるように、杖をついた老婆がゆっくりと廊下に現れた。

 「あなたは、フェイの新しい秘書さんかしら?」

 「あぁ、えと、レーナ=ヒミノと申しますっ」

 「私はモナミ。ここの先生をやっているの」

そのとき玲奈は、モナミの背中に隠れる小さな人影を視界に捉える。目が合ってしまったのでスルーするわけにもいかず、彼女はその少女の正体を尋ねた。

 「……モナミさん、その子は?」

その少女は玲奈からすぐに目を逸らすと、動揺しながらも咄嗟に俯く。モナミはそんな少女の頭に優しく手を据えたまま、その子の名を明かした。

 「この子はニア。ちょっと気弱なのだけど、優しい子よ」

玲奈はニアのほうをちらりと見つめる。やはり目を合わしてはくれない。だから彼女はしゃがみこんで、ニアとの対話を試みた。フェイバルに着いてきたのならば、これくらいはやってのけなければ。

 「ニアちゃん、こんにちは」

 「こ、こんにちは……」

 「みんなのとこに行かないの?」

 「わ、わたし……その……まだ魔法とか全然できなくて……だ、だから……」

 「そ、そっか」

玲奈は思わず言葉を詰まらせる。しかし同時に、これが好機であることを感じ取った。なぜなら玲奈自身もまた、魔法を使えないのだから。

 だから彼女は意を決して提案した。いや、もはや口走ってしまったに近い。

 「ねえ、ニアちゃん! 私と一緒に習ってみない?」

 「え……でも……」

突然の誘いに、案の定ニアは困惑する。それでも玲奈は折れない。彼女はもう一押し仕掛けた。

 「大丈夫! 私だってまだ魔法なんて、一度も使ったことないし! 同レベルだよ、同レベル!」

自分で言っておいて何だが、このカミングアウトはむしろニアを不安にさせる気がした。

 モナミもまた、それが良い機会なのだと思ったのだろう。彼女もまた、ニアの背中を押した。

 「ニアちゃん、一緒にやってみたら?」

そしてついに、ニアの口から玲奈の望んだ返答がこぼれる。

 「せ、先生が言うなら……」

 こうして玲奈は、ニアと共に魔法の習得を約束した。しかし彼女は、心のどこかで抱いた葛藤を思い出す。それはすなわち、魔法と大陸戦争の歴史。自分が人を殺める力を手にすることへの恐れ。

 「……やった! 決まりね!」

それでも口にしてしまったことは取り消せない。どこかで己を騙しながらも、少女の手をとった。




 二人は建物の陰になる庭の隅っこへ場所を変えた。

 「……ニアちゃんはさ、属性診断ってやったことある?」

 「はい。というか、王都生まれの子は、みんな受けることになってます」

 「そ、そうなんだ。んじゃ、適性は?」

 「……水魔法に強化魔法。それと治癒です」

玲奈は手元の魔法入門書をぱらぱらとめくり、少女が適性を持つ魔法を調べる。刻まれた文章をそのまま声に出し読み上げてみる。

 「水属性は名前の通り水を操る魔法。強化属性ってのは、自身や他人の身体能力を強化する魔法ね。治癒属性も名前のまんまで、傷や病を癒やす魔法……」

ここでニアは、ふと思い出したように付け足す。

 「あ、あと氷魔法もです」

それを聞いた玲奈は、本を勢いよく閉じ顔を上げた。

 「氷!? 私と同じ!!」

 「そ、そうなんですか」

こうなれば話は早い。ニアは当面の目標を氷魔法に定め、玲奈と共に研鑽することとなった。

 二人は入門書のうち最初の一節を読み進める。

 玲奈は指で文字を追いながらぶつぶつ読み上げる。

 「魔法の行使における最初の手順は、魔法陣の展開である。魔法陣とは術者の魔力を放出することで発現する円形の紋様であり、術者の魔力に応じてより硬質に発現する。また行使する魔法の規模に応じて、必要な魔法陣の大きさも変化する」

彼女の音読は続く。

 「魔法陣の展開において重要な点は、体内の魔力を任意の座標へ集約する感覚を体得すること。冷静な思考と深い集中もまた肝要である」

しばし二人は黙り込む。あまりに抽象的で非現実的な文章に怯んでしまったが、玲奈はようやく口を開いた。

 「……と、とにかく物は試しだと思うの」

 「……わ、私もそう思います」

玲奈は本を置いたまま立ち上がる。ニアも慌ててそれに続いた。

 完全なる手探りではあるが、とりあえず玲奈は目を閉じてみる。冷静と集中力というワードから、なんとなく瞑想を連想した。彼女が頼みの綱であるニアもまた、見よう見まねで目を瞑る。庭の隅っこは、風の音だけに支配された。




 そこからはただがむしゃらに同じ練習を繰り返すのみ。二人はただ必死に真似事を続けた。

 それでも指南なくては険しすぎる道だった。成果は表れず、日はすでに沈みかける。

 玲奈はふとニアのほうに目を向けると、もう彼女は俯いて泣き出しそうなほど弱っていた。

 「や、やっぱり私には……」

 「だ、大丈夫! 繰り返しやってみればきっとできるから!」

玲奈は元気づけることしかできなかった。そして彼女自身も感じていた悔しさからか、思わず決心を声にしてしまう。

 「私、魔法が使えるようになるまでここに来るから! だから、一緒に頑張ろ!! ね!!」

 そのとき、まるで少し前からこっそりと聞いていたかのように、フェイバルとモナミは校舎の影から姿を見せた。フェイバルは気だるげに頭を掻きながらも、励ましの言葉を贈る。

 「そういうことだ、ニア。こいつは意地でも来るぞ。だから、その、諦めんなよ」

モナミはニアへ寄り添った。

 「ニア、今日はここまでにして、おうちでしっかりお休みしましょう。レーナちゃん、これからよろしくね」

モナミはそう告げるとニアの手をとる。そのときニアは、ついに決意を言葉に綴った。

 「わたし……絶対に魔法使えるようになる!! おねーちゃんと一緒に、できるようになる!!」

小さな少女の大きな勇気に、皆から笑顔が零れる。




 玲奈とフェイバルは歩いて帰路についた。そしてフェイバルは、なぜかこのタイミングで唐突なカミングアウトを決行する。

 「……レーナ。そういえばお前さっき『魔法が使えるまで通う』なんて言ってたけど、もう一週間後には任務が控えてんぞ?」

驚き、というよりかはなぜそれを今頃になって暴露するのかという呆れだった。先日の日程調整が狂ってしまうことくらい、子どもでも分かる。玲奈は一週回って冷静に尋ねた。

 「……なんでそれを今言うんですか? スケジュール組んだときに教えといてください」

 「忘れてた。つい数日前思い出したもんでよ」

フェイバルは悪びれもせず即答した。怒る元気もツッコむ余裕も無い。ひとつ溜め息をつくと、玲奈はふと顔をあげる。向こうが唐突なことを口にしたのだから、仕返ししても罰は当たらないだろう。彼女は、魔導師たる彼に聞きたかったのだ。

 「……フェイバルさんにとって、魔法ってなんですか?」

 「なんだ急に?」

 「答え! 早く!」

 「……資産」

玲奈は心とどこかでもう少し腑に落ちる答えを望んでいた。あまりに期待外れな答えだったので、何も聞かなかったようにしてそれに応じずにいると、彼は補足するように続けた。

 「価値があるのに、才能の無い奴とある奴がいる。その不平等さが、資産みたいだ」

 「へ?」

 「それで俺は才能がある方の人間。実際魔法で稼いでるわけだし、恵まれてる側だ」

 「……」

 「持ちし者は、持たざる者に分配する。それが資産だろ」

玲奈はフェイバルの横顔を伺う。彼が見せた至って真面目な顔は、初めての代物だった。

 「貴族が孤児院に寄付するのと同じこと。俺が俺より弱い人間を救うための、あくまで俺なりの手段だ」

そのとき玲奈は、思わず胸の内の葛藤を露わにした。

 「……でも、魔法は人を殺します。資産は人を殺しません」

 「資産でも人は殺せるぞ。王都にだって殺し屋がごまんといるし……いやその殺し屋は大抵が魔導師崩れだからトートロジーか……」

フェイバルは一息つくと、また口を開いた。

 「まー要するに、俺は周りの人間殺られない為に魔導師やってんだ。国選魔道師になった今は、その守るべき範疇が随分と広がったがな」

そのときフェイバル唐突に立ち止まる。玲奈はそれに釣られ、共に足を止めた。

 フェイバルの視線は、珍しくも真っ直ぐに玲奈を捉える。そのときの彼は、彼女がまだ見ぬほど真剣な眼差しをしていた。

 「……魔法は人間を殺せる。間違ってない。だが、殺す人間を決めるのは人間だ。道を踏み外した人間は、その選択を誤る。そいつを止めることができるのは、そいつを上回る魔導師だけだ」

そしてフェイバルは玲奈に問うた。まるで彼女の葛藤を全て読み切っているかのような返答だった。

 「ギルド魔導師になるということは、人を殺す術を覚えることじゃない。殺す人間を正しく選択するということだ。次の任務は魔法戦闘。まさにその選択の連続だ。もしお前に迷いがあるのなら、今ここでその首に提げた紋章を外せ」

男のあまりに真っ直ぐな瞳は、玲奈を意外にもすぐに決断させる。彼女は、男の見せた魔導師としての矜持に心酔してしまった。自信も根拠も無いが、それを情熱が上回る。

 「……やります。やってやりますよ! 私だっていつか、自分で何かを守りたいです――!」

玲奈は彼の言葉に押され、熱く宣言してみせた。それはもう無謀で軽率な決断ではない、彼の描いた魔導師像への決意表明。

 フェイバルは少し笑みを浮かべた。再び歩き始めながら、いつもの無気力な声で呟く。

 「魔法陣も出せないやつがよく言うぜ。これから頑張りましょうね、一般人ちゃん」

唐突に煽られた玲奈は反撃する。もはや関係ないところで煽ってやろう。

 「フェイバルさんこそ、なにが『その、諦めんなよ』ですか! あんなこと言うのは、熱血キャラの仕事ですよ? フェイバルさんみたいなぶっきら棒な人の仕事じゃありませーん。カッコつけてるのどっちでしょうかねぇ。こういうの、ブーメラン乙って言うんですから」

フェイバルはその奇天烈な言葉を理解できず首をかしげる。玲奈はその微妙な空気に耐えかね、話を終わらせた。煽りに失敗したようだが、なんとか痛み分けにもちこもう。

 「……まったく魔導師っていうのは、つくづくカッコつけなんですね」

 魔法も使えぬ魔導師の、勢いだけの決意表明。偉大にしてろくでなし魔導師の、優しき言葉。カッコツケはお互い様だろう。

 「……かもな。ギルドではただの酔っ払いのくせに、恥を知れっての」

二人はそっと笑い合う。そのときの二人は重役と秘書ではなく、ただの二人のギルド魔導師であった。






【玲奈のメモ帳】

No.10 魔法陣

魔法を発現する際に生じる、紋様を浮かべた円状の魔力結晶体。術者の行使する魔法属性によって異なる発色を見せ、また術者の魔力に応じてその硬度が増してゆく。魔法戦闘では有効な防御手段として用いられる。

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