9.もうひとりの国選魔導師 ***

 エスワルドは緊急招集の概要を語り始める。

 「――二日前の深夜三時頃のことになります。メディナルを巡回中の騎士がある現象を目撃したのです」

そして彼は、部下である騎士からの証言をなぞらえる。

 「突然森全体が真っ黒な魔法陣に包まれ、それはすぐに消滅した。その直後、次はこの神殿跡だけを包むような漆黒の魔法陣が出現した。彼はそう語りました」

そのときフェイバルはふと違和感を抱いた。

 「黒い魔法陣……そんな魔法知らねえなぁ」

 「我々も調査中なのですが、全く手がかりを掴めていないのが現状です。そこで、魔法に関して聡明であろう国選魔導師たちをお呼びしたというわけです」

フェイバルは黙り込む。珍しく何かを真剣に考えているようだ。

 エスワルドはその男の反応から状況が芳しくないことを察する。

 「……やはり恒帝殿でも、思い当たる節はありませんか」

フェイバルは言葉を何も返さなかった。会話が途切れて空気が不穏なので、玲奈は必死でそこを取り持つ。

 「と、とにかく私たちもいろいろ調査してみます! ね、フェイバルさん!」

ライズは彼女の宣言から具体的な指針を示した。

 「神殿跡周辺は騎士とギノバス魔法局の特派員が現場検証中ですので、魔導師方には大森林の調査をお願いいたします」

 「さ、行きますよフェイバルさん! これも国選魔道師としての使命なのですから!!」

こうして玲奈は男を強引に話へ乗らせた。




 大森林では、先を越して二つの人影が探索を開始していた。

 「……マスター。私は何も異変を感じませんが」

 女性にしてはやや低いその声の主は、名をツィーニアという。腰のすぐ上あたりまで伸びた艶のある金髪に、透き通った碧い瞳。しかしその瞳からは、暗く冷え切った何かを感じる。

 「……うーむ、私も同意見だ」

 彼女の声に老紳士が応じる。男はかすかに差し込む陽の光に眼鏡を照らされていたが、ふとツィーニアのほうへ振り返り呟く。

 「にしても……相変わらずの重装備だねぇ。今日は戦闘が絡むような作戦じゃないんだから、くらい置いてくればよかったのに」

老紳士が指差したのは、彼女の肩に担がれた大剣。それは騎士が腰に差す通常の剣とはまるで違い、垂直に立てれば男の胸あたりまで刃があるほどの大物だ。刃を隠すようにして包帯が巻きつけられているが、それでも迫力は衰えない。

 「それは無理です。私は二刀流ですので」

ツィーニアは腰に差した剣に触れる。彼女は両手を要するような大剣に加え、腰の剣をも得物とするのだ。

 そして彼女は顔色一つ変えず呟いた。

 「備えは怠らない主義ですから。戦闘の準備が不十分で死ぬなんて愚かな真似はできませんので。やるべきことをやるまでは」

 「……まったく逞しいねぇ」




 玲奈とフェイバルは大森林へ足を踏み入れる。しかし彼女はここへ初めて来たわけだ。当然ながら、彼女の目にはここが何の変哲も無い雄大な自然にしか映らない。

 つまるところは、フェイバルだけが頼りだ。しかしフェイバルの表情を伺うかぎり、どうやら彼も何一つ掴めていないのは同じらしい。

 玲奈はそっと尋ねてみた。

 「あのー、フェイバルさん。何か分かりそうです? 以前と様子が違うとか……」

 「いや、わからん。ただそれより、引っかかってることがある」

 「ひっかかってる?」

 「何でわざわざ国選魔道師を二人も呼ぶ必要があったかってことだ。てかなんならジジイまで呼ばれてるみてぇだし」

 「え。おかしいものなんです?」

 「国選魔道師は三人しか居ねーんだ。王都で内戦が起きたわけでも無いのに、仲良くまとめて二人も招集されてるんだぜ?」

玲奈は男の言いたいことが何となく分かった。答え合わせといこう。

 「……つまり?」

 「ギノバス政府は何かを焦っている、ということだ」




 陰謀めいた憶測ばかりで何の進展も無いまま、二人は景色の変わらぬ大森林を徘徊し続けた。するとそんな代わり映えしない中で、ついに二つの人影と遭遇する。

 フェイバルはあからさまに嫌悪感を露わにする。

 「……あーあ。出くわしちまった」

殺風景な中、当然向こう側もこちらに勘づいた。老紳士はこちらへ大きく手を振る。

 「おお、フェイバルじゃないか! お前もちゃんと依頼に来てたのか! 意外なこともあるもんだ!」

男はフェイバルをよく見知った様子で話しかける。フェイバルは仕方なく会話のできる距離まで歩いた。玲奈もそれに続く。

 「ほんとはこんなしょーもない遠征ゴメンだが、仕事ならしゃーない。てかジジイまで呼ばれてんなら、俺いらんだろ」

 「最近ふつふつとジジイなの気にしてるんだから、マスターもしくは雷神殿と呼ぶんだ」

その人影に近づいて、玲奈はようやく気がついた。彼女はそのジジイに一度会っている。

 「あれ、あなたってあのとき書庫にいた……?」

 そこに居たのは、初めてギルド書庫に行ったあの日玲奈へ話しかけてきたあの老紳士だった。そして顔見知りなのはお互い様らしい。

 「おや! 君はフェイバルの新しい付き人だったのか。そうそうこれはちゃんと教えておかないと。いいかいレーナちゃん、フェイバルはアホだし適当だし生まれつきデリカシーが欠如して――」

フェイバルは老人の言葉を遮ると、その男の正体を明かす。

 「おいレーナ。あのジジイはトファイル=プラズマン。ギルド・ギノバスの現マスターで、元国選魔導師だ。さっき自称してた『雷神』ってのは国選魔道師時代の異名。今の異名は雷ジジイだ。長いから、省略してジジイでいい」

 「フェイバルさん。それただの爺です。個性死んでます」

緩んだ空気の中、ふとツィーニアが口を開いた。

 「それで恒帝、この大森林で何か掴めた? 私はここに来るの初めてだから、見当もつかないのだけど」

フェイバルはきっぱり即答した。

 「いや、わからん。何一つ」

玲奈はふとその女性を凝視する。ついにその女と目が合えば、玲奈は冷ややかな視線に怯んで眼をそらし、耐えきれずフェイバルに耳打ちした。

 「フ、フェイバルさん! あのおっかない剣をもった女性はどなたですか!? 何ですかあの剣!? あれMMORPGだと巨人族が使うやつです!」

 「ちょっと何言ってるかわかんねーけど、あいつはツィーニア。刃天じんてんと呼ばれる現役の国選魔導師だ」

ツィーニアは一度合った目を逸らされてもなお、玲奈をじっと見つめた。その冷たく鋭い視線は、やはり少しぞっとする。玲奈は意を決して愛嬌を振りまいてみたが、普通に無視された。ツィーニアの会話相手はフェイバルだった。

 「また随分と似かよった女をそばに置いてるわね。いつまで執着してるのよ。あんたの可愛いは死んだの」

 そのとき玲奈は、横に居る男からかすかな怒りを感じた。ツィーニアは気にも留めず続ける。

 「それにその女、魔導師には見えないけど。そんな女をどこまでも連れて歩いて、また仲間を死なせる気なのかしら?」

 「……お前には関係ない。余計なお世話だ」

 「あんたがその女をこうやって国選依頼に連れてくるなら、十分関係あるわよ」

 「こいつは新米だが魔導師だ。侮辱するんじぇねえ」

フェイバルの表情が少し曇る。それを見た玲奈は何となく察しがついた。男はやはり、何か触れられたくない過去を抱えている。

 「レーナ、いくぞ」

男は振り返れば、颯爽と来た道を引き返す。少し戸惑いつつ、玲奈はそれへ従った。

 トファイルとツィーニアの元を離れてからは、しばし沈黙が続いた。玲奈の頭をぐるぐると巡るのは、という者について。

 その人物の詳細を聞こうか聞くまいか、玲奈は迷い続けた。しかし意外にもフェイバルは、自らその人物に関して言及を始める。いや、詮索される前に先手を打ったというべきだろうか。

 「レーナ」

 「……なんです?」

 「さっき刃天じんてんが言ってたクアナってのは、ただの元仕事仲間の名前だ」

 「そ、そうなんですか」

 「ただ、それだけだ」 

フェイバルはそれで話を終える。まるで何かを思い出さないようにしているような、あまりにも簡潔な紹介だった。




 太陽もその顔を隠し始めた頃、フェイバルと玲奈は神殿跡へ帰還した。そして二人は、結局何一つ手がかりを掴めなかった旨を伝える。ライズはそれを予想通りであったかのように受け止める。

 「やはり、そうでしたか。雷神殿と刃天じんてん殿も成果無しとのことでしたし……」

 「ジジイにも分かんなかったのか。なら俺には無理だ」

 「今回の案件は、我々の持つ技術や知識では説明のつかない現象であったと認めるしかないようです。魔法はいまだ謎深いものです」

ライズは少し俯くと、すぐに気を取り直す。

 「ともかく、本日はお疲れ様でした。これにて依頼は終了です」

そして二人はライズに見送られ、メディナル神殿遺構を後にした。




 深夜。フェイバル宅浴室にて。中世風の町並みでも意外と侮れず、衛生設備は魔法具の力でかなり高い水準で整備されている。特に浴室は、現代っ子の玲奈でも快適に使うことができる。

 玲奈は入浴で長い一日の疲れをほぐしていたとき、ふととあることを思い出した。それはロベリアからライズへ続けざまに言及された、己の瞳について。

 「魔眼……とか言ってたっけ。もしかして、異世界転生から無双する流れキタ? 結構諦めてたけど、まだワンチャンある?」

 玲奈は湯船から立ち上がり鏡にぐっと顔を近づけると、自分の眼球をまじまじと観察してみる。すると玲奈はすぐに異変に気づいた。もはや、なぜ今まで気づかなかったのだろうか。右の眼球の黒目の奥には、かすかに魔法陣らしき紋様が浮かんでいる。色は金色と表現するのが適切だろうか。何とも神々しい。

 慣れ親しんだ自身の体に異変は見つかるのは、かなり心臓に来るものだ。玲奈は思わず声を荒げた。

 「な、何コレ……何コレぇぇぇぇえええええ!!!」

そして何の躊躇もなく浴室の扉は開かられる。いつもの腑抜け顔をしたフェイバルが面倒くさそうに顔を出した。

 「なんだぁ? 虫とかいた?」

 「いやいませんからっ! あとデリカシーもいないみたいですっ!!!」

浴室の桶はフェイバルの額を正確に捉えた。






【玲奈のメモ帳】

No.9 国選魔導師

 国から能力を認められ選出された魔導師。作戦騎士団(王国騎士団)の三師団に対応するように、それぞれ三名が着任する。選出には師団長の推薦を要するのが慣例である。

 国選魔道師は騎士と連携し、国選依頼の作戦の中核を請け負う。最前線が主な役割であるゆえに激しい魔法戦闘は免れないが、その報酬は凄まじい。

 なお「国が選ぶ」という表現は、かつてギノバスが一つの国家であった時代からの名残である。

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