8.メディナル神殿遺構 ***

 その日の二人は、魔力駆動車に揺られ都外を駆けていた。魔導師という生き方への葛藤も束の間、玲奈は国選魔導師の緊急招集に同行する。

 王都ギノバスの検問を抜けてから何時間経っただろうか。まだ目的地へは着かない。運転手の男は久しぶりの遠距離運転でご機嫌らしく、長い間飽きもせずに鼻歌を歌っている。

 王都の外には、いまだ未開発の土地が延々と広がる。人間の文明の面影を感じられるものはずいぶん少ない。ときおり目につくのは、瓦礫の山や大きく抉れた地面。数百年も前の戦争でも、その面影は大陸に色濃く刻まれていた。

 魔力駆動車が走る道はかろうじて整備されているようだが、それでも揺れは中々に酷い。それでもこの道が大陸の物流の命綱だ。

 そのとき、突然運転手の男の鼻歌が止まった。

 「出たぜ旦那! 右に魔獣だ! なかなかデケぇなぁ」

黒い体毛で覆われた巨体に赤色に鈍く光る鋭い眼光。近づくことが危険であることくらい本能的に理解できる。

 魔獣、それは生物に魔力が飽和することで凶暴化した変異種である。人間をはじめ全ての生き物は空気中の魔力を体内に蓄えるを持つ。しかしそのから魔力が飽和すると、魔力は肉体を蝕み魔獣へと変貌させる。ゆえに王都の外に生息する魔獣のうちの小さな個体は、自然的に魔獣へと変化してしまうのである。そして彼らは魔獣と化すことで自我と理性を失い、凶暴性と力を手にすることとなる。

 魔獣による被害を抑えるため、都外を移動する車両には許可証とギルド魔導師の同行が義務付けられている。この護衛任務は、ギルド魔導師にとってポピュラーな仕事のひとつである。

 休日の間ずっとギルド書庫へ通いつめた玲奈は、もちろんこのことも履修済みだ。とはいえさすがに生で見る魔獣の迫力には少しばかり気押された。

 「おう、まかせなぁ」

 フェイバルは右手窓から出すと、指先を遠くに見える魔獣へゆっくりと向けた。束の間、そこかた魔法陣が展開される。そして深紅色の魔法陣から赤い閃光がほとばしると、まだ距離のある魔獣の腹をいとも容易く貫いた。

 フェイバルの行使する魔法の一つ、『光熱魔法・烈線レーザー』は遠くから対象を強襲できる光の矢。フェイバルが適性を持つ熱属性と光属性を合体させた混合魔法と呼ばれる代物しろものである。

 「ヒェ……レーザービーム撃ってる……」

玲奈は魔獣よりも、間近で目にした男の魔法に目を奪われた。




 代わり映えしない景色の中に、ようやく目的地らしき地点が見えてくる。そこは本事案の招集地点、メディナル神殿遺構である。

 「……これ、神殿なんです?」

 神殿跡などという厳かな名を冠しようとも、玲奈の目にはそのように映らない。というのも、眼前に広がるのは巨木の連なる大森林。人の文明は微塵も感じられなかった。

 フェイバルはあくびしながら応える。

 「森の中だ。神聖な場所を開けたところに丸出しで置いとくわけないだろ」

 「神聖……なんですか?」

 「いや知らん。神殿だったら普通神聖だろ」

 「適当なんかい」

 神聖な地は、思いのほか物騒であった。次第に見えてきたのは強固そうな前哨基地と、数人の騎士らしき人影たち。

 フェイバルは玲奈を質問を先読みして回答してやった。

 「あいつらはメディナル特種騎士団の連中だ。神殿とその周辺を年がら年中警備してんだよ」

 「ええ? こんな僻地にあるとこをずっと守ってるんですか?」

 「ああ。どういうわけだが相当の人数が駐屯してるらしい」

 「特種ってことは、やっぱりロベリアさんたちとはまた別の騎士団なんですかね?」

 「あいつらは作戦騎士団。騎士でも種別が違う」

 「なるほど……騎士ってややこしいですね」




 巨木がぎっしりと立ち並ぶなか、一行の車両は一カ所だけ大きく開いた森の入り口へたどり着いた。その先は森の奥に佇む神殿までの経路らしい。

 運転手の男は車を止める。

 「民間人の俺が入れるのはここまでだ。微妙に距離あるが、あとは歩いてくれ!」

 「え、森の中の神殿までは行けないんですか?」

 「ああ。森の先はギノバス政府の特別指定保護区だ。民間人の俺は入れん」

 「そうですか……ねえフェイバルさん。私もたぶん民間人だけど、入れるんですかね?」

 「入れるだろ、たぶん」

 「適当ですよね?」




 二人はしばし歩いて森の入口へ近づくと、そこへ騎士らしき男たちが歩み寄る。彼らが身に着けたブローチは、ロベリアのものとは異なる別の紋章。メディナル特種騎士団が、王都の騎士とは別の立ち位置にあることを示している。

 男はフェイバルに尋ねる。

 「紋章はお持ちですか?」

 「ああ、これな。ちょっと長旅だったもんで、首からさげるのは控えてたんだ」

彼は懐から国選魔道師の紋章たるブローチを出すと、それを提示した。出発時に玲奈からの指摘で思い出しておいて良かった。

 「ありがとうございます。団長は遺跡の中央部でお待ちです。そちらまでお送りいたしますので、こちらの魔力駆動車にお乗りください。お付きの方もどうぞ」

玲奈はとりあえず同行できることに安堵した。フェイバルはふと親指で後方を指差す。

 「そうそう、あそこに停まってる車と中のおっさんを守っておいてやってくれ」

 「もちろんです。お任せください」

そうして二人は、導かれるままに騎士の車両へ乗り込んだ。

 はメディナル特種騎士団が所有する車は、装甲魔力駆動車と呼ばれる代物。鋼鉄のボディと据え付けられた機銃は、明らかに戦闘を想定されてのもの。何より森に入るまでの道でも相当だった車の揺れが、随分とましになっている。森の中の道は都外のそれより狭く険しいが、そんな悪路も装甲魔力駆動車には朝飯前のようだ。

 ふと玲奈はあることに気づく。

 「そういえばここ、森の中なのに魔獣が全くいませんね。森だったら開けた都外なんかよりよっぽど多そうですけど」

フェイバルは珍しく、彼女の意見へ素直に納得した。

 「言われてみりゃあ……というか生き物の気配すらねぇ。気味悪いな」

ハンドルを握る別の騎士は語った。

 「よくお気づきで。この森林には魔獣が発生しないのです。私は駐屯を始めて随分長くなりますが、今までこの森の中で魔獣に出くわしたことは一度たりともありません」

 「理由は分からないのか?」

 「はい。ここでは騎士の他に専属の研究者が在駐し継続的に調査を行っているのですが、決定的な原因は未だ掴めていないようです」

 「そうか。ここら周辺の魔力は随分と濃いように感じるが、それでも沸かねえもんか」

 「そうですね。この辺りの空気中の魔力は森に住む小さな生物のには耐えきれない濃度だと思うのですが……」




 「――到着しました。ここがメディナル神殿遺構です」

 ようやく森を抜けた。するとそこに現れるのは、まるで一帯の巨木だけをくり抜いてしまったように開けた大きな広場。そして中心には、まさに見て分かるような神殿跡が残されていた。しかし周囲にはかなりの量の破片や瓦礫が散らばっている。中心にはかろうじて大きな石柱や石の床が残されているが、どうやら天井は全て崩れ落ちているようだ。神殿跡とは言えども、もはやほとんど原形が留められていないように見て取れる。

 あたりにはかなりの人数の騎士が守衛を務めている。白衣を着た研究者の姿もあるが、彼らを守るためだとしても少々手厚すぎる頭数だ。

 「突然呼び出してしまい申し訳ありません。恒帝殿」

 車両を降りたところへ、腰に剣を差した男が歩み寄った。その若い男は名をライズ=ウィングチューンと言う。短い黒髪に眼鏡。キリッとした目元と礼儀正しい言葉遣いからは、それとなく頼もしさを感じる。そして彼に据えられた紋章、それは彼がロベリアと同じ座に立つことを示す。

 フェイバルはその男と顔見知りのようだった。

 「おう、どうも師団長さん」

玲奈はここでうろ覚えだったロベリアの紋章と彼の紋章が一致することに気がつく。

 「師団長ってことは……?」

 「ああ。こいつは作戦騎士団の第一師団長。まあ、ロベリアの同僚ってとこだな」

そこで彼女は改まった自己紹介が必要だろうと思い立つ。

 「私、フェイバルの秘書を務めておりますレーナ=ヒミノと申します。以後お見知りおきを!」

 「王国騎士団第一師団長のライズ=ウィングチューンと申します。恒帝殿のお世話、よろしく頼みます」

 「おい、なんでレーナが俺の保護者みたいになってんだ」

そのときライズは、突如として玲奈の目を覗き込む。彼はそこであること気がついた。

 「恒帝殿、レーナ殿はをお持ちで?」

 「んぇ?」

フェイバルはライズに続いて玲奈に接近する。彼女はマガンというものが何か分からなく困ってしまった。

 「あのぉー、ちょっと恥ずかしいかなーなんて……」

 「……まじじゃん。今まで気づかんかった」

ライズは玲奈にマガンを説明してくれた。

 「レーナ殿、魔眼とは先天的に宿る大変希少な魔法です。きっと恒帝殿の助けになる力になるはずですよ。是非とも訓練されてみるべきですよ」

 「は、はあ……」

フェイバルは顎に手を当てる。

 「でもよ、魔眼に今になって気がつくことあるか? 鏡見りゃ分かるもんじゃねーの」

 「恒帝殿。魔眼は本来瞳に魔法陣が浮かぶものですが、その魔法陣の発現の時期や魔眼が活性化され魔法として扱えるようになる時期には個人差があります。レーナ殿はそれがまだ訪れていないのかもしれません。かくゆう私も、この瞳が魔法を宿したのは数年前のことです」

男はさりげなく語ったが、それは彼もまた魔眼の保有者であるということだ。

 フェイバルはそれを知っているようで、とにかく玲奈のほうへと関心をよせていた。

 「なるほど……こりゃ凄い奴を引き当てたもんだ」

 そのとき、また別の騎士が合流する。白髪の混じった髪で片目が隠れたその紳士は、顔に無数の縫い跡が残されている。玲奈は正直なところ反社会的な人を連想した。

 「恒帝殿お久しぶりです。そしてそちらのレディーは初めまして。私はメディナル特種騎士団の団長を務めております、エスワルド=フィリングリンドであります」

男は一礼する。ライズはさりげなくそれを返すが、エスワルドはすぐに話を続けた。

 「国選魔導師・刃天じんてん殿のほか、例外的にお呼びしたギルドマスター殿もすでに調査を開始されております。早速で恐縮ですが、今回の依頼内容をお伝えします」

男は堅い口調のまま説明を始めた。






【玲奈のメモ帳】

No.8 魔眼

先天的に瞳へと宿る特殊な魔法。目を介することで極めて個性的な能力を発揮する。たいへん希少な魔法であり、保有者は王都にも指で数えるほどしかいない。魔眼の保有者は瞳に魔法陣が浮かび上がる。なおその出現時期は出生時に限らない。また魔法陣が発現しただけではまだ非活性の状態であり、それが活性化される時期にも個人差がある。

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