第36話 新しい冒険はときめきに満ちて

玄関前の車に思わず声をあげた。

兄が大好きだった漫画。

その主人公が乗っていた車。


たまにしか乗らないから、

だから奮発したんだ。

そう言って笑う兄は

恥じらう少年のようで微笑ましい。


そんな車でウールを買いに行く。

朝市で綺麗な束を興味深く見ていたら

生産地を教えてもらった。

せっかくなら本場に行ってみようと

兄が乗り気になった。


正直言って編み物は苦手だ。

力加減がうまくいかない。

過去に作り上げたものはなし。

凝ったものなどできるはずもない。

でも膝掛けくらいなら

不格好でもどうにかなるだろう。


そんな私は安物で十分だ。

だけど贈る相手は兄だから

そうも言ってはいられない。

技術でどうこうできないならば、

せめて素材くらいは良い物を。

それゆえ綺麗な色と手触りに

私はとことんこだわった。


買い込んだウールをお気に入りの籠に。

チーズに蜂蜜、塩漬け肉にリンゴのお酒

新鮮なハーブもどっさり買い込んで。

なんとも印象的な茅葺かやぶき屋根の間を行けば、

まるで冒険の始まりのよう。

世界を旅する主人公みたいに、

私たちは大いなる高揚感に包まれた。


自由で大胆で楽しいが一番。

日帰りの旅は

予想を超えたときめきに満たされる。


憧れの車を運転する

ご機嫌な横顔を見つめながら、

私はそっと

兄の大好きなヒース色に染められた

柔らかなウールの束を撫でた。


初めての編み物はきっと

思い出深く、素敵なものになるだろう。

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