第26話 幾万の瞳開く季節

柔らかなまどろみに夢中だった春先を超えれば

もう、うかうか寝てはいられない。


飛び起きて窓へ走り、

大きく開け放して胸いっぱいに吸い込む。


甘い、甘い、甘い香り。


庭を満たす無数の花びらが

フルフルと揺れて紡ぎだす至福の時間。

朝露もまだ乾かぬそれを

そっと摘み取りテーブルに飾る。


その日の気分で集める色が違えば、

クロスも食器もそれにならって

テーブルも庭の一部のように華やぐ。


お前にはジャムも砂糖もいらないね。

頷きながらニシンをまむ兄。

今日の卵にはお塩かしらソースかしら。

私は兄に尋ねながら

ヨーグルトに花びらをこれでもかと散らす。


お前は薔薇を食べて生きているんだね。

笑いながらバターを伸ばす兄。

今日のクリームはとてもいい出来なのよ。

私は兄に自慢しながら

サラダにも花びらをこれでもかと散らす。


大好きな人のそばにいる今、

もう薔薇の棘に刺されて

永遠に眠ってしまいたいとは思わない。

その代わり、私は花を食べる。

咲き誇り、こぼれ落ちるその瞬間に

抱きとめて私の中にすべて取り込む。


愛する花が

喜びを運んでくれるのは当たり前。

けれど。

二人で取るその季節の食事が

こんなにも魅力的だなんて。


私がずっと微笑んでいるのは

花の力だけではない。

でも内緒。

テーブルの花を愛でる振りしてその陰から、

紅茶に砂糖を落とす人をそっと盗み見る。


それは私の夢の青い薔薇。

何よりも美しく咲き誇る命。

私の中に刺さったその棘は、

未来永劫抜けないことは間違いない。


甘すぎた。

あらあら、そんなに入れたかしら?


紅茶を一口飲んだ兄が眉を下げれば

花びらを口に含んで私は微笑んだ。


甘い、甘い、甘い香り。

薔薇咲く季節の、夢の時間。

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