アジアの核弾頭

 サッカーネタが多いのはご容赦を。


 といっても、最近はあまり見ていないのです。中村俊輔選手が日本代表に行かなくなってからかなあ。


 その次の世代の(報道される)言動が好きでなかったのと、日本サッカー冬の時代やら日韓戦の木村和司の伝説のFK、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜など見続けて来た身には、感情移入して日本代表を応援し続けられるのがそこまでだったのです。


 軽くなった、というんでしょうか。


 蛇足的に本題へ行きますが、現在は日本サッカー協会の重鎮として批判を受ける機会の多い原博実氏は、日本サッカー冬の時代の代表を支えたエースストライカーでした。


 所属チームは三菱自動車で、ニックネームは誰が呼んだか「アジアの核弾頭」!? 凄そうではあるけど、核を保有しない日本では皮肉な二つ名だと思ったものです。


 武器は滞空時間が長く、打点の高いヘディング。180cmに満たない身長ながら、アジアレベルでは抜群の空中戦の強さを発揮していました。


 当時のサッカー日本代表は読売クラブの加藤久、古河電工の岡田武史といったスイーパーを中心に引いて守るスタイルで、ロングボールでカウンターを狙う博打のような戦術を採用していました。


 フリーキックの名手、木村和司も代表を離れがちで、セットプレーやカウンターのロングボールを原博実の頭に合わせるというのが数少ない得点源だったのです。


 因みに、エース格だった木村和司が代表を離れた理由の一つが、日本代表に選ばれた選手の活動に日当が無かった事だそうです。いくら当時の日本サッカーがアマチュアだったとしても、今では考えにくいですね。


 木村和司に批判もあったようですが、トップ選手の大半が企業チームの社員として半日は働き、残り半日で練習という日々を送る中、名誉だけを餌に当たり前のように招集される事に疑問を持つ者が出ても無理ないかと。


 日本代表自体が決して強くはなく、アジアの強豪ではあってもトップではなく、隣国のライバル、韓国や中東勢に水を開けられたポジションでした。日本リーグでも技術レベルの低い、荒っぽいプレーが散見されましたし。


 日本に帰化したジョージ与那城、ラモス瑠偉の読売クラブ勢が代表入りし、韓国にならってトップリーグのプロ化を目指し、その先駆けとして日産自動車の木村和司、ドイツのブンデスリーガの強豪、ベルダー・ブレーメンから古河電工に戻った奥寺康彦の二人が事実上のプロ契約であるスペシャルライセンスプレイヤーとなり。


 その辺りから、ボンヤリとではありますが、悲願のW杯出場が現実的な目標になった気がします。


 みんな必死で、ひたむきでした。今はスタイリッシュでモダンですけど、代表戦でアツくならないというか。


 アウェー戦でブーイングを飛ばしてくる相手サポーターに対して、ユニフォームの胸の日の丸を誇らしげにアピールする選手がいたり。


 懐かしく思い出します。

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