4番地:クロスダスク街道
メルトポの街中に不断で甲高いベルの音が響き渡るのは、警報だ。
街に大きな脅威が迫ると告げる音の下、住人や旅人たちが兵士の指示に従って避難する。
ただ、中には避難誘導の流れに逆らう者もいた。
誰もかれも、物々しい装備に身を包む、荒事慣れした顔つきの者たちである。
何であれ、安全な避難を阻む行為は捨て置けないはずだ。しかし、取り締まる立場の兵士は、彼らが銀のペンダントを見せるとコクリと頷くばかりで、立ちはだかりもしない。
彼らは冒険者だった。
急ぐ先は、ギルドの会館である。
「緊急クエストー! 緊急クエストでーす!」
ランタンスリーブにフリルをあしらえたブラウスの女性――ギルドの受付がハンドベルを鳴らしながら、ガサツな喧騒の中でもしっかり声を通す。
カウンターに掲げられた書簡は走り書きだが正式なもの。ガサツな喧騒は、粗暴な喝采に変わった。
「超、超、超巨大な魔物の討伐依頼が、東関門とアガルタから!」
「となれば実質ご領主様と地下の女王の依頼だ!」
「良うし、善は急げ! フォート・ゴーレムに恩を売りゃあ……!」
別のハンドベルが割り込む。
「い、今の依頼、終了! 終わり! 達成でーす!」
カウンターに詰め寄っていた冒険者たちから、一気に不満が噴出する。
「おいどういうこったい」
「誤報なら承知しねえぞ」
「達成、つったな。抜け駆けしたのは誰だい」
「妙に陽気で意味不明な口調の滅茶苦茶な女性と聞いています!」
ご存知でしょう? と言いたげな受付の返答を受けて、今度は落胆に支配されるギルド内。
「ミサか……」
「ミサならしゃあねえ……」
最初のハンドベルが鳴り、冒険者の注意を集める。いちいち集中を切らす彼らの相手は、受付にとっては手慣れたものだった。
「はいはい、落ち込むのは後ですよ荒くれさんたち! 他にもありますから! 古の森の消火活動! 件の魔物の死体の撤去! 東関門の修理は見積りから、ギデオン工房をご指名! それと、関門修繕中の警備の穴を人員で埋めたいと!」
「そこ、割り込み禁止ですよー! 並んだ順番の早い者勝ち恨みっこなし!」
会館に詰め寄る冒険者。その全てをしても足りない、大きなシノギの匂いに、一層熱く、賑やかになっていく。
◆◆◆
半壊した関門と焦熱の名残、暴威の爪痕色濃い中を、気づけば僕は走っていた。空から天の御使いのように降りて来て、僕たちの窮地を救ってくれた女の人の元へ。
今は何やら、プレートを手にポーズを決めている最中のようだが、構わず僕は声をかける。
「あの……っ!」
「やだー! キッズじゃーん!」
声を発すると同時、異常なタイミングで女性が振り返り、僕は思わず身構えてしまった。これがスマートフォンのインカメラなる機能に僕の姿が映っていたと知るのは、まだ先の話。
今はただ、とても強い人の超越的な勘に察知され、直感的に身の危険を覚えたのだ。
実際、なす術もなく僕は彼女に抱きしめられて、頬ずりされている。胸の鞄から茹でタマゴのような匂いがした。
「超きゃわたん! こんな危ないトコでどしたん、君? てか、煤まみれじゃんワラ!」
ミディンローは愛欲に焼け溶ける。
一族の警句は、嘘に違いない。確かに動機はすさまじい。だが僕は今、指先までこんなに凍えている。冷や汗も、体の震えも止めどなく溢れ、呼吸は浅くしか叶わず、そのくせ息苦しさは増すばかりで、異常な呼吸頻度を強いる。
万が一……、ここで万が一があれば――。
「ん……放せっ……って、やめろよ!」
想像が恐怖を掻き立てて、僕は力一杯に女の腕を振り解いた。相手を突き飛ばす勢いはあったはずだが、女は微動だにせず、逆に僕の方が尻もちをついていた。
「いきなり、勝手に、触るな!」
足腰立たず、荒い息の僕のことを、女はきょとんと、やや心配そうに見下ろした。
「驚かせちゃった? ごめんね」
「本当に……赤ちゃんできたらどうすんだよ!?」
女から表情が消える。高みから見下ろす女を、荒げた息を整えながら僕は睨み上げた。彼女は、事の重大さを噛み締めるべきだ。
それにしても噛み締めすぎな気がする。呼吸音が嫌に大きい、奇妙な緊張が続いた。
「ぷ」
沈黙を破ったのは、女の方だった。
「ブハハハハハッ!? 君、ブフッ、マジで!? アッヒャヒャ! マジで言ってんの!? ヒヒッ……ピュアっピュア!! ピュアピュアの実の全身純情人間じゃんアハハハハ!!」
冷たい体が一気に煮えたようだった。
人に理解できないのも無理はない。それでもこっちにとっては死活問題なのだ。こっちは大真面目なのに、こちらを指した上に腹を抱えて笑い転げられる筋合いはない。
「ば、馬鹿にするなよ!」
「大真面目に言われちゃ、ねえ! ウィヒヒヒヒ!」
「笑うなって!」
「無理ムリ絶対無理ーッ!」
自分で言っておいて、虚勢にしか見えない。もはや自分が怒っているのか恥じているのか、意味が分からなくなっていた。とにかく女に弄ばれる気がして、癪なのは確かだ。
「ヒー、イヒー……はー、草超えて森超えてアマゾン超えてプライム会員入ったわ。恥ずかしがっちゃって。きゃわわ」
いや、弄ぶなどの汚れた感情は一切ない。意味不明な言い回しも、爆笑しすぎた涙を拭う姿も、心からそう言っている素振りにしか見えなかった。
汚れているのは、彼女の白いブラウス。僕に着いた煤が移ってしまったのだ。特に体の出っ張った部分の煤汚れは酷くて――。
(汚れているのは僕だろ! 命がかかってんだよ自分!)
僕は咳払いし、居住まいをできるだけ正して礼をした。
「取り乱しました。まだお礼もしていないのに、ご無礼をお許しください。……改めて、助けていただき、ありがとうございました。僕は……ライン・スキューと申します」
礼をする立場でありながら、偽名しか名乗れない後ろめたさに苛まれる。
育ての親の許しを得ずに出た旅だ。既に僕を連れ戻すための手足を放っているのは想像に難くない。わかりやすい足跡を残す訳にはいかなかった。
僕の事情を知らない彼女は、晴れやかに破顔した。
「いーっていーって。結果的に? って感じだし。ウチは伊藤美咲。ミサぽむって呼んで。よろー」
「ミ……ミサ、ぽむ……さん?」
ぽむって何だ。
「抵抗あるならミサでも良いけど?」
「じ、じゃあミサさん」
「むう!」
何でちょっと不満そうなんだ。
「てかさ、ライにゃん」
「に、にゃん……?」
急に気づいたとばかりに真面目な面持ちのミサキは、僕と御者の方を見て聞いた。
「親とか連れは? キッズ一人で森抜けとかあり得なくね?」
返す言葉に詰まる。ふざけた会話で不意に、痛いところを突かれた。
ミサキは怪しむような目つきで、こちらを覗き込んでいる。
続いて、セントールの看護をする御者の方を眺め、振り返り、今も燃え盛り地獄の様相を呈す古の森へ。
「……ハッ! ピッカンきたわ!」
瞬間、ミサキに天啓降りる。
ここまでだ。直感的に僕は目を瞑った。
◆◆◆
ブザーが鳴り、幕が上がる。
伊東美咲劇場の開演。
さて、今回の物語は、時が少し遡る。
今に火の海へと変わる古の森。強大な魔物に追われる一台の馬車。しかし、重荷のせいで思うように速度が乗らず、両者の差は縮むばかり。
揉むように揺れる馬車の中、ライにゃんのパパ上が覚悟を決める。
「息子よ、ママ上を頼んだぞ」
「パパ上……?」
「パパ上が囮になる。その隙に逃げるんだ」
「そんな! 無理だよパパ上! 死んじゃうよ!」
「ハッハッハ、心外だな。パパ上はこれでも狩りの名人だったんだぞ。イノシシの一頭や二頭」
「そうよ、無茶を言って。私もお供しますからね」
「ママ上まで!」
「そうだ、馬鹿なことを言うな。あんなケダモノ、私一人で」
「そう言って、いつも傷を一杯こしらえるのは、どこのどたな?」
言い淀むパパ上に、ママ上は耳打ちする。
「御者さんとライにゃんだけなら、セントールも背負って逃げられるわ。馬車を引きながらは無茶よ」
それに、私とあなたのタッグは敵なし。でしょ? 長年連れ添ったパートナーの呼吸は不可分なまで合っていた。
そんなもの、詭弁だ。パパ上は喉まで出かかった言葉を呑みこんだ。自分が言えた義理ではない。それに、他の選択肢を許さない状況だと、痛いほど理解していたのだ。
「……御者君」
言葉少なに、意図は通じる。返事は伸ばした鋼糸に乗せ、ライにゃんをさらい、共にセントールの背へ移る。
切り離される馬車、引き離される親子。
「パパ上ーっ! ママ上-っ!」
「ライにゃん……逞しく生きろ」
「パパ上とママ上は、この森から見守っているわ」
幼い腕を伸ばしても触れさえできない。少年にとって世界は残酷なまでに広く、また儚く、平凡な幸せは矢の如く過ぎ去るのだった。
~Fin~
◆◆◆
そして現在に至る。
「いや、 ~Fin~ じゃねーし!!」
いきなりミサキは訳のわからないことを口走った。
「うわっ、ビックリした!」
「ヤッバ! ヤバババババ……!」
僕と、イノシシと、森。三者に視線を泳がすミサキは、何故だかいてもたってもいられない様子だった。勝手に一人で盛り上がった挙句、急にソワソワしたミサキの気が知れない。
(何だこの人……)
が、奇行に引いてしまう前に、ミサキは僕の両肩をガッシと掴み、青くも頼もしい顔つきにまなじりに一粒を光らせて、濁点まみれで叫び迫る。
「また勝手に触った!」
「任せといて! ライにゃんのパパ上とママ上は、ウチが絶対助けて来っから!」
「誰の何って?」
「はいこれ!」
奇妙な妄想を聞かされたと思えば、ミサキは胸の鞄から包みを一つ出し、僕の手を取り無理に持たせる。三度勝手に触れられた憤りがあったが、ミサキに抱きしめられた時のタマゴの匂いを包みに感じて、不服を伝える暇を逃してしまった。
「それパクついて元気出しな。あとこれ、お願いなんだけど、これから大人が大勢ここに来っからさ、こいつの討伐の手柄、ウチが五〇で、兵隊さんたちも五〇って伝えといて」
「っま、待って! 何だか色々着いて行けないんですが!?」
「諱、限定再設定! ナヅー? 行くよー?」
ミサキの呼びかけと同時に、朧だったヨトゥンの鉄橋は姿を消して、代わりに鋼の小鳥が降りて来る。小鳥は、らしからぬ荘厳な声をしていた。
「置き去りかと思ったぞ」
「立て込んでっからお小言なし! 行くよ!」
「ちょ、ミサさん待って――!」
突風に閉口する。否、ミサキの駆け出しが風を巻き起こしたのだ。僕とナヅは見送りで立ち尽くすばかり。誤解を解く猶予もあったものではかった。
「すまない、少年。忙しい娘なんだ。許してやってくれ。達者でな」
「いやだから誤解を――!」
以下、ナヅの離脱を除き同文。
「この似た者同士いーっ!!」
巨大な骸、瓦礫の山、焼け野原に僕、煙り風荒ぶ。これが、やるせないという感覚だろうか。
「良いかい、坊や」
重い金気の足音がいつの間にか近く、足音の主の呼びかけに振り返る。
サーコートの衛兵を従えた、全身鎧の兵士。恐らくは、東関門の長だろう。イノシシの骸に親指を向け、言外に洗いざらいを期待して「あれについて聞かせてもらえるかな?」と、質問の体をした要請を寄越すのだった。
メルトポ――亜人街まで目と鼻の先というのに、これまでの道程より長いようだ。
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