3番地:東関門のフォート・ゴーレム
亜人街の城郭を遥か西に望む地に、東関門が立っている。主に古の森の監視と、脅威への対処がその目的の施設である。
その砦内、伝声管が囲む通信室に声が飛び交う。
『こちら、アガルタ観測所。応答求む。オーバー』
「東関門。警戒中だ。手短にな、地底人。オーバー」
『規格外の四足獣、数は一。そちらへ直進中。注意しろ、地上人。オーバー』
東関門が古の森の火煙を観測し、異常な延焼速度の原因も不明なまま、対応に追われていた。その最中にあった観測所の報告は、ある意味で朗報であった。
災いの種が関門に襲い来る身の程知らずのケダモノとわかれば、対応は兵士の本分、武力行使である。
「報告に感謝する。オーバー」
『間もなくこちらで避難の受け入れが始まるだろう。我らミルメコレオ、地上の友人の武運を願う。頼りにしている。オーバー・アンド・アウト』
「外敵は任せてくれ。市民は任せた。頼りにしている。オーバー・アンド・アウト」
通信士が別の伝声管に向かい、声を伝える。
『隊長、アガルタからです。やはり魔獣の類かと』
「……かの森のタイタン族をして、手に余るほどの、か」
導管が繋がる先、司令塔で、隊長が頷いた。
「総員、戦闘配置。フォート・ゴーレムを使う」
にわかに東関門各所が慌ただしくなる。伝声管に発信、受信の別なく声が乱れ飛び、動力の蒸気が各所で噴出する。
「エメスの核、いつでも良いぞ!」
「機動区画、退避遅いよ! もっと慌てろ!」
「両前腕塔、内骨格接続……固定」
「両上腕回廊、同じく固定完了。駆動系、接続どうぞ」
「隔壁閉じます。遅れたら窓から飛び降りてください」
「管制のアホ! 人でなし!」
「そこに人殺しを足さないように急げってんの!」
「義眼水晶体ハッチ開放」
「両腕部の稼働、仕様に相違なし。エメス核、どうぞ」
「エメスの核、接続。同調良好。これよりの操作はセミオートだ。ご機嫌損ねんなよ」
「映像、投影開始」
舵輪が二対四基も並ぶ特異な司令塔に鎮座する大水晶。そこに、火の手の上がる古の森が浮かぶ。普段は静かで霧深く、奥は果てしないとさえ思える畏怖を抱くような森が、そこらの焚き火のように燃えている。
その有様に、兵士の動揺がにじむ。
「両腕、投石用意!」
群れの怖気が表出する前に、隊長の号令が兵士を統率する。二名の操舵士が「右腕、投石用意ヨーソロ」「左腕、投石用意ヨーソロ!」の応答と共に舵輪を回す。
輝く水晶の義眼は司令塔にあり、そこを顔と胴体と見立てたフォート・ゴーレムの全身が轟き、起動する。操舵士の操縦に合わせ、砂埃を落としながら、巨大な塔と回廊で成す両腕を前に着き出す威圧感、歯車と汽笛の咆哮は、まさに砦の巨人である。
脚があれば様になっていただろうが、その用途、否、任務は「悪意あれば如何なる者も東関門を通さない」ことである。関門に基礎を埋めて、戦地に足を運ばぬ不侵攻をこそ誉と知るゴーレムの威容は、堂々たるものであった。
その矜持故に、遠距離の攻撃手段は、街道両脇に山積みの岩を投げること。
「岩は持ったか! 左腕被り舵一杯、投石態勢!」
「左腕、被り舵一杯、ヨーソロ!」
「竜も巨人も、神話からお出ましの時代遅れだろうと、マヌケ面晒しやがったらブチ抜いてやれ!」
投石姿勢で固定されたフォート・ゴーレムが待ち受けるは、森に潜む脅威。火の海に呑まれ尚赤く盛るのを裏腹に、静かにさえある。
「……?」
大水晶の観測手が覚えた違和感を探る。映像を拡大、補正。森の入り口、炎の色を照り返す翡翠色の馬の疾駆。セントール、その背に人を乗せて東関門に向かう最中の様子を、義眼が拾っていた。
「隊長、人です!」
観測手の報告を認めるか否かの瞬間、森の樹々を薙ぎ倒し、燃え盛る山なるイノシシが、その全貌を現した。
「開門! 急いで!」
「ですが!」
「デカブツは通れん! やれ!」
◆◆◆
僕らの目的地、東関門が目前に迫る。
砦自体がゴーレムとして機能し、侵攻を食い止める。その在りようを目の当たりにすれば度肝を抜かれるのは必至だろう。
だが、今は状況が悪すぎた。
追跡する巨大なイノシシと僕らの距離は離れるどころか縮み、滑り込まれようものなら奴の餌になってもおかしくない。
イノシシが仕掛ける。鼻先を振り下ろし、地面諸共僕らを呑もうとする。が、僅かにイノシシの踏み込みが足りない。それでも、砕け浮いた街道の一部はセントールの後ろ脚を持ち上げる。姿勢の崩れは馬上の僕らにも伝わり、焦りを煽る。
「どうしたゴーレム!? さっさと殺れよデクの棒!」
御者が投石を振りかぶったまま止まるフォート・ゴーレムを罵る。イノシシの生臭く熱い息を全身に浴びて「あっしらが近すぎるのか!?」と原因を察し、「そりゃ無理か! 言いすぎた!」と詫びつつ「だけど何とかしろや! 仕事だろ、税金泥棒!」と、やはり切れた。
一方の東関門司令塔でも、司令官が操舵士に投げるか投げないかの判断を問い詰められているが、中々決断は下されない。
再びイノシシが開口し、僕たちに迫る。傾げた首、上顎と下顎に左右を挟まれる形になり、いよいよ前歯が僕らの前を抜く。
閉ざされていく視界の中で、僕の思いが去来する。
死の運命を変えるため、意を決して旅に出た。その結末がそれであってたまるか。抗えぬ現実に、それでも、力を尽くしたのだ。悔いはあっても、上出来だ。
それでもと、僕は歯を食い縛って前を見続けたが、もうだめだとわかっている本心が涙を流させた。
その時だった。
東関門の上空を越えて、こちらに飛んで来る箱が、青空を背に飛来する。
漆喰の剥がれたレンガの面やら木板にパイプの面、風切るドアに、窓をバタつかせて来る。その箱は、綺麗に切り取られた部屋だった。
いかれた走馬燈だと思った。
イノシシの口腔に細く切り取られゆく景色。その部屋と空ばかりが視界を占める。振りまく尖った少女趣味の小物の尾、でろりとたなびくカーテンを翻す、風切る部屋の窓枠に足をかける、白く眩しい姿が垣間見える。
白い姿が窓枠を蹴って、東関門の司令塔に降り立つ様子は、物語にある天の御使いのようだった。
そして、御使いの抜けた部屋は真っ直ぐ僕らの方へ目がけて落ちて来て――。
「お家お取り潰し、ピエン」
イノシシの頭に自宅が直撃した瞬間を、イトウ・ミサキは逃さずスマホの自撮りに収めてご満悦だった。
大物を叩きつけられたイノシシの頭が地面を跳ねる。不意打ちに怯んだ隙に、セントールがどんどん距離を離す。
この光景を見届けた一同が、驚愕に表情を固めた。
兵士は隊長に、僕は御者に、一体何が起きたのか尋ねた。
離れた二人、返答は一つ。
「わからん……が、チャンスなのは確かだ!」
司令塔が上げるのは士気。
「照準、合わせてあります!」
「よし!」
騎馬の僕らが上げるのは志気。
「ラスト・スパートと行きやすぜ、相棒、若旦那!」
セントールは死力を尽くして疾駆する。イノシシが立ち直る隙に十分距離が開き、東関門の隊長は号令を下す。
「左腕、振り舵一杯!右腕、被り舵一杯、追撃用意!」
「左腕、振り舵一杯、ヨーソロ!」
「右腕、被り舵一杯、ヨーソロ」
鋼鉄の歯車の噛み合う音が、ゴーレムの雄叫びとなる。豪腕で振り抜いた巨岩の弾が、イノシシに直撃。初撃とは比べ物にならない威力に、さしもの巨獣も絶叫を上げる。
間髪入れず、二発目の巨岩が見舞われる。イノシシが体勢を崩す、かと思われたが持ち直し、怒りの咆哮を上げて徐々に加速を取り戻す。
フォート・ゴーレムは、全力に値する仇。
剛毛を逆立てたイノシシ、その全身が黒から転じ、白熱する。体熱は蹴り上げた土すら燃やして、彗星の尾の如く焼野原を残し、駆ける。
「何て奴だ……!」
「たしかし、なるはやで岩投げても衝突不可避じゃね?」
とは、何食わぬ顔でゴーレム内に立ち入ったミサキの、隣の隊長への応答と問いかけである。
「うおっ、何だ貴様!? 一体どこから!?」
「伊藤美咲、屋上からお邪魔しまウェーイ!」
「ウェっ……!?」
隊長にしてみれば、どこの馬の骨とも知れない軽薄な小娘。それがよりにもよってこんな有事に、裏ピースでモノクルをこしらえて場違いな可愛げを振りまいているのだ。
「断りもなく……!」
軍隊の規律を説くべきだが、構っている場合ではない。それでも悪態をついた隊長は、少女の胸元に目が留まる。これ見よがしに釣り上げられた銀のペンダント。飛翔する鷲に、夜空を散りばめた宝石の瞳のトップが誇らしく輝いている。
続く言葉が引っ込んだ隊長を見て、少女は悪戯っぽくウインクした。
ミサキは、その沈黙と居住まいを了承と見る。
「兵隊さん、この子の両手、プチョヘンザ。オ・ネ・ガ・イ」
反感を買いにでも来たのか。操舵士二人の内心が知らず意気投合していた。部外者が隊長を差し置いて命令など、越権すら生ぬるい傍若無人な振る舞いである。「ヘイヨー、プチョヘンザ」と繰り返し、捲し立てるのがまた一層に腹立たしい。
しかし、隊長は至極真面目に「従え! 私が認める!」と口を挟んだ。
隊長がそう言うなら。操舵士たちは互いに見合わせ、首を傾げつつ「右腕、被り舵一杯、ヨーソロー」「左腕、被り舵一杯、ヨーソロー!」と応答した。
「ウェーイ! ヨーソロー!」
「指揮が乱れる! 余計な口を挟まない!」
「生徒指導じゃん、ワラ」
ミサキは心中で囁く。
(ナヅ、準備おけまる?)
大水晶一面にイノシシの迫る司令塔から、場面はその上空へ。
空を旋回し状況を見守る鋼の小鳥、ナヅは、遥か下のミサキに返答する。
「待ちくたびれたぞ」
(おけまる水産って言えし)
陽気で溌剌とした少女の面影が急速に失せ、ミサキは無機質に、水晶越しのイノシシと対峙し、心中に唱えた。
(諱、限定解除。ナヅカ、写し一振り。何がある?)
「取って置きが……」
(はえー、ぴったんこじゃん。それ)
イノシシが岩の直撃で失速した隙に、僕らを乗せてセイレーンが最後の力を振り絞る。
門を滑り抜けたところで糸が切れ、セイレーンは徐々に失速し、前のめりにへたり込む。少年――僕を固定していた鋼糸が緩み、御者に襟首を掴まれて、無理やりだがそっと下馬させられた。
「相棒が限界でさあ。こっからあ、運試しですぜ」
関門に縁取られた向こう側、その全てを呑む殲滅の悪意ある炎。執念に焦がれる瞳をこちらに向けて、轟音を立てて大気の壁を破り来る巨体。
それに比べて余りにも矮小な自分。
僕は口の端を結び、逃げ出したい気持ちを押さえて関門の向こうを睨む。
イノシシは速度を増して東関門に迫る。操舵士たちは痺れを切らす寸前に追い込まれ、隊長に指示を請いながらも、舵輪を持つ手が先走りそうになっていた。
「ナヅカ、抜剣! ヨトゥンの鉄橋!」
少女の掲揚する、その名を知らぬ者はいない。
伝説は語る。タイタンをして巨人と言わしめた、大いなる王。道なき道を進軍する際、王は自らの剣を橋として、その鎬を配下の巨人に渡らせたと言う。
「ウチの気持ち、受け取ってください! なんちゃって」
少女が天を指す意味に、唯一、隊長だけが青冷めた。
遥か上空、鋼の鳥が羽を膨らめる。元の体躯の限界を無視し、爆発的に増殖する鋼の朧は形を成していく。
それは、切っ先が雲を貫くほどの巨大な剣、銘をヨトゥンの鉄橋。
「デカいの来るよ! 受け止めろ!」
兵士たちが覚悟を決める直前。
鉄橋の柄が、止まり木を探し当てるように、フォート・ゴーレムの両手に収まる。しかし、朧な写しでも、大渓谷を渡すほどの得物である。伝説の重みにゴーレムの内骨格は軋み、抵抗する歯車から火花がほとばしる。
剣の重量に砦大のゴーレムですら体勢を持って行かれそうになる。舵を握る操舵士も同様で、かつてなく重く逆らう舵に腕が悲鳴を上げる。が、ゴーレムに矜持があるように、兵士には意地がある。寸でのところで体重を乗せて舵を切り、フォート・ゴーレムは何とか持ちこたえた。
イノシシの牙が、間合いに入る。
「照準不要! 力の限り振り下ろせ!」
「両腕、振り舵いっぱ……うおお!?」
およそ歴史上で個人が振るった最大質量。その片鱗が鉄槌を下す。
ゴーレムの耐荷重量を大幅に超えた剣である。腕は振るうと言うより剣に振り回され、一度切った舵は制御を喪失して高速で回転する。関門全体が揺れ、歯車や建材が聞くに堪えない悲鳴を上げる最中、ヨトゥンの鉄橋はイノシシの正中線を穿つ。
舵がすさまじい音を立てて急停止した。
一帯に獣の絶叫が木魂する。溶鉄の血が噴出し、辺りを染める。背開きに毛皮を断たれ、肉を削がれ、骨を砕かれたイノシシの肉体は白熱から黒変していき、脚から崩れていく。
だが。
「警戒しろ! あの巨体には浅いぞ!」
大地に蹄を突き穿つ。獣の瞳に褪せた色が戻り、イノシシが喉を震わせ、鉄橋の重科を負いながら、衰えぬ強靭さで跳ね除けようと立ち上がる。
油断はしていない。それでも、司令塔がどよめいた。
「殴るぞ! 剣を放棄!」
「腕も肩も舵が利きません!」
塔内の木材から煙が上がる。イノシシがゴーレムと肉薄し、白熱を取り戻しているのだ。
「これでは全員蒸し焼きだぞ! 星の猛禽! 証を立ててまで首を突っ込んだんだ、次の手が……!?」
隊長が星の猛禽と呼んだ少女――ミサキの姿はどこにもない。
「あいつっ!? 散々振り回して逃げやがったな!?」
「隊長、いました!」
観測手が大水晶に、その少女を捕捉する。
エレキギターを大斧のように担ぎ、ヨトゥンの鉄橋の峰で軽快な靴音とともに駆け抜ける。イトウ・ミサキである。
「メイク溶けるー! マジ卍い!」
とは言いながら、火柱をギターで払い、灼熱の血飛沫を防ぎ、跳び越えるのも涼し気な顔でやってのける。表皮はおろか、肺も焼けるような熱気の渦を、白兎の如く身軽に走るミサキ。
「この剣まで堪えるって何なん、もー! マジありえんてぃだから!」
猛火を潜り抜けた先、鉄橋の先端を踏み切って、捻りを加えながら空高く跳ぶ。
「いい加減――!」
跳躍の頂点で翻る、タカの翼が舞うかのように軽やかに。
「しつけえーっての!!」
鉄橋の先端目がけて叩き下ろしたギターの弦が、滅茶苦茶に弾けて不協和音を奏でる。その一撃、その一瞬の内に、ヨトゥンの鉄橋は大地に届き、轟音と共に粉塵を巻き上げて、辺り一帯の小火を吹き消した。
やや遅れて、両断されたイノシシの巨体から火が消え失せ、膝を折り、断面に沿って地滑りのように形を崩していく。
消え入るような、甘えるような鳴き声が切なく、瞳の色が消え、肉の地滑りの音ばかりが残る中、ミサキは地上に降り立ち、一人で勝鬨を上げた。
「やーりらふぃー!」
東関門内も、地上で討伐を見届けた僕らも呆気に取られながら、事態を収束させた少女に釘づけになっている。
そんな周りの驚愕を気にも留めず、意気揚々とミサキは仕留めた獲物の顎をギターで殴り、牙を引き抜いて討伐の証とした。持ち帰る方法はさて置いて、牙と自分のおどけた表情をフレームに納める。
これが、僕と、後に僕の師匠になる伊藤美咲との出会いだった。
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