2番地:ヤウバスの軽食スタンド

 メルトポ伯爵領、通称亜人街。

 大通りの朝市が盛況を迎えるにはまだ早い時刻。とあるアパートの一室は、カーテンを閉じてまだ薄暗い。ベッドの上で肌かけにくるまり、甘い寝息を立てていた者が、一層大きく息を吸い、ゆっくりと上体を起こして背を伸ばす。

「おはよう」

「……はよー」

「目覚ましより前に起きるなんて偉いじゃないか」

 部屋のいずこにいるとも知れない声の主の言う通り、その日の少女は、生涯でも類を見ない完璧な目覚めを迎えた。

 目蓋は軽く、微睡む間もなくパチッと開き、肌かけはベッドを出る間に、するりと白肌を滑り落ちる。脱色した金髪を梳かしても全く抵抗がないのは、寝返りもしないほど熟睡していたからだろう。

 クローゼットからビッグシルエットの白いブラウスと、丈を短く縫い直したチェック柄のプリーツスカート、それに合わせたネクタイを選ぶ。そして、丈の短い靴下、その可愛らしい服装からは外れたドラゴン革のロングブーツを履いた。

 急ぎ足で着替え、歯磨き、洗顔、三面鏡で銀のネックレスをかけ、ブラウスに隠し、化粧をめかして、カラーコンタクトにも余念がない。朝のルーチンをテキパキとこなす少女を見るに、声の主は怪訝に感じた。

「何かあるのか、ミサキ?」

「うん、マジパネェの。ナヅもバイブス上げてけー?」

 少女ミサキは小皿に油を注ぎながら、声の主ナヅへ呼びかけた。

 小皿はベッドのサイドテーブルへ、鋼の小鳥の自在置物の掴まる止まり木の前に添えられた。

「リアルガチでデッカいの、お願いしたみあるんですケド」

 ミサキがウインクを投げると、小鳥の置物はにわかに生命を得たように止まり木から降りて、小皿の油を浴びる。この小鳥がナヅである。

「この油では割に合わない」

「手切れ金ってことでよろ」

「手付金! 最悪の言い間違いをするな!」

「ごめんて、ナヅ。ズッ友じゃん、ウチら」

「……わざとなら性格悪いぞ、ミサキ」

「成功報酬は期待しといて」

 悪戯っぽくはにかんで、ミサキはカーテンを寄せ、窓を開けて顔を出す。二階から、人通りの賑わい始めを見せる大通りを探り、目当ての人物に手を振る。

「ヤウバッさーん! おはよーございまー!」

「うん? ……おー、ミサか。おはよう。」

 ヤウバッさんこと、ヤウバス。軽食スタンドの主人、ヒゲオヤジは、客にソーセージサンドを渡しつつ応える。

「珍しく早いな。デートか」

「アハハ! うっざ! タマゴ全マシダブル超特急よろ!」

 きらめく銀貨二枚を投げ、ヤウバスが受け取り確かめた。

「半分に切っとくか?」

「おなしゃーす。……あ」

 ミサキは「釣りはいらねえぜ」とキザっぽく決める。

「遠出かい」

 ミサキは聞く耳を持たない。一度言ってみたかったんだよねー、と一人ではしゃぎ、窓から離れたミサキを尻目にやれやれと、屋台の名物オヤジ、ヤウバスは、慣れた手付きでバゲットを切り、半切れにつき三スクープ分のタマゴスプレッドをナイフで延ばし、サンドイッチをこしらえる。

「おい、俺が先だろ」と、もっともな不満を垂れる先客に、ヤウバスは同情しつつも「諦めな。ややこしいことに巻き込まれたくなけりゃ」と説き伏せた。

「あの女が何だってんだ」

「何じゃねえ。どなた、と言いな。イトウ・ミサキだよ」

「……てことは、あいつが噂のJK女か!?」

「JK! そこ! 女要らない! 意味被ってる! 謝んなきゃ男マンて呼ぶから! この男マン! マンボーイ! ボーイガイ!」

 耳聡いミサキから意味の分からない雷を受けて、その勢いに押されて先客は思わず謝ってしまう。

 通り名でも知らぬ市民はいない少女、イトウ・ミサキ。その名を出されては、引き下がらざるを得なかった。

 一方のミサキは、オープンフィンガーの手甲をはめ、今日の気分でサコッシュを選び、腰上に斜め掛けした。姿見でチェックしながらブラウスの裾を結んで微調整。お洒落が済むと、スタンドに立てた弦楽器を調律する。エレキギターなるその楽器は、派手な見た目に反して、平素だとリュートよりも素朴な音を出す。

 爪弾く音色、余韻。淀みない調弦に満足すると、ギターに着けたストラップを肩にかけ、背中に背負う形で装備する。

「ミサ、受け取れ!」

 階下のヤウバスに呼ばれ、窓辺に戻るミサキ。紙に包んで投げ渡されたダブルのタマゴサンドは、ズシりと重い。

「んー、たっぷりタマゴ、ウェーイ! マジ、テンアゲなんだけど!」

「重くせにゃ、そこまで届かん! 全く、ちゃっかりしおる!」

「へー、そーなんだーワラ。あざまる水産! あ、もう秒で警報出るぽだし、即逃げのつもりでよろ!」

「あん? あんだって?」

「でも間に合うかな? 東関門に来る前には行きたみ……」

 困惑するヤウバスを他所に、両手のサンドイッチをサコッシュに詰めつつ、自分の世界で思案するミサキ。当の両手に目を落とし、ヤウバスの投擲を重ねると「ピッカンきたこれ」と、慌ただしく部屋に引っ込んだ。

「本当に、嵐みてえな娘っ子だ。さ、おい。ハムチーズにオリーブだ」

 呆れつつ、ヤウバスは仕事に戻る。

 メルトポの腹ペコたちを待たせては、一日が始まらないのだ。


 ◆◆◆


 一方、一階へ急ぎ下りたミサキは、ある部屋の戸にキツツキ並のノックを食らわせた。しばらくの連打の後、家主が乱暴に戸を開けた。

 ネグリジェにナイトキャップの取れない、不機嫌そうな初老の女性が応じる。

「加減ってもんがあるでしょう!? 何だい、イトウさん!?」

「大家さん、ごめん!」

 開口一番、イトウ・ミサキは両手をキチと合わせ、大家に深々と頭を下げた。不意のことで、大家は面食らった。

「な、何だい。家賃かい? 見くびらないでおくれ。ひと月くらいの遅れなら大目に……」

「ウチの部屋、投げるわ!」

「へ……投げ……何?」


 ◆◆◆


 城郭都市メルトポ。

 珍奇趣味者で名高い当代メルトポ伯爵の統治の下で推し進める都市開発、特に新市街の建物の多くは、ハウス・ゴーレムである。

 有事の際、都市計画の見直し、体格の違う種族の賓客を迎える際など、自ら歩いて動ける家屋は、何かと融通が利く。領主のお墨付きで普及が進むアーティファクトだ。

 ゴーレムの性質上、その製造には建築家に加えてゴーレム技師、通称ラビも関わる。伝統的に人型であるために脚は勿論、腕もある。

 のだが、その日の事件を境に、腕の敷設の是非が議論されるようになった。

 イトウ・ミサキが借家の命令系統を乗っ取り、自分の賃貸区画を隔離した上、腕をカタパルト代わりにして、あろうことか自分ごと投げ飛ばしたのだ。

 家屋損壊時の建材の瓦礫、落下物で損壊した公道の石畳が、当時を物語る。

 事件現場に居合わせたヤウバスの証言は次のようなものだ。

「馬鹿野郎! 本当に嵐の真似事をする奴があるか! はいザリガニのあんちゃん……おい! どこ行った! これしきで尻尾巻いてんじゃねえ!」

 幸い、ザリガニバゲットは通りすがりの気の良い人に売れたし、半壊した借家の住人や通行人に負傷者が出る前に人避けもこなしてくれた。

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