9.マッドサイエンティスト、プロフェッサー・シュート

「こちらが今回新規に開発した薬剤の設計データ及びサンプルです。申し訳ありませんが、設計データの整理は御社の方でお願いいたします」


「データ及びサンプルは確かにお預かりいたしました。直ちに開発部に送付いたします」



 俺はとある企業の応接室で、趣味の悪いネクタイをした頭部が若干怪しい中年の男と、立派な机を挟んで例のごとく対峙している。


 東京に本社がある製薬系の一部上場企業、その名を聞けば誰もが知っている有名な大手製薬会社の地方支社だ。



 頭部が若干怪しい中年の男はこの大企業の地方支社トップ「山田支社長」であり、その目の前にいる俺はブラックロンド団の参謀(仮)ファイヤースパークではなく、「株式会社黒舞商事こくぶしょうじ」の営業部長「樋渡 歩ひわたし あゆむ」である。



 今日は我等がブラックロンド団の開発した新薬のデータとサンプルを納品するために、彼等が所有する古めかしいビルの会議室に乗り込んでいた。



「それにしても、白山先生の研究は常人の行きつけるところではないですね……。あの性格と実験手法でなければ、本当に日本……いえ、人類の宝でしたよ」



 白山先生……白山秀斗しゅうととはクソ白衣、つまり「プロフェッサー・シュート」のことである。


 医学分野においては一人で何百年も先を突っ走り、製薬分野においても成果だけを見れば現在進行形で影から多くの人間を救い続けている。



 幼少期から神童と謳われ日本最高学府の医学部を首席で卒業後、海外研究所からのオファーが相次ぐ中にあって三顧の礼で母校の博士課程に迎えられ、すぐにクソ白衣個人の研究室を与えられていたと説明すればその凄さが分かるだろうか。



 しかし、如何せん行動と性格が画期的すぎたのであいつは人間に向いていなかった。



 未来に行き過ぎた倫理観と常人には理解しえない思想をお持ちのクソ白衣は違法な臨床実験を繰り返し学術界を追放され、その後は表の世界にあらわれる事は二度となかった。



「あまり表立っては言えないですが、元気に活動はしていますよ。私としても、できれば白山には真っ当な研究者としての道を歩んで欲しい気持ちはありますけどね」


「私も開発畑に長くいた人間ですから、白山先生には驚かされてばかりでした。樋渡部長、本当に、本当に白山先生が正当な道を進めるのであれば、ご助力を是非お願いいたします」



 大手製薬会社の支社長がたかだか一地方企業の営業部長に頭を下げるのも奇妙な光景だが、それだけこの人は「研究者としてのクソ白衣」に惚れ込んでいたのだろう。


 俺がブラックロンド団に加入して一年ちょっとと言う僅かな期間で大手製薬会社とパイプを繋げることができたのも、この山田支社長に依るところが大きい。



 この人のためにも何とかクソ白衣を真っ当な道に進めたい気持ちもあると言えばあるが、いかんせんクソ白衣はクソ白衣なので支社長の頭髪と同じくらいに望みが薄い。


 クソ白衣のことは現状どうにもならないので、用事も無事にすんだ俺はいつもの手筈で大手製薬会社を後にした。





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 ブラックロンド団のアジトに戻った俺は自室に戻りスーツを脱ぐと、そのまま地下にあるクソ白衣のラボへと足を運んだ。


「届物だ。入るぞ」



 ラボに入るとクソ白衣はパソコンのキーボードをカチャカチャ叩きながら何やら集中している。


「頼まれてたもの、ここに置いとくからな」



 俺は仮眠用のソファの上に白い袋と封筒を置いてその場から立ち去ろうとしたが、


「ん? ファイヤースパークか。いいところに来たな」


 クソ白衣に呼び止められ、


「紅茶と何か甘い菓子を持ってこい。紅茶は砂糖たっぷりでな」


 くだらないお使いを押し付けられた。





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「紅茶と菓子を持ってきたぞ」


 別に断るなり放っておくなりしてもよかったのだが、何となく茶菓子を用意してしまった。


 俺も持ってきたチョコレートを適当につまみながら、予想外に片付かれたラボを見渡してみる。



「意外と片付いているんだな。助手のいない研究室なんてもっと散らかってると思っていたが」



 多少は資料が積みあがっていたりもするが、机の上は綺麗に片付いていたし書棚には本やファイルが整頓されている。


「その辺に転がしておくよりも所定の位置にあった方が物を探すのも早かろう。日に一回は片付けてやった方が研究の効率がいい」



 クソ白衣がパソコンに向かいながらそう答える。


 言われてみればそうだなと思いながら、洗濯物や空の弁当箱が床に散らばっている自室を思い出し恥じた。



 そんな俺に目もくれずクソ白衣はパソコンの前から離れ、俺が注いできた紅茶を飲みながらクッキーをつまんだ。


「なんだ? 用が済んだのならもう行ってもいいぞ」


「うるせえ。紅茶を持ってきてやったんだから礼くらい言え」



 別に礼が欲しかったわけでもないし、むしろ逆にこいつの口から「ありがとう」なんて言葉を聞いた日には流石の俺も驚きのあまり卒倒する自信がある。


 しかし何もないのは何もないで腹も立つので、持ってきた煎餅を齧りながらクソ白衣に噛みついた。



「ふん、私が感謝の言葉を述べたところで腹が膨れるわけでも頭が良くなるわけでもあるまい。お前の自尊心が軽く満たされるだけだ」


「言うに事欠いてそれかよ。お前、友達いなかっただろ」


「当たり前だ。私は天才だし他の有象無象如きに私の思想が理解できるわけがなかろう」


 角砂糖の入れ過ぎで甘ったるいだけの紅茶を飲みながら、クソ白衣はそう言い切った。



 「へいへい、有象無象が淹れた紅茶何か飲ませてすみませんね」


 こいつに何を言っても無駄だと思い適当に毒づいた。まあこういう性分は仕方がないのだろう。



「なんだ、拗ねているのか? 私は天才だと言っただろう。私の尊大な態度が人を遠ざけていることは理解しているし、みな、私が欲しても手に入らないような能力を持っている事は分かっているぞ」


「この際だ、はっきり言っておくぞファイヤースパーク。お前の金を引っ張ってくる能力や裏方の働きなど私には到底出来ぬ。今私がこうやって安穏と研究できているのも、お前の力量やマスターブラック様のカリスマによって成り立っていることだと分かった上でのこの私の言動だ」



 突然何を言い出すのか、クソ白衣は市販のチョコパイを食べながら語りだした。



「私とて単に明晰な頭脳を持っていたから神童と呼ばれていたわけではないさ。これでも親元で養育されていた時は幾分かの礼節は弁えていた」


 チョコパイの次はカスタードケーキを口に入れながら、クソ白衣は続ける。



「転機となったのは女手一つで私を育ててくれた母が死病に冒された時だ。曲がりなりにも医師の卵だった私は躍起になって母の病魔を研究し、そして快癒は不可能と言われていた当時にして、治療に一筋の光明が見え始めたのだ」


「母の主治医や当時の私の指導教官、果ては大学の学長や厚労省の役人まで巻き込んで、研究成果と快癒までの計画を持ち込んださ。だが奴等は一様にこう言った」


「臨床経過に問題がある。国が承認するまで計画を実行することができない……とな」



カスタードケーキを食べ終わり深く嘆息しながら、クソ白衣はソファに腰かけ一呼吸置いた。



「程なく母は逝ってしまった」


「間に合わぬ……。この国の……否、今世界を構築している国家システムの認証フローと非合理性では、人類救済は到底間に合わぬとその時に理解した。だったら、私は私の信念のままに突き進むか、この世界そのものを変えるかしなければなるまい」



 オーケー、お前の悲しい過去は理解した。だが、それならなぜ蟷螂かまきり怪人カマキロスとかで世界を征服しようとした。何億年生きるつもりだったんだお前は、などと言う無粋なツッコミを入れる前に、クソ白衣は更に語り続ける。



「故にだ、私は最早誰にも忌憚せず、誰にもおもんぱからず、誰にも斟酌しんしゃくすることなく生きていく事に決めたのだ。仮に私の道と対立するようであれば、マスターブラック様とて例外はなくな」


「そう言う訳でファイヤースパークよ、私はお前に感謝はしているが礼を述べたところで何かが変わるわけでもないし、むしろいちいち人に感謝を述べなければならぬと言う状況が甚だストレスではあるので、もう二度と感謝しているなどと述べることはないと思え」





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 クソ白衣の研究室を後にし自室に戻った俺は、しばらく先程の話を心の中で反芻していた。


 クソ白衣は天才であり、恐らく非常に合理的な人間なのだと思う。



 頭がいい故に必要であれば表面上人間社会に合わせることはできていたし、逆に今は人間社会に合わせる必要は無いと言う結論に至ったが故に、自己にとって合理的な道を進んでいるのだろう。


 無論、いい意味で解釈すればだが。



 終わりの見えない自室の片付けをしながら、そんなことを考えていた。





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「正義と希望の使者、プラチナ・ピンク!」


「理想と愛の守護者、プラチナ・ブルー!」


「夢と未来の伝道者、プラチナ・イエローだよー!」


「「「三人揃って、プラチナ・プライマル!!!」」」



「やはり貴様等とは決着をつけねばならぬようだなプラチナ・プライマル……! 行くがよい『闘鶏とうけい怪人ハイチキン』よ! その鋭き鉤爪と容赦なき獰猛性をもって、この乾ききった世界に血の雨を降らせるがよい!!」


 相変わらずのテンションの高さで我等がブラックロンド団総統マスターブラックが謎のポーズで鶏型の怪人に対して指示を出す。



「くはぁっははは!! フルカラーずんだ餅どもめ、雁首揃えて我が最高傑作『闘鶏とうけい怪人ハイチキン』の贄となって貰えるとはなあ! 実験データが取れるくらいには生き延びてくれよ!?」


 こちらも変わらないテンションの高さでクソ白衣は高笑いをしながら、プラチナ・プライマルに大人げない口上を述べた。



 恐らくプロフェッサー・シュートが在りし日の「白山秀斗しゅうと」に戻ることはないのだろう。


 本人が自覚を持って今の状況を選んでいるのだからそれは仕方がない。



 人類にとっては大きな損失だが、当人がそれを良しとしているのであればやむを得ないことだ。


 天才が思い至った結論なのだから、それが摂理なのであろう。



 今日も今日とてプライマルスター・シャイニングに吹っ飛ばされながら、凡人である俺は反省会の軽食を唐揚げにしようと心に決めた。

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