クビツリ神さんに効く清め塩(夕喰に昏い百合を添えて29品目)

広河長綺

第1話

私は、自分の髪をプロデューサーに嗅がせていた。


ここ、青日テレビ局の楽屋には壁一面の鏡があるのだが、私の後頭部に鼻をくっつける50代男性のメタボな腹が映っている。


おっさんの匂いとよだれが私の髪についてしまう。でもそれと引き換えにテレビ局の重鎮であるこの男を動かせるのだ。


ある種の枕営業としては髪の毛を嗅がせるだけと言うのは、非常にコスパが良い。


なぜこの程度で枕営業が成立するかと言えば、私がオリコン1位のトップアイドルだから。私に価値があるからだ。


アイドル万歳。

ダンス万歳。

ファンサービス万歳。


そんな風に心の中で自画自賛して、私は「そろそろ、業者のこと、教えてくださいよー」とプロデューサーに対価をおねだりした。


対価とは芸能界の裏情報、極秘の「ストーカー撃退業者」の話だ。


私は半年ほど前から女子高生のストーカーに悩まされていた。握手会に毎日来てるだけでなく、家の周囲もウロウロしている。しかしあいつもストーカーとしてプロなのか、監視カメラにどうしても映らず警察にも相談できずに困っているのだった。


その話を聞いたプロデューサーは「髪の毛の匂い、手触り最高だったよ」と言い、ポケットから1つの名刺を取り出した。


私が要求してきた、業者の情報だ。


名刺を受け取り、期待に胸を膨らませる私の目に飛び込んできたのは、祈祷師の文字だった。


その業者の肩書としては警備会社か探偵だと思っていたのに。

「私オカルト信じてないんですけど」


名刺をポケットに突っ込んだ私の抗議に対して、プロデューサーは「君の話聞いてると監視カメラに映らないって言うけどそれはもう化け物か、君の幻覚のどっちかなんだよ」と冷静に指摘し「また何か困ったら、髪を嗅がせてね」を捨て台詞にして楽屋の出口へと向かっていく。


その背中を、が目で追っている。


カメラに映らないのはおかしい。確かにその通りだ。


というか、うすうすわかっていた。自分を脅かす存在が科学を超越した存在であると言う事から目を逸していたのだ。


だから、今も、この部屋にいるストーカー少女に対して、何もできない。部屋の隅で少女がニコニコ笑っている。


そして、プロデューサーは最後まで少女に気づかなかった。


プロデューサーがこの部屋を出た後に、その化け物の少女は笑みを絶やさずに私のところへ近づいてきた。




いつの間にか天井からはロープが垂れ下がっていて、その先端は輪っかになっている。

少女はその輪っかに顔を通すととても楽しそうに笑った。その輪っかから顔を外してまた通す。


その状態で私に見せつけるようににこっと笑った。私に見せるための笑顔。


それは、私のようなアイドルがファンのために見せる笑みに似ていた。

だからその笑顔の意味が読み取れる。



――とても楽しいから、あなたも首を吊ろうよ。



そんなふうに誘っているのだ。実際私は今楽しそうだなと思ってしまった。こうやってこの化け物は人を自殺させるのだろう。


もう、「オカルトが嫌い」なんて、言ってられない。

私は、一度はポケットに突っ込んだ名刺を取り出し、目を走らせる。


特別祈祷師 橘 大矢

電話番号 ■■■ー■■

その他ごちゃごちゃした説明。


そこに記された番号に慌てて電話をかけた。


「はい、こちら祈祷事務所です。予約を電話でとってもらう形になっております」

受付の事務みたいな人が電話に出て、予約は何時が良いか聞いてくる。


内科クリニックみたいな、システマティックな対応。


私は、できるだけ早くと答えた。こっちは化け物に襲われているのだ。いつだっていい。


ここで断っておくと、私はトップアイドルなので暇な時間などない。常にレッスンと収録とファンサービスがs家ジュールを埋めている。


だから無理矢理予定を歪めたことになる。


仕方ないとはいえ、これからめんどくさいのは間違いない。


うんざりした気分になったところで、ふと顔をあげて見ると少女のストーカーは部屋から消えていた。


ひとまず脅威が去って良かった。


私は楽屋を出て、アイドルとしてステージの上に立ったのだった。


その後に私は、祈祷師事務所に行く日を休みにするとマネージャーに伝えたら、案の定怒られた。


彼女の文句は次の日も続いた。私が理由も言わずに仕事をサボることが、許せないらしい。

1週間、私がアイドル活動している横で、ずっと怒りが収まることがない。


曰く、あなたはトップアイドルだから自由なんてないのよ!とか。

アイドルっていうのは、偶像なの!とか。


ついに予約していた日になり、私が祈祷師の事務所へ向かっている時ですら、携帯電話越しに「理由を言わないってことは、もしかして恋愛?そんなことしてパパラッチにバレたら、あなたのキャリアはお終いなのよ!」とキャンキャン叫んでいた。


「はいはい、ごめんなさい」

そう言って携帯電話を切り、事務所の中に入った。


芸能人御用達と言うことで、きれいな部屋なのかと思って行ったら、意外な事に高級感がない。


テレビ局の楽屋とは違う、曇って汚れた鏡。

後ろに倒れるタイプのイス。

洗面台。


散髪屋さんじゃんと思った時、

「そうだよ散髪屋さんだよ」と言う返事が聞こえた。「カモフラージュなんだよ。予約は聞いてます。ご依頼をどうぞ」と。


髭を生やした仙人みたいな男が、ぬっと奥から出てきた。

一気にオカルトな雰囲気になり、私は安心する。


「それで?どうやって祓ってくれるんですか」私が聞くと、


「慌ててはダメだよ」興奮する小学生をなだめる引率の先生みたいに、祈祷師は上から目線で言った。「まずは化け物の特徴を教えてほしい」


「特徴と言われても…」

「じゃあさ、そもそも、なんで最初は人間のストーカーだと思ってたんだ?」

口ごもる私に、化け物についての情報を言わせようと、フランクに疑問を投げてくる。



たしかに。

なんで、思い込んでいたのだろう?

しばらく頭をひねっていたら思い出した。


初めにその少女の顔を見たときは、確かに人間だったからだ。


それは半年ほど前の握手会だった。

やたらと強く私の手を握るその感触を覚えている。

そもそも私はアイドルであり、握手会にくるのは熱烈なファンだ。


でも、その少女は私の手を強く握るクセに何も喋らない。

変に熱い視線を私に向けていた気もする。

ただ、その時点では、確かに人間だった。他の人にも見えていた。

でもその握手会からの帰り道私の後ろをすでにその少女が、その少女の顔をした何かが、追いかけていたのだ。


今思えばその時点から人間ではなかったのかもしれない。わからない。


「たぶん、キミの直観が正しい。ソイツは人じゃ無い。僕の知る限りだとクビツリ神さんという妖怪に近いが、顔の特徴から考えるに、生きた人間が生んだ呪いのたぐいだ」

祈祷師が頷く。


「だから、コレどーぞ」

私の手の上に袋を置いた。


中には白い粉が詰まっている。


麻薬だったら嫌だなぁと思いながら

「これはなんですか。呪いに効くんですか」と、私は面食らいながら尋ねた。


祈祷師は「清めの塩だからね」と答えた。


塩。


確かにお祓い等に使うものだが、一般的に言われる話だ。


ありきたりじゃないのか、という疑念はぬぐえない。


そんな私の不満を察知したかのように、祈祷師は、

「これは最強の呪術師の呪いでも、人間由来ならば絶対防げるものだから」とセールストークを始めた。


「最強の術師を知ってるんですか」

「僕の師匠の師匠なので。そしてその人の呪いであっても防げる仕様なので絶対大丈夫なんですよ」


そんなふうに太鼓判を押してくれた。あまりにも自信満々なので、だんだん私も安心してくる。


「じゃぁ使ってみます。使ってみるのが楽しみです」と言って私はお辞儀した。


最後に好奇心から「その最強の術師にはどうやったら依頼できるんですか」と聞いてみた。先生は「その人は国からの依頼しか受けないよ」と教えてくれた。


納得して、事務所を後にした。


結局は権力なのだ。


私だって、マスコミと言う民間最強の権力を使ってこの先生にたどり着いた。もっと強力な権力があればもっと強力な術師に依頼できたと言うことだ。


わかりやすい。


権力さえあれば、呪いも寄ってこないんじゃないか?


甘い夢想をしていた時、笑い声が背後で響いて驚く。

心配が生む幻聴じゃない、リアルな声。


背筋が冷たくなりながら、慌てて振り返った私の目に、笑いながら首を吊る少女が映る。

いつものように、私を自殺へと誘う。


私は素早く塩を手に掴んでいた。


この塩は私の権力があったから手に入れることができた。

つまり、美貌、ファンサービス、ダンス、歌唱、私の価値の全てが結晶したのがこの塩だった。

大丈夫な、ハズだ。


私は塩をかけた。


しかし、クビツリ神さんは、怯むこともなく私に向かってきた。


近づいてくる少女の白い笑顔。首についたロープ。

ボリュームが上がっていく笑い声。


あまりに接近してきたソレの口の中の赤がハッキリ見えるようになった時、視界が暗転した。


私は、死んだと思っていた。

しかし、、死んでいなかった。


気が付くと病室に寝ていて、白い天井を眺めていた。



なぜ生きてて残念なのかといえば、死ぬよりも辛い光景を見る羽目になったからだ。

それは、病床の横に置いてあるテレビに映っているアイドルだ。


私がセンターを飾っていたアイドルグループが、スカートを振りながら踊り歌っている。


もちろんセンターは私じゃない。


どこの誰か知らない美少女だ。


私が化け物に襲われて入院している間に、私はアイドルとしてお払い箱になっていた。


呆然としている私の枕元で、スマホが鳴った。


通話ボタンを押すと「あなたに謝罪しないといけない。あなたをストーカーしてるのは、僕の師匠でした。そして、師匠は、あなたを呪っていない。だから僕の塩は無力です。申し訳ない」という、謝罪が聞こえてきた。


私は呪われていない?じゃあ、人間のストーカーと化け物の関係は何なのか?


混乱していると、病室のドアが開いた。


例の少女が立っている。

「お見舞いに来ました」と笑っている。

コイツは化け物じゃない。人間の方だ。


私は「何で私を呪うんですか!」と尋ねた。


少女は首を横に振った。

「私は呪っていないんですよ。むしろあなたを、愛しています。実は、あなたを襲うクビツリ神さんは、日本人全員を襲い首吊り自殺させようとするんです。でも私は国からの依頼で日本人全員を守っているんです。あなたに対してだけ守護祈祷を解除したので、必然的にクビツリ神さんがあなたの所へ向かっている、それだけの事です」


――僕よりすごい祈祷師は、国からの依頼しか受けない


橘祈祷師の言葉を思い出しながら「じゃあ、なんで、私への守護祈祷を停止するんですか?何の恨みが」


「だから、違いますって」少女は私の抗議を、遮ってきた。「見たでしょう。クビツリ神さんが私の顔をしているのを。私は200年前、クビツリ神さんに魂の一部を食われました。その結果クビツリ神さんは今の顔になったわけです。クビツリ神さんは殺した人の顔になる。ここまで言えばわかるでしょう?」


…確かに。


何がしたいのか分かってしまう。


少女は私のファンだから、私を愛しているから、私を「永遠のアイドル」にしたいのだ。


そのためには、私をクビツリ神さんに殺させて、それから日本人全員をクビツリ神さんから守り続ければいい。


そうすれば、私の顔はクビツリ神さんの顔として半永久的に残る。


今回の一件で、明らかになってしまった。

私というアイドルの代わりは、いくらでもいる。

このまま普通にアイドルしていても、私はそのうち消えただろう。


でも、首を吊れば、永遠だ。


そんなことを考えていると、クビツリ神さんも、病室に入ってきた。


ニコニコしながら、紐でできた輪っかに、頭を通している。


私の顔の上にも、いつの間にか紐が垂れ下がっていた。


ベッドの上で、立ち上がる。

いざ、アイドルになるために。


少女とクビツリ神さんが、期待に満ちた、同じ形の笑顔で私を眺めている。


私は、紐を首に巻いて結ぶ。


そのままベッドから飛び降りた。

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クビツリ神さんに効く清め塩(夕喰に昏い百合を添えて29品目) 広河長綺 @hirokawanagaki

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