第25話

「いいわ、取って置きを教えて上げる。マンハッタン計画って知ってる?」

 愛工と対峙するナンシーが声を強めて言った。ここに居る他の者たち全員に聞かせるためだ。

「あなたたちも聞いたことはあるでしょう。原子爆弾の名前を。アメリカはイギリス、カナダと協力して、この爆弾の開発製造を行っていた。責任者はグローブス准将、ロバート・オッペンハイマー博士。ニューメキシコ州ロスアラモスに研究所を置いてボーア、フェルミ、フォン・ノイマン他の優秀な科学者が大勢集められた上、10億ドルを越える莫大な資金を投入して研究開発が進められていたわ。1942年にスタートしたその計画は既に最終段階に差し掛かっている。ウラン型、プルトニウム型共に完成の目処がついて、3ヶ月以内に爆発実験が行われ、その後すぐに実戦に投入されるわ。アメリカはこの爆弾をドイツに使用するつもりだけど、ソ連赤軍は既にドイツ領内に侵攻しているわ。おそらくドイツは1ヶ月後には降伏するでしょう」

 叶槻も愛工も驚愕するしかなかった。原子爆弾については知識として知ってはいた。通常爆弾の数千倍の破壊力を持つ、最終兵器とも言える物だ。日本も幾つかの団体が研究を進めているが、実用化には程遠く、それはアメリカでも同じだろうと思われていた。だが、アメリカは既に開発に成功し、間もなく実戦投入されるというのだ。

「ドイツが降伏したら、アメリカは間違いなく原子爆弾を日本に対して使うわ。量産体制は完成しているから、一つだけじゃない。複数の原子爆弾が日本に投下される。TNT火薬15000トン以上の威力よ。そこが東京か、大阪か、他の都市かはわからないけど、この爆弾が使われた場所は跡形もなく吹き飛ぶわ」

 しばらくの間、誰も言葉がなかった。自分の耳にしたことが到底信じられない。ようやくの事、顔面を蒼白にした叶槻が呻いた。

「なんて事だ……」

 ナンシーの話を聞いた兵たちも激しく動揺している。

「どう?正真正銘アメリカ軍の最重要機密よ。これを知っても尚、南米に逃げるって言うの?」

 愛工は眼を大きく見開いてナンシーを睨み付けているが、その唇はわなわなと震えている。明らかに大きな衝撃を受けていた。

「出鱈目だ。そんな機密を何でこんな若い女が知っているんだ?口から出任せを言っているだけだ……」

 叶槻がそれを否定する。

「出任せなんかじゃない。愛工、この場の思い付きでここまでの話を作り出せるか?しばらく一緒に居たが、彼女は只の一般人じゃない。アメリカの上層部と繋がりがある筈だ。いくらアメリカでも、一般人は原子爆弾なんて言葉すら知らないだろう」

「だとしても、こんな話を俺たちにする理由は何だ?何のために軍の最重要機密を敵に漏らす?」

「これは取り引きよ。原子爆弾の情報と引き換えに、あの貨物船にある爆雷を海に投下してちょうだい。その後は捕虜にでも何でもなってやるわ。理由を話しても信じないから言わないけど、この島を沈めないと、今の戦争よりも酷いことが世界に起こるのよ」

「あの頭のおかしな教授が言っていたことか。お前も結局あいつと同類か。やはり信用できん」

「彼女の話が本当か嘘かは日本に連れて行って調べればわかる。反乱なんてやっている場合じゃないんだ。一刻も早く日本に帰らなければ」

 愛工は叶槻の言葉に尚も否定的な態度だったが、その場の兵たちは違った。彼らは不安げに口々に喋り出した。

「副長、今の話は……」

「アメリカが原子爆弾を完成させていたら……」

「俺たち本当に南米に行ってもいいんですか?」

 不安と疑問がその場に広がるのを見て、愛工は興奮して大声で怒鳴った。

「黙れ、黙れ、黙れ!これ以上俺たちに余計なことを吹き込むな!」

 血走った眼で拳銃を再び叶槻に向ける。

「この女と手を組んで、俺たちを誑かすつもりだったんだな。原子爆弾の話も、事前に貨物船で打ち合わせたんだろう。やはりお前たちは生かしておけない」

「違う、俺だって彼女の言うことは知らなかった。愛工、まだ間に合う。日本に帰るんだ」

 叶槻の懇願を無視して愛工は拳銃の引き金を引こうとした。その直前に兵の1人が場違いな台詞を吐いた。

「どうしたんだ、あいつら?」

 叶槻も、愛工も動きを止めてその兵を見た。彼は島の方をじっと見ている。同じように島に視線をやると、夜明け前の薄闇の中、丘の上に10人程の男たちがいた。伊375潜の上陸隊だが、その様子がおかしい。彼らは手ぶらで丘を転ぶように駆け降りて、浜に向かって全力で走っている。愛工は驚きと怒りで唸り声を上げた。

「何だあいつらは?金塊はどうした!」

 上陸隊は皆、懸命に走っていた。時々後ろを振り返っては何かを叫んでいる。その有り様は何かから必死に逃げているように見える。浜に引き揚げてある数艘のボートに辿り着くと、手当たり次第に海に押し出して乗り込み、漕ぎ出した。甲板の兵たちも何事かとざわめき出した。

 ドォォォン!

 耳を聾する轟音が辺りに響き渡った。大砲を撃つ音と思った愛工が兵たちに叫ぶ。

「敵襲!戦闘配置に付け!」

 兵たちが慌ただしく動き回る中、ナンシーがやや諦めたような声で呟いた。

「遅かったわ……」

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