第16話

 シルバーキーの他の5人の乗組員たちを探すために、叶槻たちは先に進むことにした。行く手には灰色の石で造られた建造物がある。足跡はそこに向かっており、彼らがそこにいることは間違いない。

 負傷した団逸機関兵ともう2人の兵を銃撃戦のあった丘に残すことにした。叶槻は団逸たちに、自分達がいない間にシルバーキーの乗組員が現れたら、戦ってでも決して近づけさせないこと、3時間経って誰も戻らなかったら、3人で伊375潜に帰ってこれまでの経緯を副長に報告することなどを命じた。

 丘の先は緩やかな下り坂になっており、一行は注意深くそこを下っていく。石造りの建造物がある場所はこの辺りで一番低くなっているので、島の外側から見た時は、先にあった丘に隠されるようになっている。上陸前にはわからなかった訳だ。

 叶槻たちはヘドロの泥濘に足を取られながら進んだ。目指す場所まで結構時間がかかるのはそのせいだと思っていた。だが、どれだけ歩いても一向にたどり着けない。謎の建造物はそれほど遠くない所にあるのに。その内彼らは目の前に見える建造物が、自分たちの距離感を錯覚させるほどに大きいことに気づいた。遠近法を無意味にさせてしまう位、それは巨大だった。

「どういうことだ……」

 叶槻の呟きに蘭堂が追随する。

「まさか、こんなことが……」

 予想よりも遥かに時間をかけて叶槻たちは目的地に到着したが、そこに広がる光景は彼らを絶望的なまでに圧倒した。

 簡潔に言えば、そこは都市の遺跡だった。いくつもの石造りの建造物が立ち並び、その間を石畳の道が走る。だが、その全てが常識外れなレベルで巨大だったのだ。建物のそれぞれが100メートルを遥かに超えて、小さな山脈のように連なっている。それらを構成している石柱は、その1本だけで伊375潜を縦にしたよりも大きい。石柱には繋ぎ目がない。つまり、柱1本が1つの石から削り出されているのだ。

 一体誰が、どのような技術を以て、これだけの巨大建造物を築き上げたというのだ?この島は数億年の間、海底に沈んでいたはずだ。それならば、誰がこの都市を造ったのだ!そして、一体何者がこの驚異的な巨大都市に住んでいたというのだ!

 永劫に近い歳月を経て、都市の至るところは破損している。ひび割れ、砕け、剥がれ落ちている。しかし、それらを逃れた壁や石柱には、想像すらしたこともない醜悪な生き物たちの姿が掘り込まれていた。ねじくれた長い胴体やタコやイカの触手に似たものが灰色の石の上に絡み付いている。人の数十倍の大きさの丸い目玉が無数に壁に張り付いて、こちらを見下ろしている。そういう意匠がかつて都市だったものの至る所に施されていた。

 まともではない。まともな感覚を持つ者が、こんな異常な都市を造る訳がない。叶槻はそう思った。他の者たちも同じだろう。彼らは遺跡に足を踏み入れてから、一言も話していなかった。

 叶槻が意を決して第一声を発した。

「ここに貨物船の乗組員がまだ残っている。探そう」

 蘭堂や2人の兵は叶槻の言ったことを信じられないような顔をしたが、艦長の真剣な表情を見てため息を吐きながら捜索を開始した。人数が少ないので4人が固まって歩き回る。途中で小さな金色の彫像がいくつも転がっているのを見かけた。しばらくして地面にうつ伏せに倒れている男を見つけた。近寄ると既に息絶えている。背中に銃で撃たれた傷があった。そこから少し離れた場所でも同じように銃創のある死体が見つかった。

「どうやら同士討ちをしたようですね。彫像の取り分で仲間割れでもしたんですかね」

 蘭堂の見解に叶槻はうなずく。

「丸1日貨物船に帰らなかったのは、ここで撃ち合いをしていたからでしょう」

「こんな所に一晩居たら、それだけで気が変になりそうです」

 蘭堂が辺りを見渡して、怖々と言う。

「確かに。ここに来てまだそれほど経っていないが、それでも嫌な気分が込み上げてくる。人の心を不安定にさせる雰囲気が、この遺跡にはある。ましてや仲間同士で一晩中殺しあっていたら、それこそ完全に狂ってもおかしくない」

 実際にシルバーキーの乗組員たちは正気を失っていたのだろう。仲間同士で殺しあい、先の丘で全滅するまで戦ったのは、この遺跡に長居をしたからだ。そう確信するまでに、ここは異常だ。

 叶槻の言葉に、一行は改めて不安げな表情で周囲を伺った。その場にいる全員が薄々気づいていた。この古代都市が人のために造られたものではないことに。もしかしたらどこかの物陰に、人成らざる何かが潜んでいるのかもしれない。彼らは心の中で密かにそう疑わざるを得なかった。

 自分の背後に心許なさを感じながら探索を続けていた叶槻たちは唐突に開けた場所に出た。1キロ四方はある広場の向こう側には、一際巨大な建造物が聳えていた。

 神殿だ。叶槻はそう直感した。数百メートルの高さと幅を持ち、幾つかの尖塔を備えるその建物には例の如く様々な怪生物の彫刻や飾りが一面にしつらえられていたが、全体として奇妙な調和を保っており、美しさと荘厳さをも感じさせる。他の建物とは一線を画す雰囲気があった。そして神殿の前には星空のように無数に散らばる金色に輝く点が見える。おそらくは点の一つ一つがあの彫像だろう。

 神殿の正面には100メートルを越える高さの黒い両扉があるが、それぞれの扉は1つの岩石で造られている。2枚の扉の上部には、人よりも大きな文字列が刻まれていた。

 ある種の予感に駆られた叶槻は双眼鏡を使ってその文字列を観察した。シルバーキーの船長室にあった彫像に刻まれた文字列と全く同じだ。

 死せるクトゥルフがルルイエの館で眠りながら待っている。

 ナンシーの怪しく、艶かしい声が脳裏に響く。

 心底、背筋が寒くなった。

 まさか、あの中に……。

 巨大な神殿に釘付けになっている叶槻に、兵の1人が声をかけた。

「艦長、もう時間がありません」

 その言葉を聞いて叶槻は我に返った。腕時計を見ると、今すぐ帰らなければ約束の時間内に団逸たちの待機している丘へ到着できない。

「引き上げよう。まだ見つけていない者たちも、おそらくはもう生きていないだろう」

 全員が叶槻に同意した。一刻も早く、この忌まわしい場所から離れたい。皆、そのことしか考えていなかった。

 帰り際、叶槻は神殿をもう1度振り返った。

 まさか、あの中に……。

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