第17話

 叶槻たちは丘の上で団逸機関兵たちと合流した。ほっとした顔の団逸たちは、待機の間、誰も現れなかったことを報告した。やはりシルバーキーの乗組員たちは全滅したのだ。この丘で叶槻たちに倒され、残りは遺跡で仲間に殺されたのだ。

 団逸の負傷した右腕には銃弾が残っていたので、伊375潜に戻り次第蘭堂が手術で摘出することになった。

 叶槻は、シルバーキーの乗組員たちが運んできた手押し車をしばらく眺めていたが、団逸以外の兵たちにそれを伊375潜まで運ぶように命じた。それを聞いた蘭堂は愕然としていた。

「艦長、どうして……」

「私も運ぶので、軍医殿もお願いします」

 手押し車の取手を持ち上げる叶槻に、蘭堂は血相を変えて立ち塞がった。

「私は反対です!あの遺跡を見たでしょう?どう考えてもあれは人の造ったものじゃない。何億年もの超古代に、人類とは大きく異なる価値観や思考を持った、得体のしれない存在が築き上げた都市だ。そんな所にあった物を艦に持ち込むのは危険です!」

「ベイカー教授も同じようなことを言っていましたね」

「古代都市ルルイエにクトゥルフとか言う邪神が眠っているという話ですか。ベイカーの診察をしている時に私も聞かされました。彼の言うことを信じる訳じゃないが、あの遺跡を目にしたからには丸っきり妄想だとは断言できない。あの海流に巻き込まれた時に、私はこの航海はただ事ではないと言いました。出航前から悪夢を見続けた頃から、不吉なことばかり起こっていて、現在もそれは続いている。医者の身で迷信じみたことを口にしたくはないが、今すぐ日本に引き返した方がいい。さもないと、とんでもないことが起きる気がする!」

「もちろん日本には帰りますよ。だがそれは、あの彫像をできる限り積み込んでからだ」

「艦長はあれをどうするつもりなんですか?シルバーキーの連中のように、金が欲しいんですか?あれが本物の金かはわからないんですよ?」

 叶槻は不安げな面持ちで自分と軍医のやり取りを見ている他の兵たちを先に行かせた。兵たちは荷車に山盛りに積み上げられた奇怪な彫像を気持ち悪そうに見ながら、転ばないように注意深く丘を下っていった。

 兵たちとの距離を充分に取ったのを見計らい、叶槻は蘭堂に自らの心中を明かした。

「あれが金なのかはまだわからない。だが、本物の金なら莫大な価値だ。それを利用する」

「利用?」

「私はあれを日本に持ち帰って軍上層部に具申するつもりです。この金塊を使って連合国との講和を進めてくれと」

「講和?今更そんなことができるんですか?」

「以前から外務省はソ連に対して講和の仲介を要請していますが、彼らはいい返事をしていない。当然です。このままいけば連合国は勝つんですから」

「艦長、なんてことを言うんですか!」

 仰天する蘭堂を叶槻は制した。

「戦況は極めて悪い。それはあなたにもわかるでしょう。先月、東京が大空襲で焼け野原になりました。これでまだ勝てると思いますか?」

 蘭堂は口ごもった。

「実は、先日戦艦大和が撃沈されました」

「!大和が、連合艦隊旗艦が沈められたんですか!」

 大声になりそうな蘭堂に、叶槻は片手の人差し指を立てて自分の唇に当てた。それを見た軍医は小さくうなずいて口を閉じた。

 2人は囁くほどの小声で会話を続けた。

「特に秘密になっている訳ではありませんが、事が事だけに敢えて公表はしていません。たぶん、伊375潜の乗組員たちは知らないでしょう。彼らをこれ以上動揺させたくない。ここだけの話にしてください」

「わかりました。しかし、まさか大和までが……」

「日本はもう限界です。国民に対しては本土決戦を謳っていますが、そんなことになったら、大勢の一般人が死ぬでしょう。だからこそ、なんとしても講和を成功させなければなりません。ソ連は独裁国家です。腰の重いあの国を動かすには、スターリンやその側近に桁外れの賄賂を渡すしかない。この島で見つけた気味の悪い彫像が金でできているなら、それを連中に渡せばいい。元々日本のものではないのだから、懐は痛まない」

「見返りとして彫像をソ連に渡して、講和の仲介をさせるんですか?」

「当然ですが、溶かしてインゴットにしますがね」

「なるほど、それは名案です。しかし、もしも金ではなかったら……」

「その時は私1人が責任を取ります。降格でも左遷でも甘んじて受けますよ」

「わかりました。艦長がそこまで覚悟しているのなら、協力しますよ」

 蘭堂は手押し車の取手を掴んで、丘を下り始めた。叶槻もその後に続く。最後尾で手押し車を運ぶ叶槻には、実は彼だけの本音があった。しかし、その本音は誰にも話す訳にはいかない。

 こうして黒い浜辺からボートに乗って伊375潜に戻った上陸隊は、疲れきって甲板の上で大の字になった。わずか数時間だが経験したことがあまりにも奇特過ぎたのだ。だが、母艦に帰ってくるとやはり安心する。叶槻は同行した一人一人の部下を労った。

「よくやってくれた。全員軍服の汚れを海で洗え。その後は羊羮を食っていいぞ」

 それを聞いた兵たちが歓声を上げる。

 叶槻は負傷した右腕を残る手で擦っている団逸に声をかけた。

「災難だったな。早く軍医殿に弾丸を摘出してもらえ」

 そう言った後、団逸の軍服の襟元の奥に何か光るものがあるのを叶槻は見つけた。

 団逸に近づいてそれをよく見てみる。下着の左胸にバッジが付けられていた。それはミッキーマウスのバッジだった。

 叶槻の視線に気付いた団逸が咄嗟に襟元を隠すが、もう遅かった。

「珍しいものを付けているな」

 叶槻の言葉を皮肉と受け取ったらしく、団逸は起立して直角に頭を下げた。

「申し訳ありません!敵国のものを!今すぐ捨てます!」

「いや、気にするな。責めている訳じゃない。俺だって時々イギリスのスコッチを呑むんだ。ただ、珍しいバッジだと思ってな」

 艦長が怒っていないことを知り、団逸は打ち解けた表情で話し始めた。

「日本では売っていないものらしいです。俺、そういうのが好きで、任務中も隠して持っていたんです」

「ほう、どうやって手に入れたんだ?」

「引馬機関長からもらったんです。完熟訓練の時、働きがよかったと言われて、その褒美に」

「元々は引馬機関長のものだったのか」

「3年前、機関長がインド洋で通商破壊戦をやっていた時に一緒にいたドイツ潜水艦の士官と仲良くなって、その人からもらったそうです」

 引馬機関長がインド洋で通商破壊戦を行っていたことを叶槻は知らなかった。潜水艦隊司令部から受け取った資料にはそんなことは書かれていなかった。今更ながら司令部の杜撰さに叶槻は腹を立てた。

「引馬機関長はドイツ語を話せるのか?」

「いいえ、日本語だけです。でも相手は英語も話せるから、同じ潜水艦に乗っていた愛工副長に通訳をお願いしてバッジをもらったそうです」

 叶槻の全身に電流が走った。

「副長は英語を話せるのか?」

「はい。引馬機関長はそう言っていました」

 背後に気配を感じた叶槻が振り返ると、そこには拳銃を構えた愛工が立っていた。

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