第10話

 2人のアメリカ人は船長室に移された。老人の疲労が大きく、粗末なベンチに座っているのもつらそうだったからだ。よろめく足取りで船長室に入ったベイカー教授と名乗る人物は部屋の隅に置いてあるベッドに横たわった。ナンシーという金髪女は傍にある椅子に腰かけた。

 2人から渡された大学の職員カードを眺めながら、叶槻は改めて尋問することにしたが、同行している蘭堂は先程から何か考え込んでいた。

「考古学の教授と助手が、こんな海域で何をしている?他の乗組員はどこに行った?我々はこの船に大量の爆雷が積まれているのを発見した。あれで、何をするつもりだ?」

「我々は、ある特別な理由で目の前にある島を海に沈める必要がある。その手段として爆雷を手に入れた」

 ベッドで荒い息を吐きながらベイカー教授が答えた。

「島を沈める?どうしてそんなことを。そもそもあの島は何だ?」

 そこで突然、蘭堂が大声で叫んだ。

「ベイカー!あのベイカーなのか?」

 ベッドの老人は蘭堂の顔をしばらく見つめて目を見開いた。

「ランドウか?」

「そうだ!蘭堂だ!久しぶりだなあ!」

「軍医殿、知り合いですか?」

 唐突に話の腰を折られた叶槻は多少気分を害しながら蘭堂に訊ねた。

「留学していた大学で2年間同じ寮に住んでいました」

「ミスカトニック大学に留学していたんですか?」

「はい。マサチューセッツ州の総合大学です。もっとも留学した時、私は医学部の三回生で、彼は考古学部の大学院生だったので、あまり交流はありませんでしたが。まさか、こんなところで出会うなんて……」

 奇遇過ぎる再会に蘭堂は感嘆していたが、一方の叶槻は驚愕していた。今の話ではベイカー教授は蘭堂より少しばかり年長ということになる。しかし、ベッドの上のベイカー教授は、とてもそんな風貌ではなかった。ぼさぼさに伸びた白髪、くすんだ顔に刻まれたいく筋の深い皺、70歳を越えた老人にしか見えない。声質も老人そのものだ。蘭堂がしばらくの間気づかなかったのも無理はない。何がこの男をこうまで老け込ませてしまったのか。

 しかし、この男が少なくともミスカトニック大学の関係者というのは確かなようだ。大学院までいったのだから、その後博士になっても不思議ではない。話を元に戻そう。叶槻はそう思った。

「軍医殿、悪いが昔話は後にしてください。ベイカー教授、あの島について教えてくれ。何故、沈めなければならない?」

「あの島はわずか20時間前に現れた。しかし、私たちはそのことを予知していた。あの島はこの世に存在してはならない。だから爆雷を使って沈めるためにここに来た……」

「この世に存在してはならない?どうして?」

 そこでナンシーが会話を遮ろうとしたが、ベイカー教授は吐き出すように叫んだ。

「あの島に眠っている邪な神が、間もなく目覚めるからだ!」

 その場が静寂に包まれた。

 叶槻も、蘭堂も、ベイカー教授の言葉を理解できなかった。余りにも予想外の答えに頭が付いていけない状態になっていた。

 ナンシーは目をつぶって額に手を当てながら頭を仕切りに振っている。

「……何だって?」

 数秒後、叶槻が聞き直した。

「ここの海底には邪な神が何億年も昔から眠っていた。世界を滅ぼすために。その海底が隆起したのがあの島だ。島が地上に現れると、邪な神も目覚める。だから、あの島を沈めなければならないんだ!」

 ベイカー教授は激しく咳き込んだ。ナンシーが叶槻たちを見て言った。

「水、水をちょうだい!」

 蘭堂が大きな木机の端に乗っているガラスの水差しとコップを取る。その時にようやく金色に輝く彫像に気付き、不思議そうにそれを見ながらナンシーに水差しとコップを手渡した。

 ナンシーがベイカー教授を介抱している間、叶槻は蘭堂に目配せして船長室から出た。

「あの男は何を言っているんですか?」

「さあ、私にもさっぱり」

「あの男は大丈夫ですか?」

 蘭堂は少しの間黙っていたが、やがて口を開いた。

「……実は若い頃のベイカーは他の学生たちからの評判は良くありませんでした。実家は幾つもの会社を経営する相当な金持ちで、そのことを自慢しながら贅沢に遊び回っていたから、私のような留学生や金のない苦学生は反感を持っていました。あの頃のミスカトニック大学考古学部には古代の神や神秘主義を研究しているグループがあって、彼はそのグループに師事していましたが、別に興味がある訳ではなく、女の子と酒を飲む時の話のタネを仕入れるためだと私には吹聴していました。カネには困らないから、どんな学問でもよかったんです。彼にとっては単なる暇潰しに過ぎなかった。でも、もしかしたら形ばかりの研究をしている内に、自覚のないままのめり込んでいったのかもしれません。間違った方向に」

「つまり、研究のし過ぎで頭がいってしまったと?」

 蘭堂は小さくうなずいた。

「当時のアメリカは禁酒法がありましたから、ベイカーは女の子を誘って違法酒場に入り浸っていました。その手の店には胡散臭い連中が多く、カルト集団などもいたとか。彼はそういう連中と関わりがあったのかもしれません」

 そこへ、ブリッジの反対側にある操舵室から愛工がやって来た。

「正確な現在地が判明しました」

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