第36話 異世界でコーヒーを
エルヴィラ・ジョヴァンニは娘のアンナが持ってきた物に驚いていた。
ここは王都ローエングリンの東側に位置する宿屋『仮面舞踏会亭』だ。
その部屋に置かれた小さなテーブルに向かい合って座る母と娘。
「見て見て、お母さん。これがハンバーガーっていうパン。これがフライドポテトっていうお芋を油で揚げたもの。それからこれがコーヒーって美味しい飲み物。あと、これがダンジョンマスターのサイン! 素敵でしょ?」
「あ、ああ。そうだね」
喜ぶ娘に水を差したくないから黙っているが、エルヴィラにはサインの良さが分からない。
あまり書き慣れてないのが分かる下手な字だ。
全く読めない。
ひょっとして、ダンジョンマスターだけしか知らない文字なのか。
呪いがかかってなきゃ良いけど……
まあ、そんな話は聞いたことないから大丈夫だろう。
それよりも娘のアンナが持ってきた他の物が気になる。
「この、フライドポテトってのは芋なんだね。ずいぶん細く切ってあるね?」
「これが最高に美味しいんだよ! お母さん食べてみて」
娘に勧められてフライドポテトを一本つまみ口に入れるエルヴィラ。
うん、美味しい。
味付けは……塩だけに感じるが他にもまだ隠された隠し味があるようにも思える不思議な料理だ。
サクサクとした食感にホクホクの中身。
全体が口のなかで調和すると、凄くお茶が飲みたくなる。
「ほほう、これはお茶に合いそうだね」
「そこで、このコーヒーを飲むのよ!」
娘のアンナに言われるがまま奇妙なコップに入った黒っぽい液体を飲む。
不思議な香りと苦味。さらには酸味も感じられたがそのあとに来る強烈な甘味が凄い!
「これは美味しいね。茶葉では出せない風味。そして、この甘さ……もしかして砂糖かい?」
砂糖ははるか南にある島名物の甘味料だ。
正式には黒砂糖と言うが、この世界に甘味料は一つしか無いので誰も気にしない。
苦味と甘味の見事な融合。
欲しい!
このコーヒーとやらは必ず売れる。
いったい、原料は何だろう?
そして、砂糖も欲しい!
「騎士様たちに聞いてもよく分からないって言ってた。やっぱり、これを出してくれたダンジョンマスターに聞いてみないとね」
無邪気に語る娘のアンナにエルヴィラは心配になる。
ダンジョンマスターは人間の敵だ。
凶悪なモンスター達の親玉。
昔の勇者様たちは魔王と呼んだ。
「駄目だよアンナ。深入りしたら食べられてしまうかも知れないよ?」
そう言う母親に娘は反論する。
「大丈夫だよ、お母さん。だって騎士様たちみんな笑ってたもん。うちの店の前に出来たダンジョンの入口があるでしょ? 普通はモンスターが出てこないか見張るよね? でも、違うんだ。騎士様たち、入口に背を向けて立ってるんだよ? まるで、悪い他の人間がダンジョンに入らないよう守ってる感じ」
「へえ、そうなのかい」
これは驚きだ。
ダンジョンは確かに魅力ある場所でもある。
宝箱に金貨や銀貨がザクザク入っている事もあれば、魔法の武器や防具が手にはいる事もある。モンスターを倒せば貴重なアイテムがドロップする時もある。
なぜかは分からないが、ダンジョンには一攫千金の夢があった。
その夢を追いかけて大勢の冒険者が詰め掛ける。
そして、半分は死ぬ。
熟練の冒険者でも油断すれば簡単にモンスターの餌食となる。
それがダンジョンだ。
だから、どんなに宝物が出てこようとも騎士が守る対象にはならない。
そのはずだったのに……
「それにね、クルヴェナル小隊長様が部下の騎士様たちに話してるのをこっそり聞いたんだけどさ、新しく入った女性の騎士様がいたでしょ?」
「ああ、魔法も使える騎士様だったね。たしか……ブランゲーネ様だったわ」
「そのブランゲーネ様がダンジョンマスターと結婚するかもだって!」
ちょっと、それは笑い事ではない。
「それ、捧げ物にされたんじゃないのかい? アンナ、もうあそこに近づいちゃ駄目よ。あんたまで捧げられちゃう!」
エルヴィラの心配も当然だ。
ダンジョンは時としてモンスターの大暴走、スタンピードを引き起こす。
増えすぎたモンスターが溢れ出て近隣の村や町を襲うのだ。
そうならないため、国や領主は騎士や兵士を派遣しモンスター狩りを行う。
人手が足りない時には冒険者を雇う事もある。
だが、それでも間に合わない場合、人間を犠牲として差し出す事があるのだ。
ダンジョンマスターはある程度の知性がある。
そこで、交渉を呼び掛け月に何人必要かどんな人間が良いか話し合うという。
特に好まれるのは女子供。
理由は分かっていない。
「大丈夫だよ、お母さん。だって、ブランゲーネ様ってお方、何度も地上に出てきてるもん」
「そ、そうなのかい?」
犠牲として捧げられた人間が、ダンジョンから出てこられる訳がない。
不思議だ。
「いつも笑顔だしね。周りの騎士様たちも苦笑いだよ。クルヴェナル小隊長様なんて『しょうがねえなあ、ブランゲーネのダンジョントイレ好きも』とか言ってたし」
「トイレ?」
「そう、トイレ! なんかね、凄く気持ちよくなるトイレがダンジョンにあるんだって。騎士様たちも時々ダンジョンに降りていってはスッキリした顔で戻ってくるもん。うちの店のトイレは使ってないよ」
「え、困ったな。トイレのスライムがお腹空かせて出て来ちゃう」
「あ、それは心配しないで。騎士様たちが庭の草を刈ってトイレに入れてくれてたよ」
この国の騎士様は庶民にも優しい。
きっと、トリスタン隊長の教育が良いのであろうとエルヴィラは思う。
「あそこのダンジョンマスターはきっと良い方なんだよ。だからブランゲーネ様も結婚したいと思ったんだし、会ったことない私にも美味しい食事をご馳走してくれたし、なによりサインまでくれたんだよ! 絶対に良い方に違いないよ」
「ええっ、これアンナのために出してくれたのかい? 騎士様たちから分けてもらったんじゃなく?」
「私のじゃないよ」
娘の即答。
そりゃそうだ。こんな美味しくて貴重な物を見知らぬ人間の小娘にくれてやるダンジョンマスターはいない。
「あたしの分は騎士様たちと一緒に食べちゃった。それはあたしのお母さんにってダンジョンマスター様が出してくれた分だよ。クルヴェナル小隊長様が言ってた。私達のお店の下にダンジョンができて迷惑をかけた。そのお詫びの気持ちとして受け取って欲しいって。ダンジョンマスター様がそう言ったんだって! いつか直接あって謝りたいとも言ったそうだよ。ね、あそこのダンジョンマスターは良い方でしょ?」
本当に信じられない。
貴族の中には庶民など虫けらのように扱う奴もいるってのに……
このダンジョンマスターの気配り。
まるで人間だ!
エルヴィラはますますダンジョンに興味が湧いた。
「へえ、それはありがたいねえ。私も一度お会いしてみたいもんだ」
「お母さんもブランゲーネ様みたいに結婚したくなるかもよ?」
娘の無邪気な言葉に母親であるエルヴィラは笑ってしまう。
ダンジョンマスターと結婚ねえ……
「あ、あ母さん。こっちのパンも食べてみなよ! スッゴい美味しいんだから」
娘のアンナが綺麗な紙で包まれたパンを差し出してきた。
持ち運びに便利そう。
手も汚れない。
これも不思議な料理だ。
紙を剥ぎ取るとパンに色んな食材を挟んだ物が出てくる。
この形状のパンは知っていた。
昔の勇者様が広めたハンバーガーだ。
でも、この国の黒パンでは固くて美味しくないと見放された料理。
それなのに、このパンと来たら柔らかいではないか。
見たこともないパン。
中で挟んだ具材も知らない物ばかり。
「早く食べて食べて」
「ああ、いただくよ」
両手に持ってがぶりと一口。
何これ、初めての食感!
色んな味が混ざりあい、得も言われぬ美味しさとなって口の中に広がっていく。
これは革命的な料理だよ。
「そこで、コーヒーだよお母さん。美味しいよ」
「ゴクゴク……ぷはー、確かに最高ね」
娘と二人で笑いあう。
本当に不思議だ。
会ったこともない人間の母娘をここまで幸せにしてくれるダンジョンマスター。
やはり、どこか違うものを感じさせる。
惹かれると言い換えても良い。
ふむ、これならば……
エルヴィラは少し考える。
『これほどの商売のネタを提供してくれるお方ならば、ダンジョンマスターとの再婚も真面目に考えたいところだ』と。
エルヴィラ・ジョヴァンニ、三十一歳の未亡人。
再婚の申込みは百を超えたが全て断ってきた美人経営者。
さて、これからどうなるかは……まだ、誰も知らない。
異世界でダンジョンマスターになったので、のんびり福祉の仕事をしたいと思う 後藤詩門 @goto0525
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