第13話

大学に戻ってから、俺と菅野は死ぬ気でレポートを書き上げ、前期試験に臨み、すべてが終わった時は二人共へろへろになっていた。

そんな感じでいつのまにか一週間が過ぎていた。

大学は夏休みに入り、そろそろ龍之介がくる頃だ。それとも、俺が湖に行こうかとも思ったけど、龍之介は俺の元に戻ると言った。

なら、俺はあいつの言葉を信じて待つ。


実家に帰るという菅野と、久しぶりに商店街でラーメンを食べた帰り道。

「伊坂くんのお父さん、単身赴任だっけ? 夏休みは会うの?」

「まあ、お盆には会うかな。どうせ親父の家はここから2駅隣だし…」

「えっ…?」

菅野が驚いた顔をしている。

「近いじゃない。一緒に住もうとかいう話はなかったの?」

「親父には、新しい家族がいるから」

すっと菅野の表情が変わった。

「いや、別に関係は悪くないから」

慌てて説明した。

親父は去年、男の子を連れた女性と再婚した。再婚同士とはいえ新婚だし、小さな子もいる家に俺が入り込むのは気が引けた。

9歳下の義弟は懐いてくれて可愛かったけど、家族という感じはしなかった。俺が捻くれてるのかな。

実際、子どもの頃から親父と暮らした時間も少ないし、適度な距離を置いて付き合っていくのが良い気がしている。

「じゃあさ、夏休みの間、ウチの神社でバイトしない?」

唐突に菅野が言った。

「バイトって何すんだ?」

「巫女さん」

持っていたペットボトルを投げつけると、けらけらと菅野は笑った。

「うそうそ。ウチの神社、縁結びの神様だから夏休みの間、参拝客が増えるんだよ。それで売り子や品出し要員が必要なんだよね。あと境内の掃除とかいろいろ雑用も。俺もやるけど、伊坂くんもどう?」

「俺でいいのか?」

「うん。兄ちゃんが、伊坂くんを誘ってみてくれって言ってたから」

菅野の兄ちゃんとは、湖から帰った日、車を返しがてら挨拶をした。あまり菅野とは似ておらず、ガタイが良くて人の好さそうな人だった。

『へえ、君が伊坂くん? なんだかウチの神様が君を気に入ったみたいなんだよね。また遊びにおいで』

と、よく分からないことを言っていた。

そのとき隣にいた菅野は不愉快そうな表情をしていた。どういう意味か聞いても言葉を濁して教えてくれなかったけど。

「どうせバイト探すつもりだったから、頼むわ」

「決まりだね」


実家に戻る菅野と別れて家に帰ると、ご飯の炊ける匂いがしていた。

家を出る前にタイマーをかけていったのだ。

ラーメンを食べてきたから、俺の夕飯用ではなく龍之介のオニギリを作るため。

龍之介の好きな鮭のオニギリを握り、ラップをかけてテーブルの上に置いた。これも俺の朝食になるのかな。

湖から戻って一週間が過ぎた頃から毎晩オニギリを握った。いつ、龍之介が戻ってきてもいいように。

龍之介がいない朝、もそもそと昨晩のオニギリを何度食べただろうか。


風呂から上がり、冷蔵庫を開けようとした時だった。

ふいに、後ろから何かに拘束された。

男? 鍵をかけ忘れたのか?

反射的に肘鉄をくらわして相手がひるんだところを回し蹴りした。

ぎゃっ、と言って吹っ飛んだ身体が床に転がる。

「痛いよぉ、御幸」

「龍之介!?」

振り返ってみると、腰を押さえた龍之介が立ち上がるところだった。

「何やってんだよ!」

「会いたかったよぉ」

正面から抱きついてきた身体を、思わず受け止める。

「ああ、御幸の匂いだ」

すんすんと首筋のあたりに鼻を擦りつけてくるのを引き剥がして、龍之介の身体を確認する。

「おまえ、傷はもういいのか? ……あれ、少し背が伸びた?」

目線が一緒だ。前は少し下だったような気がする。

「うん。成長した。ちょっと時間がかかっちゃったけど、力も強くなったから人の身体でずっといられるし、湖に帰らなくても大丈夫になったよ」

御幸のおかげだね、と鱗の入った俺の掌に唇をつけて、にこにこと笑う顔はいつもの龍之介だった。

「遅くなってごめんね。ずっと待っててくれたんだよね?」

「別に…待ってなんか」

龍之介の視線がテーブルのオニギリに向かうのを、慌てて遮った。両手で頬を押さえて俺の方を向かせたので、龍之介は驚いたような顔をしている。

視線が合い、間近にある顔を改めて見つめた。

小さいけれどしっかりとした骨格の顔。人の好さげな細い目と肉厚の唇。少しひんやりとした唇に触れると、細い目がさらに細くなった。

「もう、御幸から絶対に離れない。誰にも触らせないよ」

ずっとずっと傍にいる。いいよね?

「…おまえ…いいのか? 湖から離れて、こんなところで」

「御幸がいる場所が、俺のいる場所だよ」

それで、たまに夜の空を飛んで湖に帰ったりしようよ。

「―――そうだな」

(それが、御幸の役割なんじゃないの?)

菅野の言葉が浮かんだ。

俺の役割。

俺はただ、龍之介がずっと笑っていられたらいいと思う。あの黒龍との戦いのように傷ついたり、光を放って憤る龍之介はもう見たくない。

そのために俺が必要だというなら、それが俺の役割なのかな。

たかだか百年。一緒にいられる時間は短い。

少し伸びて目元にかかる黒髪を掻き上げてやると、ゆっくりと近づいてくる。


唇が触れる瞬間、目を閉じて広い肩を抱き寄せた。

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